2014年9月21日日曜日

李娜の引退 「残念なことは何一つない」

どういうわけか、日本のメディアに記事が流れていない(または私が見逃しているだけかも)のだが、李娜が引退の記者会見を行った。(記事はこちら。)引退の理由は、モチベーションやメンタルなことではなく、膝のけがが理由のようだ。すでに、今年、ウインブルドン以来大会に出場できておらず、3度も大会を棄権している。年齢を考えると、復帰するのは難しいと判断した。

李娜は、2011年全仏オープンと2014年全豪オープンの2度、グランドスラムの勝者となった。2015年の全豪オープン女子は、前年度の優勝者不在で開催されることになる。

「32歳の今、自分のキャリアには十分に満足している。」「引退を決意する前に、何度も自分に問いただした。『後悔するのではないのか』と。でも、答えはNOだった。今引退を決意するのが一番だと思った。」「引退を決意するのはグランドスラムで戦うよりもつらい決断だったが、もう体が言うことを聞かないことを考えると、これが正しい選択だと思う。」「今後は、中国の若手のテニスの指導者になりたい。」


上のWebサイトには、李娜をtrailblazerという言葉で表している。trailblazerとは、「先駆者」という意味だ。アジア初のグランドスラマーとして、まさに彼女は先駆者であったと言ってよいだろう。

記事を読む限り、いつもの李娜の軽妙洒脱な会見ではなかったようだ。(当日の映像はこちら)。今回の会見は、北京で中国語で行われた国内向けの会見だったので、「真面目に」引退の理由を述べる必要があったということかもしれない。

もちろんそれだけが理由ではないだろう。それだけ、彼女の心は揺れており、苦渋の決断だったのだと思う。李娜がこれからどのような指導者になり、中国女子テニスがどのように素晴らしい選手を生み出していくのか、李娜の第2のテニス人生が楽しみだ。

2011年全仏オープン決勝で、李娜のプレーを始めてみて書いたブログは、今でもこのブログの中で最もよい記事だと思っている。是非、読んでいただきたい。
李娜(Na Li)の全仏オープン2011決勝



2014年9月17日水曜日

NHKクローズアップ現代 錦織圭 世界の頂点への戦い(2014年9月11日放送)

2014年9月11日に放送されたNHKクローズアップ現代「錦織圭 世界の頂点への戦い」を観た。錦織をこれまで見てきたテニスファンであればおおむね知っている内容で、特に目新しい話題はなかった。なぜ、小柄な錦織がここまで頂点に近づくことができたのかを教えてくれる内容ではなかった。

NHKの番組を見るといつも思うのが、映像や資料の収集能力の高さだ。よく、こんな映像を持っているな、見つけてきたなと思う映像が出てくる。とてつもないデータアーカイブと人脈、調査の応力ががあるのだろうなと思う。

日本の男子テニスが海外の選手と比べてパワーで圧倒的に不利だという冒頭の映像は、セイコー・スーパーカップでの(おそらく)アジェノールと松岡修造の映像だと思う。よくそんな映像が出てきたものだ。(確かに、当時の日本男子選手はトップクラスの選手と対戦する機会すらあまり多くなかった(今でも錦織を除いたらそうだが)から、映像もあまりないのだろう。

それだけの話なのだが、私もっと、なぜ錦織が13歳という若さでアメリカにチャレンジしたのかを知りたかった。松岡修造は、「圭は特別だった。普通の13歳であればその若さでアメリカに行くことには賛成しない」とコメントをしている。私は、これからの時代は、若いうちから海外にチャレンジすることが当たり前になってくる時代が来ると思っている。テニスに限らず、だ。

Mecir’s Tennis (248) フォアハンドでは右脇を締めてはいけない(1)

Mecir's Tennis (226) 柔らかいスイングとは?(その1) ~前腕と上腕は同期しないにおいて、前腕は上腕に遅れて出てくるということを書きました。また、上腕は右肩と一緒に回転すると書きました。今回は、この上腕について書いてみようと思います。

