2014年1月27日月曜日

Mecir's Tennis (215) 改めてフォアハンドテイクバックを考える(その2) 1980年代後半のメシールのフォアハンド

Mecir's Tennis (214) 改めてフォアハンドテイクバックを考える(その1) 1980年後半という「移行期」の続き

では、メシールはどうだったでしょうか。メシールの選択は、この中でとてもユニークだったように思います。

メシールは、この時代の最後のウッドラケットプレーヤーであったにもかかわらず、ウッドラケットのフォアハンドの呪縛にはかかっていませんでした。マッケンローやエドバーグがグラファイトラケット時代になってウッドラケットの呪縛から抜け出すことができなかったのに、ウッドラケットを使い続けたメシールは苦しまなかったことは、面白いと思いませんか?

これはどういうことかというと、メシールはジュニアのころから近代的なフォアハンドを身に着けていたということです。よく、海外の解説者がメシールの試合で「まるでクラブプレーヤーのようだ」と称していたのは、正しくありません。クラブプレーヤーの多くは、テイクバックからフォワードスイングでラケット面が開いて打つ打ち方です。そして、そのようなプレーヤーは、ほぼ間違いなくあるレベルから上に行くことはできていません。

メシールは、テイクバックで決してラケット面が開きません。言い換えると、ラケットヘッドは決して6時方向には向きません。(ましてや、7時、8時方向を向くことはありません。)

その代わりに、メシールは腰の回転を使いフォワードスイングをするわけです。ラケットでスイングしたい気持ちを抑え、フォワードスイングを腰の回転でリードします。これは、現代テニスでは誰もがすることですが、1980年代後半のテニスでは容易なことではありませんでした。飛ばないラケットであるウッドラケットのプレーヤーはむしろ腰の回転でボールを打つ習慣があるだろうと思うかもしれません。しかし、そのことよりも、ボールをラケット面に垂直に打つことでパワーを得るという習慣が邪魔をしたのです。この方法でパワーを与えるためには、フォワードスイングからラケット面が開きます。言い換えると、ラケットヘッドが6時の方向を向きます。

ウッドと比べてはるかにパワーがある(ボールが飛ぶ)グラファイトラケットの出現が、皮肉にも、イースタングリッププレーヤーを苦しめたのです。

メシールが、ラケット面の小さいウッドラケットで、なぜラケット面が開かないフォアハンドを身に着けたのかわかりません。当時のトッププロには珍しい190㎝もの長身がパワーの助けになったからかもしれません。重いウッドラケットの特性を無意識に活かそうとしていたのかもしれません。

ぜひ、本人から聞いてみたいものです。

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