2013年7月1日月曜日

Wimbledon 2013 セレナ・ウイリアムズの意外な姿

以前も書いたが、正直、男子の試合と比較して、女子の試合にはどうしても興味がもてない。男子の方が肉体的に優勢な分だけプレーに迫力がある、スピードがあるからではない。

私は、ほとんどの女子のプレーからは、どうしても美しさを感じることができない。

特に、ウイリアムズ姉妹、シャラポワ、アザレンカ、リシツキなどのいわゆる大型プレーヤーにはどうしても興味を持つことができない。彼女たちは、グランドストロークにおいて、まず足の位置を決めたら後は上体でボールをヒットする。下半身の動きと上半身の動きが連動せず、独立している。そこには、残念ながら、美しさはない。肉体の持つポテンシャルを引き出しきれているとは言い難い。

普段、めったに大型プレーヤーの試合を見ないのだが、今日、偶然にリシツキとセレナ・ウイリアムズの試合を見て(実はまだ試合中で結果が分からない)、意外なことに気が付いた。

セレナ・ウイリアムズは、大型プレーヤーの中でも特に上半身でボールを打つプレーヤーだと思っていたが、よく見るとそうではない。それは、セットの合間に放送されたグランドストロークのスローモーションで分かった。実は、セレナ・ウイリアムズのストロークは、かなり基本に忠実だ。

そのことは、彼女のラケットワークを見ればわかる。フォワードスイング、インパクト、フォロースルーにかけて、ラケットの動きはなめらかで無理がない。ボールをヒットした直後にボールに無理な回転をかけるのではなく、ボールを前に押し出そうという意思が見える。ボールをヒットした後、ラケット面はボールを追いかけるようにボール進行方向に移動する。

「強引」というイメージはない。むしろ、「献身的」とも言える意思が、彼女のラケットワークには見える。

実は、今、セレナ・ウイリアムズがリシツキに負けて、コートを去っていくところ。初めて見たセレナ・ウイリアムスの献身的なプレーは、リシツキにあと一歩のところで及ばなかった。私は、最終セットを見ながら「あれ?セレナ・ウイリアムズってこんなプレーをするんだっけ」と思った。

セレナ・ウイリアムズのプレーは、ストロークだけではなく、プレー全体に「強引さ」が全く消えている。正確には、消えたのかどうかは分からない。なぜなら、今まで、(美しいとは思えない)セレナ・ウイリアムズのゲームをほとんど見たことがないからだ。しかし、今までテレビのダイジェストなどで見る彼女のプレーの印象と、今見たプレーの姿は別人ほど違った。

セレナ・ウイリアムズは、強引なまでにボールを叩き、相手を打ちのめしながら勝ってきたのではなかったのか?今、コートにいるこの女子選手は、むしろ丁寧に、ボールにしっかりと体重をかけて、まさに美しいテニスをしようとしている。相手の速い球にはしっかりと腰を落とし、ラケット面をきちんと作って、ボールを打ちたい方向にしっかりとラケットを振りきる。自分のボールは無理せず、まず相手にとって打ちにくい場所に配給してから、次の攻撃を組み立てる。

私が最近見た女子選手の中で、最も基本に忠実なプレースタイルだ。

ただ、残念ながら、そのプレースタイルが十分に身についていない。きれいなテニスは、常にリスクを伴う。微妙なフットワークのずれ、スイングのタイミングのずれが、相手コートにボールが落ちる場所を左右する。強引なボールを打っていた時のようには、ボールの勢い(力)でミスしてくれない。組み立てて、自分の思う配球をして、最後に相手を仕留めるまで、展開にはミスが許されない。

そのような高度なプレーができるようには、セレナ・ウイリアムズはまだ成熟していないように見えた。しかし、それは、言い換えると、まだ彼女が成長する可能性があるという事だ。そうだとすると、それは驚くべきことだ。すでにトップを極めた選手が、さらに上を目指してメタモルフォーゼしようとしている。そんな選手が今までにいただろうか?

セレナ・ウイリアムズは、今、31歳だということで、おそらく、パワーテニスでは若い世代には対抗できなくなってきたことを知っているのだろう。もしかしたら、自分のプレースタイルを変えようとしているのかもしれない。しかも、この、ウインブルドンという大舞台で。

まさか、それが、一昨日の伊達戦後のセレナ・ウイリアムズの気持ちの変化という事はないだろう。けれども、もしかしたら…と想像するのは、楽しいことだ。セレナ・ウイリアムズが、もし、自分も40歳を超えてもウインブルドンのセンターコートに立ちたいと思ったのだとしたら。

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