フォワードスイングで右肩と同期して回転する上腕ですが、インパクト後にどうなるでしょうか。これはとても大切なポイントで、インパクト後に上腕は右肩を追い越して前に突き出されます。


この連続写真で、インパクト前とインパクトの比較をすると、右肩と上腕が同期しながらインパクトではやや上腕が前に出ていることがわかります。さらに、下のフォロースルーでは右肩よりも上腕が前に出ています。(さらに前腕が前に出ていきます。)


どうすれば、このようなスイングができるでしょうか。重要なポイントは、右肩と右ひじです。右肩は肩と上腕の蝶番(ちょうつがい)であり、右ひじは上腕と前腕の蝶番です。この2つの蝶番が、右肩⇒右ひじの順番で機能することが必要となります。

これは、言い換えると、右肩が蝶番として働く必要があります。そのポイントは、フォアハンドのフォワードスイングでは右わきを締めてはいけない、ということです。もし、右わきを締めてしまうと、右肩と上腕の同期は保証されますが、そのあと右肩の蝶番機能が働かなくなるからです。

右わきを締めないために有効なのは右ひじを体に近づけすぎないことです。右ひじを体から少し離れた位置に置くのです。それによって、フォワードスイング(またはインパクト直前)において右ひじが右肩を追い抜いていくことができます。つまり上腕が右肩を追い越すことができるのです。脇を締めていると、これができません。上の写真のように上腕を前に突き出すことができないのです。

フォロースルーが小さいなと思ったら、右わきが締まっていないかをチェックすればよいと思います。または、右ひじが体から離れているかをチェックしてもよいでしょう。

2014年9月9日火曜日

2014年全米オープン男子決勝 錦織vsチリッチ(ゲームボーイになれなかった錦織)

火曜日の早朝6時からの決勝戦。目覚まし時計をかけてWOWOWで観戦したのだが、第1セットの最初の2ゲームぐらいで眠気に勝てずに寝てしまった。どこか、きっと錦織は優勝するだろうと思って…。

だが、目が覚めた時に優勝していたのはチリッチだった。しかも、6-3、6-3、6-3というほとんどワンサイドゲームのストレート勝ちだった。グランドスラムの決勝戦としても、スコアから見る限り凡戦と言わざるを得ない。なんというあっさりとしたゲームだ。(チキンラーメンでももう少しはこってりとしている・・・。)

錦織に何が起こったのだろうと思った。この大会でトップ5を3タテにした快進撃を見る限り、こんなスコアで敗北する錦織ではないはずだ。

帰宅してビデオを観て、またメディアの報道を読んで、分かった。明らかに錦織のプレーは準決勝までとは違った。驚いたことに、錦織は緊張していたのだ。一番の敗因はプレッシャーだった。チリッチに負けたというよりも、自分に負けたのだった。

試合前には、もしチリッチが勝つとしたらそれは信じられないほどのサービスエースが決まって圧倒されるときだけだろうと思っていた。そう予想した人は多いだろう。ボリス・ベッカーがケビン・カレンにサービスエースの雨を降らせて優勝した1985年のウィンブルドン決勝のように。

しかしそうではなかった。チリッチは確かにサービスエースを取っていたが、なんと錦織は、グランドストロークの打ち合いで負けたのだった。つまり、自分が最も得意なフィールドで錦織は負けた。

普段の錦織は、ショットを打つとき、次のショット、その次のショットと可能性をすべて想定して組み立てを作りながらプレーするように見える。だから相手がどんなボールを打ってきても驚かないし、逆に準備万端の錦織が繰り出す想定外のボールに相手は戸惑う。しかし、この決勝戦の錦織は違った。チリッチのボールは、予想しやすい、想定しやすいボールなのに、錦織は簡単にミスをしてしまう。組み立てて相手の裏をかき、一本で形成を逆手にする錦織の戦略は、この日に限ってはその場のインスピレーションだけでボールを打っている。だから、時にはエースを取ったとしても、それは単発でしかない。

