2011年12月30日金曜日

メシールのテニス(54) レディーポジションにおけるラケットの位置(ラケットヘッドの向き)

今回は、レディーポジションにおけるラケットの位置(ラケットヘッドの向き)について書きます。

テニスでは、初心者があるレベル以上になると、レディーポジションでは、必ずラケットを両手で持つようになります。

いきなり余談ですが、市民大会やその他の機会に、初めての相手と対戦することがあります。その相手の技術レベルを早く理解することが、ゲームを有利に運ぶポイントの一つです。(相手を過小評価しても、過大評価しても、試合にとってよいことはありません。)

私程度(中級~中上級)のレベルの場合、レディーポジションにおいて片手でラケットもつ相手であれば、まず負けることはありません。これは、とても分かりやすい「相手の技量を判断する指標」の一つです。

さて、このレディーポジションでのラケットの位置について考えます。

図を見てください。ラケットヘッドが、10時の方向を向いているか、0時の方向を向いているか(図では0時少し前になっていますが。)。メシールのテニスでは、0時の方向が正解です。0時の方向にラケットヘッドが向いているのは、フォアハンド・バックハンドのバランスという意味で当然のように思いますが、メシールの場合は、もう一つ、フォアハンドストロークにおいて、とても重要な理由があります。

それは、フォアハンドデーボディーターンを使ってテイクバックを取るかどうか、ということです。メシールのテニス(53)において、テイクバックが3段階からなることを書きました。この2段階目から3段階目でのテイクバックは、右図に示すように直線状になります。ラケットヘッドが下を向いたまま体のそばを直前上に通ります。

体の横(3時側)でラケットが直前上に移動するためには、図に示すように、レディーポジションでラケットヘッドが左(10時方向)を向いているのはまずいのです。この場合は、ボディーターンがそのままテイクバックになりますので、どうしても、ラケットは体のそばを通らず、体の軸を中心に円状に回転してしまうからです。

ラケットヘッドが0時方向を向いていると、テイクバック第1段階でボディーターン(足と腰だけを回転:肩や腕は回転しない)で図の☆のところまで体を回転させたあと、第2段階から第3段階へと肩と腕を使ってラケットを後ろに引きます。これにより、直線状にテイクバックを取ることができます。これがメシールのフォアハンドのテイクバックのシーケンス(手順)です。

2011年12月26日月曜日

メシールのテニス(53) 訂正 ←メシールのテニス(52)基本中の基本

「メシールのテニス(52) 基本中の基本」で、以下のように書きました。

②フォアハンドのテイクバックでは、ラケットヘッドを下げない(むしろ上を向けるイメージ)です。スイング全体でラケット面を「縦に使う」という意識が有効です。面を横にしてスイングすると、スイングが横振りになります。メシールのフォアハンドは、「縦振り」なのです。

あまりに大きな間違いなので、訂正します。

メシールのフォアハンドでは、テイクバックでは、ラケットヘッドは下を向きます。これは、絶対に守らねばなりません。(なぜ、上のように書いてしまったのだろう?)

これに従って、腕(特に手首から肘まで)は水平よりも下向きになります。

テイクバックは、3段階からなります。

第1段階は、足と腰を回す(肩と腕は回さない)段階です。第2段階は、肩を回します。腕も、引き始めます。第3段階は、腕のテイクバックです。体の後ろの方で、腕をある程度自由に使い、テイクバックをします。この時、ボールのタイミングに合わせてループ状(場合によっては直線状)に腕をまわします。

ラケットヘッドが下を向くのは、主に、第2段階です。(第1段階でも下を向き始めてもよいですが。)この段階で、ヘッドが下を向くことが、第3段階、さらにはインパクトに対して、重要な意味を持ちます。これについては、分析がまだできていないので、理解できたらまた書こうと思います。

ちょっと気になって、フェデラージョコビッチリ・ナのスイング(スローモーション)をYoutubeで見たのですが、テイクバックで、ラケットヘッドはみんな上を向いています。たまに、メシールに似ていると言われるマレーですら、全く、ラケットヘッドは上を向いています。

