2014年11月6日木曜日

『目標の設定』についての考察

今回の記事は、あくまで私の私見である。インターネット等の報道または記事を見ての印象であるため、事実とは異なっているのかもしれない。その点をご了解いただきたい。

少し前に、錦織がトップ10に入った時だか、2014年の全米オープンで決勝に進んだ時だったか、いずれにしても飛躍的な活躍をしたときに、解説の杉山愛さんがこんなことを言っていた。

「錦織君のすごいのは、目標設定を世界のトップにおいていることだと思います。私は目標をトップ10入りにしていたから、実際にトップ10に入った後も1位を目指すという発想になれなかった。最初からトップを目指しておくべきでした。それが錦織君と私の違いだと思います。」

何かを引用しているわけではないのでうろ覚えで書いているが、発言の趣旨はおおむねこんな感じだったと思う。

その時に、こんな風に思った。「ああ、彼女がトップに立てなかったのは、目標を1位に置かなかったからではない。こういう(恥ずかしい)発言をする意識だからだ。こんな考えでトップに立てるはずはない」と。

これは、かなり辛辣な意見かもしれないが、本当にそう思った。私は不思議だったのだ。

どうして杉山さんは、こう言わないのだろうか。『錦織君は1位を目指してここまで来たが、まだ道半ばだ。これからが楽しみです。私は10位以内を目指してそれを達成できたので、十分に達成感を感じています。』

トップ10を目指すのであればそのようなアプローチがある。トップ1を目指すのであれば、また別のアプローチがある。例えば、トップ1を目指すということは、何か別のものを失うことかもしれない。例えば、今の錦織が、小さい体を使って体力のギリギリのところで戦っていることは私でもわかる。もしかしたら、錦織は目標達成と引き換えに肉体の機能の一部を失う(たとえばけがなどで)かもしれないのだ。

トップ1になるために犠牲を払っても、トップ1になれるとは限らない。自分のすべてを賭けて目指しても報われない絶望感の可能性を恐れずに挑戦する者だけが、トップ1になる資格を持っている。

100位に入れるのだから50位を目指す。50位に入れるのだから10位を目指す。10位に入れるのだから1位を目指す。そういう甘い考えの者は絶対にトップに立てない。1位になる代償を払う覚悟が最初からなければ、決してトップには立てない。

トップ1を目指すことは立派で、トップ10を目指すのは格好が悪いわけではない。大切なのは、自分が何を大切にするかだ。何に高いプライオリティーを置くかだ。

結果がすべてのプロスポーツの世界において、こんな基本的なことを理解していない杉山さんではないはずだ。あまりにがっかりしたので、思わずこういう記事を書いてしまった。


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