決勝戦を観て確信しているが、再度、別の場所でチリッチと錦織が戦ったら、まず、錦織は勝つだろう。チリッチのグランドストロークは、本来は錦織にとってむしろ組みやすいタイプと言ってもよい。エースを取ることもあるが、基本的にはイマジネーションに乏しいスピードが速いだけのストロークだからだ。

この結果には、マイケル・チャンもがっかりしたことだろう。敗北するのはスポーツである以上、覚悟はしているだろう。しかし、内容が悪すぎる。これでは、コーチングの成果も効果もほとんど感じることはできなかっただろう。敗戦後のチャンコーチの平凡なコメントは、実はがっかりした気持ちの裏返しだったのかもしれない。

どうしてこうなったのだろうか。錦織のゲームマシンのCPUが正常に動いていないのか、プログラムにバグが混じりこんだのか。

私は、決勝予想で書いたように錦織はテレビゲーム世代として育ったゲームボーイだと思っていた。しかし違った。錦織はその他大勢の日本人と同じように、緊張したのだ。生身の人間だった。それは、どこかほっとしつつも、どこかでがっかりする事実だ。

錦織は試合後の一夜明けたインタビューで、その夜は眠れなかったとコメントしたそうだ。負けて悔しかったというよりは、決勝戦では自分が変わってしまったことを後悔していたのではないだろうか。ゲームボーイに徹することができなかった自分に。

もし、錦織がふたたびゲームボーイに戻れないのであれば、錦織のランキングは、ただただ下降の一途であろう。テレビゲームでしかありえないような非現実的な、そしてイマジネーションに満ち溢れたグランドストロークを、再び取り返してほしい。そうすれば、またいつか、グランドスラム決勝戦の場で錦織を見ることがあるはずだ。

新しいことを何も求めることはない。すべきことはただ一つ。準決勝までの戦い方を常にできればよいのだ。あの、「ゲームボーイ」の戦い方を。

⇒2014年全米オープン男子決勝予想 錦織vsチリッチ

2014年9月7日日曜日

2014年全米オープン男子決勝予想 リアルワールドとサイバーワールドの戦い

錦織とチリッチというグランドスラムでの優勝経験どころか決勝戦で戦う経験すらない二人の戦いとなる2014年の全米オープン男子決勝。知名度のあるビッグ4(ジョコビッチ、フェデラー、ナダル、マレー)が一人も決勝に残らず、日本とクロアチアというテニスではそれほどなじみのない国から来た、しかも2桁ランカー同士の決勝戦は、正直なところアメリカのテニスファンの間ではそれほど盛り上がらないだろう。アメリカのスポーツメディアはなんとか盛り上げようとするだろうから、日本メディアはそれを取り上げて、盛り上がっているかのように伝えるだろうが。

実際にアメリカが盛り上がるのは、この小柄なアジア人が優勝したその後だろう。常識では、こんなに小柄でパワーにかける選手が、優勝できるわけがない。今までに見たことがない、想像もしなかったスタイルの新ヒーロー登場に対しては、アメリカという国は寛大で、そして好奇心旺盛だ。

もう5年間以上前になるが、2009年3月23日の午後、私はアメリカ・サンディエゴでの仕事を終えて、ホテルのスポーツバーで一人で飲んでいた。バーに備え付けの大型テレビには日本対韓国のWBC決勝戦が流れていた。覚えている人が多いと思うが、それまで期待を裏切り続けたイチローが、最後の最後で決定的なセンター前ヒットを打ったあの決勝戦だ。決勝戦はロスでの開催だが、予選はそのサンディエゴで行われていた。そのことを考えても、あまりにも寂しいサンディエゴのスポーツバーだった。イチローの決定的なその瞬間でさえ、テレビを見ていたのは私と韓国人観光客らしい3、4人のみ。その瞬間に思わず声を上げた私をにらみつけた数名のアメリカ人の客のことをよく覚えている。もちろんその客はテレビなど見ていなかった。単に、アジア人がいきなり奇声を上げたと私の方を見ただけなのだ。

