2013年のウィンブルドンの1週目は、男女ともシードダウンが相次ぎ、波乱の様相を呈している。シードダウンと言っても、上位シードの有名選手がバタバタと敗退しているので、例年にない雰囲気が漂っている。
その中で錦織は順当にシードを守って勝ちあがっている。
メシールの「美しい」テニスを愛する私は、他の選手にも美しさを求める。美しいテニスをする選手が好きだ。
美しいテニスにもいろいろあると思うが、私が美しいと感じるのは体の使い方に関する場合が多い。理想的な、言い換えると効率的な体の使い方をするテニススタイルが好きだ。肉体のポテンシャルの高さに任せて強引な体の使い方をするフォームには、美しさを感じることだできない。
ナダルは、そのキャラクターを含めて尊敬をしているが、美しさを感じることができない。
私は、いいプレーをしているときの錦織は好きだ。それは日本人選手だからではない。日本人だから好きだというある種のナショナリズム(というほど大げさではないが)は、私には全くない。美しい選手は、美しい。それは国籍とは全く関係ない。
ただし、体型とは関係ある。日本人である錦織は世界のトッププロ選手としては、明らかに体型で見劣りする。限られた肉体の機能をフルに使い切ることができるのが、錦織の素晴らしい点だ。言い換えると、体をうまく使えなければ、錦織の将来はない。
錦織はうまく体を使う。特に、今年(2013年)の全仏、ウィンブルドンでは無駄の少ない、強引な打ち方をしない見事なフォームでボールに向かっていく。だから、つまらないミスショットが少ない。また、相手の良いボールであっても、それを上回るボールを返球することができる。
選手たちは、コートの上で、相手と戦うのではない。飛んでくるボールと戦っているのだ。飛んでくる千差万別のボール。遅いボールと速いボール。深いボールと浅いボール。素直な球質と厄介な球質。高いボールと低いボール。角度のあるボールとまっすぐに来るボール。球威の違い。回転の違い。
体を効率的に使って、この複雑怪奇で多種多様なボールに対応できるものが、最終的に勝利する。対応できるプレーヤーが、勝者というご褒美をもらえる。
私は、今年のウィンブルドンは、錦織にはそのご褒美をもらえる資格があるように思う。それほどまでに、錦織のプレーは美しくなりつつある。他の選手と比較しても、明らかに美しさが際立ってきている。
錦織が優勝できるかどうかは分からないけれど、優勝する資格があることだけは間違いない。少なくともシードは守れるだろうし、準決勝、決勝に進んでも違和感がない。
⇒ Wimbledon 2013 ナダルとフェデラーの早期敗退
⇒ Wimbledon 2013 開幕直前
0 件のコメント:
コメントを投稿