いろんなテニスがあるのだと思う。同じルールで、同じコートで戦う同じ大会の中でも、李娜とラドバンスカの準々決勝戦は、昨日観たセレナ・ウイリアムズとリシツキのゲームとは、別の競技と言ってもよいほど違った。
唐突な書き方だが、一般に男性は空間認知能力に長ける傾向があり、女性は言語能力に長ける傾向があると言われている。これを、あえてテニスに置き換えてみると面白い。
空間認知とは飛んでくるボールや自分の打つボールをどのようにイメージするかと言ってよいだろう。ボールに対する高い空間認知能は、強いボールを打つことができる強靭な肉体能力と同様に、プロテニスプレーヤーには利点となる能力だ。
一方、言語能力にたけているということは、ボールを打ち合ってポイントを取るテニスというゲームには特段の関係はないようみえる。が、実はそうでもない。そのことを、ラドバンスカの試合は教えてくれる。
女性は、一般に、言語を介して相手(他人、周りの人など)の感情や考えをくみ取る傾向があるといわれている。おしゃべりが好きなのは、どの国でも、どの人種でも、間違いなく男性よりも女性の方だ。個人差はもちろんあるものの、男性週刊誌と女性週刊誌を比べてみれば、日常の中でうわさやゴシップなど他人のことにより興味があるのは女性であることがわかる。
ラドバンスカは、明らかにこの言語能力に長けている。つまり、コートの向こう側からこちらの心理を完全に読み取ることができる。相手の気持ちを想像する能力を女性的というならば、こんなに「女性的」な女子プレーヤーがほかにいるだろうか。
李娜がフォアハンドでラケットが最後まで振りきれないと見切るや、しつこいようにフォアハンドにボールを集める。そして、なんとか李娜がフォアハンドで耐え忍んだところに、最後の一撃でバックハンドの深いボールを配球する。
李娜が守らずに攻撃する戦略に出ると、ラドバンスカは攻撃をかわす戦略に出る。李娜がラッキーポイントを重ねて2セット目を取ると、李娜の気持ちの流れを切るべくメディカルタイムアウトを取る。
観客の視点で言うと、李娜の精神状態を読み取るには、李娜の表情よりもラドバンスカのプレーを見た方が分かりやすいほどだ。李娜を応援する気持ちでゲームを見ていると、とにかくラドバンスカのプレーは「いやらしい」の一言に尽きる。
第二セットの最後に、李娜のラッキーショットが続いた。さすがのラドバンスカも、ネットインだけは予測することができない。試合は、セットオール(1-1)で第三セットに入った。李娜がラッキーショットに助けられた心理状況すら、第三セットでラドバンスカは活かすかもしれない。ラドバンスカのプレースタイルが好きなわけではないが(正直、こういう精神的な攻め方はどちらかというと好きではない)、こういうテニスもあるのだという気持ちでこの試合を最後まで見てみよう。
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それにしても、李娜はどうしてもっと体重をかけたストロークを打たないのだろうか。強引にボールをポイントに打ち込もうとする姿は、先日のセレナ・ウイリアムスのプレーとは正反対だ。特に、ラドバンスカの様なクレバーなプレーに対抗するのであれば、深く強いボールを重ねて、隙を見つけて攻撃するしか方法はないと思うのだが…。
⇒ Wimbledon 2013 どうしても何か書きたくなるプレーヤー・ラドバンスカ
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