アメリカでの盛り上がりがどうであれ、ついに日本の錦織が決勝に残った。おそらく日本のテニス界とメディアは騒然としているだろう。そして大いに盛り上がっているだろう。錦織の登場までは、いやトップ100に入り、トップ20に入り、ついには最初にトップ10に(短い間とはいえ)入った時にすら想像もできなかった日本人によるグランドスラムの決勝戦。しかも、それは、ラッキーや偶然ではない。ドロー運が良かったわけではない。錦織は、この大会でトップ10の選手を3人も追いやって、決勝のステージに上り詰めた。エキサイトしないわけがない。

決勝戦の相手であるチリッチのコメント。「(錦織との決勝は)2人にとって特別なものになる。どちらにもグランドスラムで勝つチャンスがあるということ。歴史の一部になれるということだ。」

このコメントは、ヨーロッパの中でもバルカンの火薬庫と言われた政情不安定な国の一つであるクロアチアという国のテニスプレーヤーの言葉と思うと理解しやすい。彼らにとっては、テニスは歴史なのだ。チリッチにとって全米オープンの決勝を戦い優勝者としてカップに名前を刻みこむことは、長く続くヨーロッパの歴史の中で、そしてテニスの歴史の中でプレーをするという意味なのだ。チリッチの決勝に臨む発言は、そういう意識から来ている。

以前、中国の李娜のことをブログに書いたことがある。彼女が、中国人として、アジア人として初めグランドスラム優勝の試合を見ながら書いたブログだ(李娜(Na Li)の全仏オープン2011決勝)。WOWOWの解説をされている神尾米さんにも読んでいただき、個人的にメールをいただいたことが懐かしい。(神尾さんは、このブログを読んで、優勝の翌日に行われた李娜のプレスインタビューの様子をわざわざ教えてくださったのでした。)

このブログで、私は、李娜がテニスの歴史を持たないアジア人(中国人)が歴史の重圧に打ち勝った瞬間を感じた。アジア人だからこそ分かるその重圧。それを乗り越えた李娜の偉業の意義。

錦織が優勝したら、日本人としてはもちろん、もしかしたらアジア人男子として初めてのグランドスラム優勝なのかもしれない(たぶんそうだろう)。しかし、今の錦織には2011年の全仏オープン女子決勝で李娜に感じたテニス歴史の重圧のようなものを全く感じない。テニスの歴史を持たない日本という国の出身選手がヨーロッパやアメリカのテニスの歴史に挑んでいるという印象がない。

それはなぜなのだろうか。李娜の時と今回の錦織と、何が違うのだろうか。

錦織のエピソード(3)でも書いたが、錦織が子どものころからテレビゲームが大好きで、テニスとテレビゲームを取り上げられたら自分は生きていけないとまで言ったという小学生時代のエピソードは印象的だ。テレビゲームが大好きな子どもという言葉からは、良いイメージは湧いてこない。しかし、良いとか悪いとかではなく、錦織の世代はまぎれもなくテレビゲーム世代なのだ。

それは、こういうことだと思う。「テレビゲームは錦織の体の一部であり、錦織の世界の一部である」と。錦織は、ゲームの世界に生きている。ゲームは限りなく現実(リアル)で、目の前の全米オープンという現実は錦織にとってはゲームなのである。」

錦織は、おそらく歴史を背負うという意識や重圧などはほとんど感じないのだろう。錦織にとって全米オープン決勝戦は、壮大なリアルテレビゲームの一部であり、決勝戦はついに到達した最終ステージなのだ。このステージをクリアすると、錦織は全米オープンというゲームをクリアして、ゲームを終了することができる。勝利して終了(クリア)できるのか、負けて再度(つまり来年)ゲームを再起動(リロード)して挑むのか。

そんな馬鹿なと思うかもしれない。それは考えすぎだと思うかもしれない。しかし私はそうは思わない。

サイバーな世界がリアルと混ざり合い、人生とゲームがクロスオーバーする。錦織にとってはそれが事実だ。そんなことないだろうと思うのは、生まれた時にサイバー世界が存在しなかった(私のような)古い世代の人間だ。錦織が物心ついたときにはテレビゲームは存在していた。サイバー世界が錦織の生活の一部となっていたとしても不思議はない。