現代テニスから見たら、すでに、メシールは前世代のテニスということになるかもしれません。しかし、アマチュアテニスから見たら、十分に使えるフォームですし、また、だからこそ「美しい」のかもしれません。

なお、注意すべきこととしては、第3段階においては、ラケットヘッドは上を向いても構わないのです。そうしないと、第3段階でラケットはループを描くことが出いません。ラケットヘッドが下を向くのは、あくまで第2段階の話です。

2011年12月19日月曜日

メシールのテニス(52) 基本中の基本

今回、2つの、基本中の基本を書きます。これらは、メシールのテニスというよりも、フラット(またはフラットドライブ)系プレーヤーにとっては、基本中の基本です。

こんな基本ができていなくても、中級ぐらいのゲームでは勝てるのですが、あるレベル以上には絶対になれないという、まさにその典型例と言ってよいでしょう。

①スイング始動について:スイングの始動を、肩や腕から始めてはなりません。足と腰の回転からスタートせねばなりません。テニススクールの初心者クラスで、一番最初に習うのが、「まず横を向いて、それからラケットを引く」というレッスンです。この、基本中の基本が、実は、とても重要なことです。まず横を向く(足と腰を回す)。次にラケットを引く(肩を回す)。フォアハンドも、バックハンドも、この点では同じです。(私は、バックハンドはできているが、フォアハンドが、これが守られていない。)
メシールがラケットを両手で持ってテイクバックするのは、ある点では、これを徹底するためです。ラケットを両手で持つ限りは、肩を回すことができない(難しい)ので、足と腰を回して、ボールを打つ場所と体勢になるまでは、ラケットを両手で持つのがよいのです。そこから、肩甲骨(肩)を回して、テイクバックを始めるのです。

ここから先は、私の脳内イメージですが、フォアハンドでは、ラケット面が今どこにあるかを意識するのがコツだと、最近気が付きました。スイングの間、テイクバックからフォワードスイングで、ラケット面の位置と向きを意識し続けるのです。ラケット面とその方向が正しくないと、ボールはラケット面に厚く当たりません。厚い当たりは、メシールのグランドストロークの基本です。(スピンボールであっても!)

今回の話題は以上ですが、そのほか、気が付いた点を、メモしておきます。

②フォアハンドのテイクバックでは、ラケットヘッドを下げない(むしろ上を向けるイメージ)です。スイング全体でラケット面を「縦に使う」という意識が有効です。面を横にしてスイングすると、スイングが横振りになります。メシールのフォアハンドは、「縦振り」なのです。

③ボレーのときには、肘を伸ばしきってはいけません。ドライブボレーも同じです。これらのショットでは、肘に余裕を持たせます。それによって、柔軟性があり、ミスの少ないショットになります。

2011年11月30日水曜日

メシールのテニス(51) レシーブの構え

意外に注意を払っていないレシーブの構え。大切なことは、テイクバックにスムーズに入ることができる位置に、ラケットと腕を置いておくことです。

言い換えると、そのまま体をひねればテイクバックになる場所に、ラケットを位置させるのです。

ヘッドが下を向きすぎても、上を向きすぎても、いけません。

相手のサーブが速い場合は、特に、リターンは一瞬の出来事です。0.1秒も(いや、0.01秒も)無駄にはできません。そのままテイクバックができる位置にラケットをセットして構える、ということが鉄則です。

メシールの場合、グランドストロークでは、フォアハンドもバックハンドも、肘が伸びきることはありません。(フォロースルーですら、完全に伸びません。)

したがって、レシーブのレディーポジションでは、当然、腕は緩やかに曲げます。ラケットヘッドは、下を向きません。まっすぐやや上向きぐらいになります。

このまま、体をひねれば、テイクバックになります。

2011年11月22日火曜日

メシールのテニス(50) スイングにおける下半身の役割

メシールのテニスも、いろいろと書いている間に、ついに50回まで来ました。正しいことも、正しくないことも、また、どちらとも言えないことも、いろいろ書きました。いつか、これらを整理して、まとめようと思っています。

