実際、このブログでも、メシールのプレーする映像を参考に、いろいろなセオリーを書いています。
が、スポーツのセオリーで勘違いしやすいことの一つが、多くのセオリーは「結果」を述べているのであって、「方法」について書いているわけではないということです。この違いを理解しないと、「練習はしているのになかなか上達に結びつかない!」ということになりがちです。
このブログでは、私は「脳内イメージ」という言葉をよく使います。これは、「結果」と「方法」が異なることがあることを知っているからです。
例えば、メシールのフォアハンドでは、テイクバックでラケットヘッドは5時の方向を向きます。こちらの画像を見ても、すべてのショットでラケットヘッドが5時方向を向いています。
しかし、これは「結果」です。大切なのは、この「結果」になるために、どんな「方法」があるかを考える(意識する)ことです。つまり、「脳内イメージ」というのは、まさにこの「方法」であるわけです。
「方法」は「結果」ではありません。しかし、いろいろな読み物では、例えばトッププロの写真を掲載して、その「結果」を解説します。読者は、それを読んで、何となくわかったような気がします。自分でもできるような気がします。
しかし、実は、どうすればその「結果」を実現できるのかという「方法」については、必ずしも説明されているわけではありません。「結果」を分析や解説しても、そこに至るための「方法」がわからなければ、結果を得ることができないのです。
このように「結果」と(それを実現するための)「方法」を区別して考え、よい「方法」によってよい「結果」を得るということは、意外に見落とされている点だと思います。
見る⇒走る⇒打つというように連続動作で一つのプレーが構築される(複雑な)テニスというスポーツでは、ある「結果」が次の「方法」になることもあります。
例えば、よいサーブを打つための方法として「内転が大切だ」ということが一般に言われています。確かに内転はよいサーブを打つという「結果(=目標)」ための「方法」です。
しかし、内転を実現する方法がわからない人にとっては、今度は、その内転が結果(=目標)になります。その場合には、内転を(「結果」として)実現するための「方法」が必要になります。どのような脳内イメージ(つまり「方法」)で内転という「結果」を得るのか。その説明がない限り、いくら「よいサーブを打つ(「結果」)のためには内転(「方法」)が必要です」と説明して、内転しているサーブの写真を掲載しても、意味がないのです。
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