考えてみてほしい。私たちには電車も飛行機も車も、あって当然なものだ。しかし、100年前の人たちは言うだろう。「君たちは電車世代だ・飛行機世代だ・車世代だ」と。電車という非現実の空間を当たり前に生きている私たちに、なぜテレビゲームの現実感を批評することができるだろうか。この感覚は、「モテキ」という映画を見た時と同じ感覚だ。この映画を見た人であればわかるだろう。デジタルはすでに我々の生活に隅々まで溶け込み、もはや自然界の一部なのかもしれない。

歴史と動乱を現実の出来事として背負うチリッチ(そして準決勝の相手であるジョコビッチも同じバルカンの小国の出身だ)。サイバーなゲームの中で動乱(いわゆる対戦型・戦闘型のロールプレイイングゲーム)をリアル体験している錦織。言い換えれば、今回の決勝戦は、国と歴史を背負ったチリッチと、サイバー世界の中で一人の戦士として戦う錦織の決勝戦でもある。

この決勝戦は、その意味でもテニスの歴史の中でターニングポイントとなる決勝戦ではないかと私は感じている。そう考えれば、180㎝にも満たない(テニスの世界では)小柄なアジア人が、全米オープン男子決勝にまで進んだ理由がわかる。テニスの神様は、時代の転換をこの若い小柄なアジア選手に託したのだ。

歴史を背負うことは、戦争により流される血を背負うことだ。リアルな戦争はもういい。もう充分だ。人と人が本当の血を流す必要ない。スポーツは、人のDNAに埋め込まれてしまった戦闘の本能の昇華・代替として発明されたという。そうであるならば、これからはバーチャルなスポーツという場でのみ、我々は戦おうじゃないか。それは、リアルな戦場とテレビゲームというバーチャルな戦場の違いだ。バーチャルな戦争は、言い換えるとそれは平和の象徴なのだ。

今、テニスの神様がそんな風に言っていると思うのは、考えすぎだろうか。大げさだろうか。しかし、それ以外に、日本の小柄な青年が130年以上の歴史を持つ全米オープンの頂点に立つ理由を受け入れることが私にはできない。

私はこの試合は錦織に勝利してほしい。それは、錦織が日本人だからでも、アジア人だからでもない。テレビゲームというバーチャルな世界が血なまぐさいリアルな世界を凌駕する瞬間が見たいからだ。私だけではない。今、世界はその瞬間を求めている。マンガ文化やゲーム文化で象徴される平和なアジアの小国から来た小柄な若者が、血なまぐさい歴史を背負って東欧からやってきた2m近い大男を倒すのだ。一見軽薄にすら見える錦織のテレビゲーム感覚の勝利こそが、テニスを通じて実現する平和の世界への第一歩なのだ。

1988年生まれのチリッチは、幼いころでおそらく記憶はないとはいえ、ユーゴスラビアから独立にするために血が流れたクロアチアで育った。1990年から1991年ごろのことだ。当時の東欧諸国にはスーパーの棚に食品が並ばないことも珍しくなかったそうだ。クロアチアから移住せざるを得なかったセルビア人は20万人とも言われている。チリッチやジョコビッチが背負っている歴史は重く悲しい。

1989年生まれの錦織は、まさにバブルの時代の中で生まれた。クロアチアが独立した1990年は、日本ではバブルの絶頂期(崩壊の直前ではあったが)だった。任天堂のゲームボーイが登場したのが、まさに錦織が生まれた1989年だ。当時の日本には戦争という言葉は全く現実感のない言葉だった。日本にも多くの在日韓国人が住んでおり、その数は30万人以上と言われている。様々な問題はあるとはいえ、彼らが全員移住せざるを得ない状況には今の日本はない。

そんな二人の決勝戦をしっかりと見届けたい。

2014年ジャパンオープン男子決勝 ラオニッチvs錦織
⇒錦織のエピソード(3)
⇒錦織のエピソード(2)
⇒錦織のエピソード(1)

