2012年2月9日木曜日

2012年再びブラチスラバへ(2) ブラチスラバの街

2012年再びブラチスラバへ(1) ナショナルテニスセンター訪問の続編です。今回は、テニスとは関係のない、ブラチスラバの街の様子についてです。以前(2011年)にもレポートしているので、重なる内容も多いのですが…。

まずは、ナショナルテニスセンターそばの道路で撮影した写真です。目立つビルがありますが、何のビルなのでしょうか。


写真ではわからないと思いますが、実は、すごく寒かったです。寒くて寒くて、よく市民は道を歩いているなあと感心しました。私も結構な防寒装備だったのですが…。


こうやって写真を並べただけでは、あの寒さが全然伝わらないのが不思議です。これで、-8度ぐらいだそうなので、もっと寒いとどうなるのでしょうか。ナショナルテニスセンターは、この写真の左の方にあります。左前方に照明が見えますが、これは、サッカー場の照明です。おそらく、ブラチスラバで(ということはスロバキアで)一番大きなスタジアムだと思います。


写真をいくら並べても、あの寒さは伝わらないですね。こんな寒い街で生活をしている人たちの暮らしはどんななのだろうと、ふと思いました。


時間が前後するのですが、上の写真は、夜のブラチスラバの街の様子です。ナショナルテニスセンターのそばの電停で撮影しました。街は、特別な場所を除くと、いや、一番賑やかなところですら、こんな感じです。暗くて静かで…。言い換えると、街中にはにぎやかなところはない、と言ってもよいかもしれません。どんな街でも、人が、若者がたむろして騒いでいる場所があると思うのですが、ブラチスラバには、少なくとも建物の外には、そんな場所がないのではないかと思います。これも、気温が低く、寒いからでしょうか…?それだけではなく、スロバキアの人の気質のようにも思うのです。

時間になったので、ブラチスラバ中央駅(Railway Station)に戻りました。実は、前回も同じ体験をしているのですが、駅になかなか戻れないのです。市内にはバスと路面電車が走っているのですが、路線が複雑で、しかもマップにすべての電停名が入っていないので…どこで何に乗り換えたらよいのかが分からない。悪戦苦闘して、車内で声をかけてくれたおばさん(ありがとうございました!)に助けてもらったりしながら、2回乗り換えて、なんとか駅に向かうことができました。(201とか206とかいう駅を通る巡回路線があるのは、京都みたいですね(笑)。)


下の写真は、やっとたどり着いた、ブラチスラバ中央駅の駅舎の様子です。ええと…一つの国の首都の中央駅で、こんなに小さな駅は、珍しいのではないでしょうか。日本でいえば、金沢駅の方がはるかに大きい駅です。比較するなら、愛媛の松山駅ぐらいの感じです。(松山市で一番賑やかなのは、実は、私鉄の松山市駅です。)



プラットホームの数も少なく(6番線までだったように思います)、電車の本数も上の写真ような感じです。REX 22:46というのがありますが、私が乗ったのはひとつ前の便(左側で、写真で見づらい)で、20:46発です。この時間は、ウィーンへの便は2時間に1本ということになります。そして、駅を発車する本数も、全部あわせても1時間に3,4本程度だということが分かると思います。


時間が余ってしまい、駅舎の2階の待合室で、1時間ぐらい待つことになりました。上の写真は、待合室の入り口です。時差ボケですぐに眠くなってしまい、椅子に座ってうとうとしていると…、警察官が来て私を起こし、「寝てはいけない、切符を見せなさい」と。どうして寝てはいけないのかよく分かりませんでしたが、ホームレス対策なのでしょうか?そういえば、ブラチスラバでは、ホームレスを見かけることはありませんでした。(ウィーンでは見かけました。)もちろん、この寒さでは、道で生活することは絶対にできませんが…。



上の写真は、駅の外の様子です。駅の周りも、暗くてさびしいのです。やはり、JR松山駅前を思い出しました。(繰り返しますが、松山市駅前は、にぎやかです。)しかも、「暗い」のです。この感じは、これまでに私が行ったことがある街でいうと、ウクライナのキエフやドイツのベルリン(ただし、旧東ドイツ側)を思い出します。旧共産圏の街は、どこも、この「暗さ」が夜になると際立ちます。(キエフは、にぎやかなところはそんなには暗くなかったかもしれません。)



さて、ウィーンに帰る電車(REX)に乗りました。(ウィーンからブラチスラバに入ったのです。)約50分の小旅行です。REXの中の様子。お客さんは多くはありませんでした。途中で二回も「切符拝見」をされましたが、どうやら、スロバキアとオーストリアと、乗務員が代わるようです。

二つの国の首都を移動することを考えると、あまりにも短い列車の旅ですね。17ユーロの往復チケットで、片道1時間足らず。大阪・名古屋間よりも近い首都間の旅でした。

ウィーンからの日帰りのブラチスラバ訪問ですが、スロバキアでは、日本人はもちろん、アジア人を見かけることもありませんでした。日本からは遠い国、スロバキアです。帰りの電車の中では、現地の人に「ニイハオ」と声をかけられました(笑)。

