ガラスに入っていて触ることができなかった(触りたかった…)のですが、外から見る限り、ラケットはウッドでした。メシールが最初のころに使っていたラケットはこれです。スミド(Tomas Smid)、ゴッドフリード(Brian Gottfried)やゲルライテス(Vitas Gerulaitis)が使っていたモデルです。
その後、ランキングがあがりトップランカーになってからは、深い緑色の「メシールモデル」の様なデザインのラケットを使っていました。
恐らく、このウッドラケットは市販されていなかったと思います。と言うのは、このラケットとそっくりのデザインのぐらファイルモデルが市販されていたからです。実は、私も1本持っています。(写真は、そのうち、このブログに載せます。このラケットは、今なら立派なビンテージかもしれません。)
恐らく、このウッドラケットは市販されていなかったと思います。と言うのは、このラケットとそっくりのデザインのぐらファイルモデルが市販されていたからです。実は、私も1本持っています。(写真は、そのうち、このブログに載せます。このラケットは、今なら立派なビンテージかもしれません。)
つまり、スノワート社は、売れないウッドラケットではなく、そっくりのペイントジョブのモデルをメシールモデルとして、販売していたのだと思います。
実は、今年の4月に、もう一度、ブラチスラバに行くかもしれません。もちろん、その時は、スロバキアテニス協会を再訪してみようと思っています。今度は、レストランの人に、このラケットを触らせてほしいとお願いしてみようかな…。
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