錦織のエピソード(3)

錦織が子どものころ、自分からラケットとテレビゲームを取り上げるのは生きるなと言っているのと同じだ、と文句を言ったことがあるそうだ。

今、錦織とジョコビッチの全米オープン準決勝の試合中だが、解説の坂本さんが「錦織はラオニッチ、バブリンカと勝ち進んで次にジョコビッチと対戦することを、テレビゲームで画面をクリアするような感覚でエンジョイしている」と解説している。なるほど、そうかと思った。

一方で、ジョコビッチは、まじめで理詰めな性格、そして祖国の内乱を背景に「自分は勝たなければいけない」という使命感のようなものもあるとも。

どちらが正しいのではない。しかし、対照的なキャラクターといってよいだろう。この準決勝の戦いには、そんな人生や世界観の違いからくるキャラクターが背景にあり、それを考えると楽しめるのかもしれない。

⇒錦織のエピソード(2)

2014年全米オープン 男子準決勝 錦織vsジョコビッチ(1)

まだ試合途中(第1セットを錦織がとって第2セットに入ったところ)だが、すでに、錦織のテニスの技術がジョコビッチを超えたことがよくわかる。

錦織は、多くのショットで、フルショットをしている。というよりも、フルショットができる。フルショットするということは、フルパワーでボールを打つことだ。それでもボールは相手のコートに入る。というよりも、そのショットでポイントを取ることができる。

繰り返すが、フルショットだ。普通だったらボールはコート2つ分ぐらい向こうまで飛んでいきそうなフルスイングで、ボールをたたくことができる。

これまで、これだけのフルスイングができるのは、精度の高いコントロールが不要なヘビースピンによるつなぎのショットだけだった。錦織のようにコース・コーナーを狙って打ち込むのではなく、100%安全なショットとしてのヘビートップスピンの場合だ。たとえば、ヴィランデルなどがよくそういうショットを打っていた。

錦織は、全米オープンの準決勝で、世界No.1で、おそらくもっとも優勝の可能性が高いプレーヤーに対して、そのショットが打てるのだ。これができるのは、私が知っている限り、錦織以外に思い当たらない。いや、今のテニスでは、そこまでリスクのあるショットを打つプレーヤーがいない。

錦織がフルショットするのは、それがリスキーではないからだ。つまり、錦織のフォームはフルショットしても狙ったところにボールを打てるフォームだということだ。そのプレーが続く限り、このゲームが3-0で錦織が勝利してもおかしくないように思う。

錦織のエピソード(2)

グランドスラム大会でここまで来ると、普段テニスを取り上げないめでぁいまで錦織を取り上げる。その結果、本当かどうか怪しいエピソードも出てくる。

どこかのWebサイトで「トップランカーになった今でも、実家に帰ると両親と一緒に公営コートでテニスをねだる」というエピソードを見た。何とも微笑ましい、そして錦織のキャラクターが出るエピソードだ。

かなり怪しいエピソードのような気もするが、一方で、家族団らんの時でも、相手が家族であってもテニスを楽しみたいというのは、錦織のキャラクターをよく表しているように思う。家族にたっぷりとハンデをつけられて負けて悔しがる錦織の表情が何となく目に浮かぶ。


2014年9月6日土曜日

錦織のエピソード(1)

錦織のグランドスラム準決勝進出は、当然のことながらメディアを賑わしている。錦織のことをよく知っているファンにはよく知られているのかもしれないエピソードが、この時とばかりにネット上のニュースで流れてくる。

錦織の原点、松江市・グリーンテニスクラブの柏井正樹コーチ(54)は、小学生時分の思い出を懐かしんだ。「ボールコントロールは100人に1人でゲームセンスも100人に1人。2つ合わせて1万人に1人の天才だった」。

興味深いエピソードだ。錦織のボールコントロールの才能は100人に一人程度だということだ。100人といえば、そのあたりの市民大会のドローぐらいだ。つまり、このエピソードは「錦織のボールコントロールの能力はその程度だった」と言っている。