さて、今回は、グランドストロークにおいて、下半身(足)の果たす役割について考えてみたいと思います。

メシールのグランドストロークの美しさの一つは、上体の安定性です。上体の安定性は、がっしりとした下半身に支えられている…と書くのは簡単です。また、読む側も、わかったような気になっています。

しかし、がっしりと下半身を固定しては、ボールを打つことができません。上体だけでボールを打つことになってしまいます。

実は、メシールの場合、その逆です。

メシールのグランドストロークでは、利き足(フォアハンドは右足、バックハンドは左足)が軸となり、いろいろな仕事をしています。

①まずは、ボールと体の距離を適確にとるのは、利き足の仕事です。ボールが飛んでくると、まずは、利き足でボールとの間合いを取ります

②テイクバック、フォワードスイングは、すべて足がリードしています。腕ではありません。足でラケットを引き、足でラケットを振ります。上体、特に腕は、それに合わせて動いているだけです。言い換えると、上体だけでボールを打つことは、メシールのグランドストロークではありえません

フォワードスイングでは、地面を押すことで、ボールに体重を乗せます。これによって、インパクトポイントも前の方になります。地面を押すという感覚は、地面を蹴るというほどではありません。しっかりと押し出す、というイメージです。

一言でまとめると、メシールのグランドストロークは、下半身でボールを打ちます。上半身は、下半身の動きに導かれてボールを打っているだけです。上半身の力でボールをヒットするのでありませんので、上半身は、ブレが少ないように、できるだけ安定していることが重要です。これが、メシールのグランドストロークにおいて、上体が地面に垂直に維持されている理由です。

上体がぶれないためには、上体を立てておくのが一番安定しているということです。下半身主導の打ち方であれば、それが可能です。

私は、情けないことに、メシールのテニスを50回も分析をしてきて、こんなに大切なことに気が付いていませんでした。情けない限りです。

上体の使い方、スイングの仕方にばかり目を取られて、下半身の重要性を見逃していたのです。そして、メシールのプレースタイルで、上体が立っている(安定している)本当の理由が、わかっていなかったのです。

確かに、下半身をがっしりと固定することで上体を安定させようと試みたことはありますが、当然、それは、失敗でした。相撲の四股(しこ)になってしまったのです。しかし、その先について、考えることをしていませんでした。なぜ、メシールのプレーでは、あれほどまでに、上体が安定しているのかについて。

コート上において、メシールは、下半身でボールを見ていたに違いありません。上半身(特に腕)の使い方は、本能的なものでしょう。脳や目とつながっていたのは、上体ではなく、下半身だったのです。

2011年11月20日日曜日

テニスの基本四原則(中級から中上級にステップアップするために)

(原稿を書きなおしました。)

このブログを読まれている方には、おそらく、私ぐらいのレベルの方もおられると思います。上級というほどではないけれど、単なる遊びでテニスしているのではなく、常に上達を目指している人。テニスが上手になりたいと心から願っている人です。全米テニス協会評価プログラム(NTRP)でいうところの4.0以上(でも5.0にはいかない)程度のプレーヤーですね。

私のレベルは、正式にレイティングをしてもらったことはないのですが、おそらく、4..5程度ではないかと思います。(最近の私の戦績はこちらです。)

この程度を中上級と呼ぶとして、では、中級が中上級に上がるために必要なことはなんでしょうか。私のレベルを(中級の人にはほとんど負けなくなったので)中上級とすると、自分自身が中級から中上級にステップアップした時に、必要だった四原則をまとめてみました。

それは、①まず、足を動かして、ボールとの距離がよいところにポジションする(ステップワーク)、②テイクバックを早く引く(ただし、ステップワークと並行してラケットを引くこと)、③インパクトではボールを見て、その後、(自分の打ったボールを見ずに)相手を見る、④ボールを打った後に大きなフォロースルーを取っている、の四つです。

今更ながらの基本的な四項目ですが、もし、あなたが中級だとして、本当、常にコート上で、この原則が守れていますか?一度、よく思い出してみていください。実は、きっと…。

四原則がきちんと守れれば、中級から抜け出せると確信しています。それには、理由があります。

シングルスのゲーム(草大会など)をたくさんしていると、ゲーム前に相手の技量を確認することは、戦略上、有効です。特に、(まれにある)4ゲームマッチなどは、あっという間にゲームの流れができてしまうからです。