2012年2月8日水曜日

2012年再びブラチスラバへ(1) ナショナルテニスセンター訪問


2012年再びブラチスラバへ(2) はこちら


昨年も訪れたスロバキアの首都ブラチスラバに、今年も来ました。ブラチスラバ駅の待合室は、Free WiFiがあるので、持参したラップトップPCをインターネット接続して、待合室で書いています。つまり、まだ、これを書いている今、まだ、ブラチスラバにいます。

今回、ブラチスラバのナショナルテニスセンターである、Sibamac Arena(アリーナ)に行ってきました。スロバキアのテニスの中心的な会場です。下の写真はアリーナの外観です。写真からではわかりにくいと思いますが、気温は-8度で、「耳が切れるほど寒い」という言葉がぴったりの寒さでした。バスを降りて会場まで歩く間、本当に耳が切れるかと思いました。



アリーナの建物の中は複数階になっていて、外から見た以上に大きな建物でした。で、それぞれの階にテニスコートがありました。特に1階は、観客席がある多目的会場があり、今日はバトミントンで使っていました。イベントがあるときは、イベント会場になりそうです。

今日は2012年2月7日なのですが、実は2月4日~5日に、FedCupがあったようなのです。(日本でも同じ日にやっていましたね。ちなみに、日本が勝った相手は、紛らわしいですが、スロベニアです。スロバキアではありません。)

下の写真にあるように、アリーナの2階にもテニスコートがあります。2階だけで、全部で5、6面あり、ハード(カーペットかも?)のサーフェスでした。一般の人がテニスを楽しんでいましたが、平日の午後(夜ではない)ですので、特別な人たちなのかもしれません。ジュニアが練習しているコートもありました。



下の写真は、アリーナのすぐ横のテニスコートです。かなりの面数があり、雪のない季節には練習や試合をしているのだと思います。ほとんどのコートは雪をかぶって使えない状態ですが、数面だけ、エアドームになっているコートがありました。おそらく、エアドームは雪の季節だけ使っているのだと思います。コートの中をのぞいてみましたが、ジュニアや一般の人たちが練習をしていました。スロバキアでは、テニスがどのぐらいポピュラーなスポーツなのかはわかりませんが、この寒い中でも、平日の昼間からテニスを楽しむ人がいることは、間違いなさそうです。エアドームは、写真で分かりませんが向こう側にも1つあり、全部で2つでした。エアドームの中は、下の写真のような感じで、屋根は低いですが、テニスは十分にできる広さでした。

敷地内のコートのそばに、小さな、4階建てか5階建ての建物があります。よく分らないのですが、どうも、スロバキアのテニス協会の建物のようなのです。言葉がわからないのですが、事務室(事務局?)のような部屋があり、「もしかしてこの部屋の中に…」などという、もう、全くミーハーな気持ちになったりもしました。



この建物の2階にはレストラン(パブという方が正しいかも)があり、10時から22時まで(こんな事務局ようなビルの中で、ずいぶんと遅くまでやっているレストランですね)と開いていたので、入って、ビールを飲んで店内をうろうろしてみました。テニスの写真やラケットなどが飾ってある中で、ふと見ると、ミロスラフ・メシールが使っていたラケットが、サイン入りで飾ってありました。ガットが切れているので、使い終わったものを”寄付”したのでしょう。




他にも、いろいろな選手のラケットがサインと一緒に展示してありましたが、このラケットだけがガラスケースに入っていました。やはり、どうやら、メシールは、今でもこの国のテニス関係者の中では、今でも特別な存在のようです。それはそうですね。オリンピックで優勝したという実績は、スロバキアのテニス選手としては異彩を放っているでしょうから。ネット上で、以前、テニスの大会のストリンガー経験者が、「メシールのラケットは、異様なほど重かった」と書いているのを見たことがあります。私自身は今、400gぐらいの重さのラケットを使っているのですが、メシールのラケットがどれほど重いのか、体験してみたかったのですが、残念です。

廊下には、上のようなこんな「おふざけ」ポスターがありました。現役を引退してずいぶんになるメシールが、いまだ「センター」にいるのは、逆にちょっとさびしいようにも思います。おそらく、今でも、スロバキアテニス界の精神的支柱になっているのでしょう。



さて、アリーナの中です。いろいろな展示がありましたが、貢献が大きかった人の名前のパネル(表彰者パネルのようなもの?)があり、もちろん、ミロスラフ・メシールの名前もあります。また、アリーナの1階には、表彰パネルの他にもテニスショップ(なぜかボルクルのラケットばかり売っていました)やレストランがありました。stageというそのレストランで、一人で夕食を食べました。


スープは、以前も書いたことがありますが、まずいわけではないのですが、家庭で作ったようなあまり工夫のない、シンプルなコンソメの味付けのスープでした。(この、細い麺と人参が入った野菜スープは、スロバキアのポピュラーなスープの一つのようです。ゼレニノヴァー・ポリエウカ (Zeleninová polievka)という名前だそうです。)ネットで見ると、スロバキアではカプストニカ(Kapustnica)という燻製の豚肉ソーセージ、キャベツ、きのこの入った温かいスープが有名だとか。食べ損ねました。



メインディッシュはサーモンにしたのですが、こちらは料理に工夫があり、とてもおいしく、また量も多かったです。(下の写真ではあまり大きく見えませんが、このサーモン、結構な分量がありました。)ただ、これは特にスロバキアの料理というわけではなさそうです。


ビールもあわせて、17ユーロぐらいでした。

(2)ブラチスラバの街に続く。