一方で、ゲームセンスも100人に一人程度の能力だったと。つまり、当時の錦織はそこまでの突出した才能を持っていたわけではないということだ。

しかし、その両方を兼ね備えるとなると、それは1万人に一人となる。そうなると、それは突出した能力だ。同時に、二つの必ずしも突出いているわけではない能力を兼ね備えることが、今度は突出した才能になるということも示唆している。

錦織の才能は、そういう総合的な能力なのだ。なんと示唆的なコメントか。


2014年9月4日木曜日

Mecir’s Tennis (247) タメを作る・ボールを落とす

錦織のグランドストロークを見ていると、往年の米国選手であるアンドレ・アガシを思い出します。アガシは、いろいろな意味で、テニスのスタンダードをひっくり返したプレーヤーでした。それは、テニスのプレースタイルだけではなく、テニスウェアやライフスタイルなどを含めて。

錦織とアガシに共通するのは、その打点の高さでしょう。二人ともそれほどの長身ではなかったこともあり、打点が高いという印象があります。高いところでボールを打つということは、逆に言うとボールを落とさないと言うことです。

高い打点とかボールを落とさないというのは、では、どういうことでしょうか。

相手から飛んでくるボールを1歩後ろで打つと、一般的には打点の高さが少し低くなります。さらに下がると、さらに低くなります。前で打つか、後ろで打つかで、打点の高さはほんの少し変わります。


この高さの違いが、別のところでは本質的な意味を持つように思います。そのことを考えてみようと思います。

私なりに考えてみたのですが、ボールを落として打つというのは、「タメを作ってボールを打つ」と言うことではないかと考えています。別の表現をすると「引きつけてボールを打つ」と言うことです。立ち位置が後ろになれば、打点は低くなりますが、ボールを打つタメが作りやすくなります。

ボールが飛んできたときに、ボールに向かっていきそのままタメなしにボールをヒットするのがアガシや錦織の打ち方です。タメなしで打つというのは、0からいきなりボールを打ちに行くようなイメージですので、高度な技術です。動きの素早さ、パワー、正確さと体のバランスなど、すべてがそろわなくてはうまく打てません。錦織はベースラインの中で高い打点でボールを打つことが多いですが、それはボールを落とさないで(タメなしで)打つ場合です。

一般に安定したストロークを打つには、タメが必要です。メシールの場合で言うと、ボールがバウンドするまでに腰を回転させ、テイクバックを終了します。これがタメになります。バウンドしたところでフォワードスイングが開始するのですが、そこからインパクトまでに十分な時間が必要です。言い換えると、この時間が短いとタメが作りにくくなります。

後ろに下がりすぎると、タメを作る時間の余裕はできますが、今度は打点が低くなってしまい、ボールを持ち上げるために、また回転をかけるために,余計な力が必要になります。高い打点よりもボールに角度をつけくい(ネットする可能性が高くなるため)というのもマイナス要素です。相手に時間的余裕を与えてしまうのもよくありません。

つまり、立つ位置が前過ぎるとタメが作りにくく、後ろ過ぎるとパワーや時間のロスが大きくなります。つまり、タメが作れる範囲でできるだけ前で打つ、と言うのが理想と言うことになります。

この、バウンド位置と打つ位置の関係(距離)は自分で作るものです。勝手に「なってしまう」ものではありません。

この距離がボールごとにばらばらになると、ストロークは安定しません。ボールによって、タメのタイミングが異なるからです。一定のタイミング、一定のタメでボールを打つには、常にこの距離を意識しておき、一定のタメでボールを打つことが肝心です。

メシールのテニスでは、ストロークでのラケットスイングは下から上になります。すなわち、打点が高すぎると、ラケットを下から上に振ることができません。したがって、そのためには、ボールがバウンドする場所から一定の距離をとる必要があります。高い打点がモダンテニスのセオリーかもしれませんが、メシールテニスではそれはタメが作れない分だけ危険なのです。