相手の技量をはかる際に、私は、相手の打つボールの速さは、全く気にしません。むしろ、適当にボールが速い方がありがたいぐらいです。速いと言っても、たかが知れています。私が取れないほどのスピードのある球を打つプレーヤーは、こんなところにはいない(もっと、上位ランクの試合に出ている)のです。

私がゲーム前に、相手を確かめるのは、上の四原則と、フォアハンドの左手の使い方の4点です。この4点で、おおよそ、相手の技量は想像できます。試合前の練習で、打つ球は速くてもテイクバックが遅く、左手をうまく使えていない(=右手でボールを打っている)人は、あまり心配する必要はありません。恐れるに足りず、という感じでしょうか。

ちょっと見かけた感じでは上手そうに見えるけれども、実は恐れるに足らず、という人が、実は、コート上には結構多いのです。

逆に、早いテイクバックからしっかりボールを見ながらインパクトしている人をみると、その人のボールがそれほど速くなくても、いや~な感じがします(笑)。そして、そういう相手とのゲームは、結果的には、たいてい”大変なことに”なります(笑)。まして、その時に打つボールが速かったりすると…たいていは、”ひどい目に”あいます(笑)。

言い換えると、基本四原則+フォアハンドで左腕をうまく使えていれば、中級レベルからレベルアップできるということです。そんなに難しい話ではありません。私と同じようなレベルの方は、ぜひ、コート上で試してみてください。効果テキメンだと思います。

2011年11月13日日曜日

ラケットインプレッション ダンロップ社NEOMAX2000 (続編) 「柔らかくてローパワーで、ラケット面が手ごろな大きさ」

このブログでラケットインプレッション ダンロップ社NEOMAX2000を書いてから約2週間がたちました。その間、練習やゲームで、このラケットをずっと使っています。試す意味もありますが、これまで使ってきたラケットと比較しても使いやすいからです。

使い続けてみた印象としては、最初のイメージ通りのラケットで、今のところ、何の不満もありません。一言でいうと、「とても気に入っています」ということです。

MAX200Gと似た、鈍く振動吸収性が高い(やわらかい)打球感は、ラケットインプレッション ダンロップ社NEOMAX2000に書いた時から変わっていません。ラケット面が小さく、今となっては取り回しが難しいMAX200Gよりも、このラケットの方がより「よい(=使いやすい)」ラケットだと思います。

比較対象になりにくいかもしれませんが、私がそれまで使っていたWilson K-Fiveとラケット面サイズは同じですが、K-Fiveはボールが飛びすぎる(パワーがありすぎる)ので、ラケットを振りきることができないという弱点がありました。

K-Fiveはラケットのパワーがありすぎるので、インパクトでスイングを止めてしまうような(実際にはスイングを止めるわけではないのですが)打ち方になっていました。ラケット面が少しずれるだけでネットしたりバックアウトしたりするため、インパクトで力を加減してしまい、その結果、大きなフォロースルーを取れないような打ち方に、無意識の間になってしまっていたのでしょう。

このよくない傾向は、練習よりもゲームにおいて顕著です。ゲームでは、ミスをしないことが最優先するからです。飛びすぎ(バックアウト)が怖くて、腕が「ビビってしまう」という状態です。そうならないように、できるだけガットを硬めに張っても、結果は変わりませんでした。(これは、おそらく、私が、ラケットにおもりを貼って360~370gという重いラケットにしていることも、理由の一つだと思います。)

だからと言って、硬い感触のローパワーラケットは、私には向いていません。私は、フラット(フラットドライブ)でボールを運ぶ打ち方をします。ローパワーラケットで速いスイングでラケットを振りまわして強いスピンボールを打つことは、フラット系の私には難しいのです。

NEOMAX2000は、K-Fiveのような「飛びすぎる」という感じはしません。しかし、打球感は、他のローパワーラケットほどは難くはありません。

「柔らかくてローパワーで、ラケット面が手ごろな大きさ」という、私には理想的なラケットです。(実は、このイメージのラケットを探している方は、意外に多いのではないでしょうか?)