ゲームでグランドストロークが不安定になってきたら、タメを作るためのボールのバウンド位置と立ち位置の関係を確認して、ボールが落ちてくるところでインパクトできているかをチェックしてみるのも有効です。

2014年全米オープン 男子準々決勝 錦織vsバブリンカ

WOWOWでの放送が朝だったので、目が覚めてから第4セットと第5セットをテレビで観た。錦織が第5セットでマッチポイントを取った時、錦織の表情がアップになった。

なるほど、勝つ人の表情はこうなんだと思った。それは、「よし、次のポイントを取れば勝てる」というような表情ではなかった。勝つか負けるかは、結果でしかない。結果を意識するのではなく、その過程を意識している表情。自分の中で次のポイントをどうとるか、次のプレーはどうするかだけを考えている表情だった。その頭の中に「勝利」という文字は全くなかっただろう。

錦織は最初のマッチポイントをものにして、バブリンカに勝利した。これまでの対戦成績が0勝2敗と分が悪い世界第4位の第4シードに、世界11位の錦織が初めて勝利したのは、全米オープン準々決勝のセンターコートという場だった。

試合直後のインタビューでも、錦織は言った。「最終セットでは何度もブレークポイントをしのいだが、最後にいきなりこちらのブレークポイントが来た。」次のゲームを取れるか、落とすか、そんな結果を起点として考える発想であればこのコメントは出てこない。

テレビ解説者の岩渕さんも言っていたが、勝利の後の振る舞いも、この試合に勝って満足というのではなく、次の試合のことを考え始めているという振る舞いだった。勝利を喜ぶのではなく、勝利に満足しながらすでに次のゲームについて考えはじめている。そういうスタンスだった。

ラオニッチとのナイトセッションでは深夜2時を超え、バブリンカとのデイセッションではナイトセッションの時間まで食い込む時間のロングゲームゲームをとなった。4時間を超える試合をハードコート上でセンターコートで戦った後、これからますます厳しくなる準決勝、決勝を戦うには、この短い間でどこまで体が回復するかが一つのポイントになると思われる。

→2014年全米オープン男子4回戦 錦織vsラオニッチ

2014年9月3日水曜日

2014年全米オープン 男子4回戦 錦織vsラオニッチ

「まだ喜べない。上まで行かないといけないというプレッシャーもかけてやっている。勝てないという相手はいないと思うので、上を向いてやりたい」

ラオニッチに勝利した錦織のコメントだ。勝てないという相手はいない、そう思えることは素晴らしい。これは、自分の型ができたという自信からきている。

誰にもで勝てると言っているのではない。自分の型で戦うことができれば、自分の能力を100%出すことができれば、どのプレーヤーにも勝利する可能性があるという意味だ。

自分の型ができたということは、テニスプレーヤーとしてというだけではなく、どの分野においても、例えばビジネスの分野、政治の分野、芸術の分野、どんな分野よりも、世界で戦う人であれば分野に関係なく幸せなことだ。

自分の型ができること、こんなに幸せなことはない。勝ち負けも大切だが、自分の型が完成していないのに勝っても、本当はそれほど嬉しくはない。幸せなのは、自分の型で戦うその瞬間だ。自分の型が世界で通用することを実感できることだ。勝ち負けは、その結果でしかない。

日本という国の中で、世界で戦う多くの「戦士」を見てきた。その中に、どれほどの「コピー」がいたことか。世界で誰かが作った型を真似しているコピー戦士が、どれほど多く日本にいるか。それを自分の型だと言い張るのは自由だが、幸せなのかどうかを決めるのはその人自身だ。

錦織のテニスの価値は、錦織がベスト10近くにいるからではない。錦織が、世界に通用すると自覚できる自分の型を作ったからだ。そのように、自分が感じることができるからだ。そういうことができるのは、ごく限られた一握りの人だけなのだから。

錦織は、準々決勝でバブリンカと対戦するそうだ。もはや、勝ち負けではない。大切なのは、自分のオリジナルなテニスがバブリンカに通用するかを知ることだ。結果を求めるのではなく、その過程を求めてほしい。