この感じは、MAX200Gと同じです。が、MAX200Gはラケット面が小さいため、NEOMAX2000と比較すると「飛ばなさすぎる」印象でした。NEOMAX2000は、程よくボールが飛んでくれます。

今、私がMAX200Gを使うと、実は、ボレーミスが多発します。理由は簡単で、ラケット面が小さいからです。NEOMAX2000では(ラケット面サイズのおかげで)ほかのミッドサイズのラケットと同じように安定してボレーを打つことができます。この点も、MAX200Gよりも気に入っている理由です。(ただし、他のミッドラケットと比較してボレーが飛躍的に打ちやすくなったとも思いませんが。)

ProkennexのRedondo Midもよいラケットなのですが、NEOMAX2000と比べると、フレームがやや硬い感じがするのです。(スイートスポットでボールをヒットした時には、その硬さはあまり感じませんが。)ラケット面が少し小さいからなのか、80%のグラファイト素材に対してケブラーが20%ほど混ざっているからなのか…。(同じProkennexでも、C1 ProTourの方は、ケブラーが混ざっていないかもしれません。このラケットは打ったことがないので、よく分からないのですが。もしかしたら、C1 ProTourはNEOMAX2000にやや似た打球感かもしれません。とはいえ、このNEOMAX2000の振動吸収性は真似できないでしょうが。)

ということで、当分は、いや今後は、K-FiveやProkennexのRedondo Midよりも、NEOMAX2000を使っていくことになりそうです。このラケット、かなり気に入りました。

以上、NEOMAX2000使用レポートの続報でした。

2011年11月1日火曜日

フラットドライブ系プレーヤーがやわらかいラケットが好きな理由

ご存知の方もおられるかもしれませんが、ミロスラフ・メシールは、実は、ウッドラケットでシングルスの優勝した最後のプレーヤーとして記録(記憶)されています。メシール自身は、選手時代のインタビューで「グラファイトのラケットも使ってみたけれど、子どものころから使い慣れたウッドのラケットを換えることはできなかった」とコメントしています。

メシールは、なぜ、ウッドのラケットにこだわったのでしょうか。私は、それは、ウッドラケットが振動吸収性の高いラケットだったからだと考えています。メシールのようなフラットドライブ系プレーヤーは、本質的に、柔らかく振動吸収性が高いラケットを好む傾向にあると思っています。

Dunlop社のNEOMAX2000のインプレを書いた際に、NEOMAX2000は、私の個人的な印象ですが、打球感がかつてのMAX200Gに似ており、「振動が少なく、鈍く厚い打球感」と表現しました。この打球感は、どうやって作られるのかなぁ…と考えていたのですが、ふと、思ったのが、運動量保存の法則とエネルギー保存の法則です。この2つの物理法則と「少ない振動・鈍く厚い打球感」がどんな関係にあるのかを、今回、考察してみようと思います。

さて、私のようなフラット(フラットドライブ)系のボールを打つ場合には、自分の打った球に順回転をかけることは主目的にはなりません。ボールの速度(移動速度)が重要です。一方、相手の打った球は、速度と回転を両方持っています。特に、相手がスピナーの場合は、回転の比重がその分大きくなります。

相手のボール(速度と回転)を自分のボール(速度中心)にして打ち返したいのが、フラットドライブ系のストロークの目的となります。「いかに相手のボールの速度を利用しながら、しかしボールの回転を殺すか」が、フラットドライブ系の課題になるわけです。

運動量については、重いラケットでボール方向に垂直にラケット面を作り、ボール方向にスイングする(ボール進行方向とラケット面が移動する方向が一直線になる)と保存できます。つまり、このようにラケットを振るお、相手のボールの速度と同じ速度(またはそれよりも速い速度)でボールを打ちかえすことができます。ラケットが(ボールの重さと比べて)重ければ重いほど、速度を作りやすくなります。(ラケットが重いと、その分だけ体や腕に対する負担が大きくなるので、ラケットが重ければよいというわけでもありませんが。)

回転については、スピン系ボールをフラットドライブ系ボールで打ち返すことを考えると、相手のボールと自分のボールは回転方向が逆になります。つまり、相手のボールの回転をすべて吸収して、さらに、それとは逆の回転をかけることになります。

その方法は、おおざっぱにいうと、①順回転方向にボールを打つことで相手のボールの回転を逆の回転にする、②ラケットでボールの回転エネルギーを吸収する、の2つがあり得ます。②では、相手のボールの回転を逆回転にすることはできませんが、回転を0にすることは(理屈上は)できます。

多くのスピン系のプレーヤーは、①を行うために、ラケットをボールに対してこすり上げます。フラットドライブ系プレーヤーも、①が中心となりますが、ラケットが②を行ってくれるとその分だけスイングは楽になります。

さて、ここからが本題です。私がMAX200GやNEOMAX200Gなどの振動吸収系ラケットが好きな理由は、もしかしたら、上の②の仕事をラケットがしてくれるからなのではないかと思ったのです。振動吸収とは、実は、ボールの回転吸収なのではないかと。これらのDunlop社のラケットにかかわらず、一般的に、フレームの柔らかい(振動吸収系の)ラケットは、相手のボールの回転エネルギーを吸収しやすいと(直観的には)思います。

ただし、ボールのエネルギーを吸収するラケットは、欠点もいくつかあります。

一つは、ボールの回転エネルギーと同時に、運動エネルギーも吸収してしまうということです。つまり、相手の打ったボールの速度も吸収してしまうということです。速度を吸収してしまうと、その分、速いボールを打てません。その際に役に立つのが、ラケットの重さです。運動エネルギーを吸収してもボールに反対方向の速度を与えるためには、ラケット自身が重ければその分だけ容易になります。(運動エネルギーは吸収しても、運動量は保存できるからです。)

もう一つは、ボールの回転エネルギーをラケットが吸収した際に、そのエネルギーはどこに行くのかということです。フラットドライブ系プレーヤーにとってはエネルギー吸収系ラケットは望ましいかもしれませんが、ラケットが吸収したエネルギーが振動として腕に伝わってしまうと、テニスエルボなどの故障の原因となってしまいます。

ラケットが吸収したエネルギーをどのように振動エネルギーとしてラケット内で消費するかという技術は、私にはよく分かりません。が、時々、ラケットの振動吸収をアピールするラケットの広告(振動が急激に小さくなるグラフなど)を見ると、そういう技術があるのだと思います。

この話は、おそらく、スポーツ学などでは常識的な(基本的な)話かもしれません。また、理屈と実際は、実はかなり一致しないのかもしれません。

が、フラット系グランドストロークの私が、どうして、NEOMAX2000のような「柔らかくて振動吸収性の高いラケット」が好きで、それに鉛をべたべたと貼って使っているのかを考えると、物理の理屈とは見事に一致します。今まで、無意識に、物理法則を考えてラケットを選んでいたのかもしれません。

理屈にも合うのですから、NEOMAX2000が、ますます好きになりそうです(笑)。

2011年10月30日日曜日

ラケットインプレッション ダンロップ社NEOMAX2000

このブログでは珍しい、テニスラケットのインプレです。

私は20代のころ(1980年代後半)にMAX200Gを使っていたのですが、それから15年間ほど(1993年~2008年)、仕事の関係でラケットに触ることがありませんでした。2008年にテニスを再開した時に、使い慣れており、しかも気に入っていたMAX200Gに近いイメージのラケット探したのですが、なかなか見つかりませんでした。(以前はストリングスのメーカーだったバボラのラケットがショップを席巻していたのには、驚きました。)ダンロップ社のRIMシリーズ(私が使ったのはダイアクラスター・リム2.5)がやや近い感触だったのですが、RIMシリーズそのものが販売終了した後でしたので、中古市場にあるものしか手に入りませんでした。

その後もずっと、MAX200Gに近い感触のラケットを探していたのですが、なかなか見つかりませんでした。今どきのテニスには向いていないタイプのラケットですから、もう、販売されることはないだろうと諦めていたのですが、1か月ほど前(2011年9月)にダンロップのネオマックス2000(Dunlop NEOMAX2000)販売開始の記事を見て、「これは!」と期待しました。楽天オープンのときにダンロップ社のブースで現物を見て、やはり求めていたラケットだと直感し、試打もせずに注文したのです。

そのラケットが、今日、届きました。早速、コートで試しに打ってみました。(実は、草大会のダブルスの試合で、練習もなしで、いきなりゲームで使ってみたのですが(笑)。)

ガットは、Wilson NXT 16を56ポンドで張ってもらいました。グリップサイズは2です。私は、普段から重いラケットを使うのですが、今回もラケットのトップ側に鉛を貼り、重さを(ガット張上がりで)375g程度にしました。

ゲームで使っただけで、まだ、十分に打ち込んでいないのですが、ネット上にもまだほとんど流れていないようですので、このラケットのインプレッションを報告しようと思います。(もちろん、ここに書くのは私個人の印象ですので、使う人によって全く異なる意見をお持ちになることもあると思いますので、あくまで参考にしてください。)

ボールを打った第一印象は、「NEOMAX2000はラケット面が大きくなったMAX200Gだ!」です。打球感は、MAX200Gの懐かしいあの感覚です。どう表現すればよいのでしょうか、振動が少なく、鈍く厚い打球感とでもいいましょうか。

しかも、MAX200Gと比べるとラケット面が大きいので、私のレベルでもスイートスポットを外した「ガシャン」というショットが少なくて、助かります。MAX200Gは、ラケット面が小さいために、なかなかラケットの真ん中でボールを捉えることができませんでした。(今でもMAX200Gを持っているのですが、これが理由で、このラケットは押入れで眠っています。)

スイートスポットを外すとボールが飛ばなかったMAX200Gと比較して、NEOMAX2000は私ぐらいの技量でもスイートスポットを大きくは外しません。そのおかげで、今日、コートでボールを打った限りでは、「スイートスポットを外してしまって飛ばないなあ」ということはありませんでした。

打球感はMAX200Gを思い出させますが、ラケット面の大きさと打球感を併せると、むしろ、ミズノのCX-603に近いかもしれません。かつて、リサ・ボンダーが使っていたラケットです。CX-603はMAX200G以上にやわらかい打球感を持つラケットで、私は気に入って使っていたのですが、フレームが弱いのが欠点でした。私は、CX-603を2本か3本、プレー中に壊しました。ガットが切れることはよくありますが、ラケットが壊れるという経験はCX-603以外ではしたことがありません。(MAX200Gもフレームが弱いそうですが、私は壊したことはありません。)

NEOMAX2000は、CX-603と同じように、「壊れてしまうのではないだろうか」と感じるぐらい、相手が打ったボールの振動をラケットが吸収してくれるような感触があります。

私は、ボールの嫌な振動を吸収してくれるやわらかい(=Flex値またはRA値が小さい)ラケットが好きなのですが、今、市場に出回っているやわらかいラケットの多くは女性向けで、ラケット面が大きすぎ、ラケット重量が軽すぎるのです。100インチ以上のラケット面は、パワーやスピードよりもコントロールを重視するプレースタイルの私には、大きすぎます。普段、鉛を貼って360g以上にしている私には、300gを切るラケットは軽すぎます。

ラケット面が大きすぎず(100インチ以下…できれば95インチ以下)、振動吸収をしてくれるやわらかいフレームのラケットとして、私は、長い間(と言っても2年半ぐらい)、Wilson K-Five98(ラケット面のサイズは98インチ)を使っていました。このラケットは、振動吸収性が高い構造を持っており、しかもそれほどはラケット面が大きくないということで、長い間、気に入って使っていました。(それでも、重量を370g程度にするために、鉛をべたべた貼っています。)

しかし、少しずつ技量が上がるにしたがって、このラケットのボールコントロール性の低さが辛くなってきました。ラケット面が大きすぎること、ラケットが2つに分かれる構造、フレームの柔らかさが、シングルスのゲームで思ったところにボールを運ぶことには、マイナスに働いたのです。ボレーなどは、いい加減な打ち方をしても相手のコートにボールが返るので、ダブルスでは重宝するのですが…。

Wilson K-Five98を使いながら、フレームが柔らかくて、ラケット面がK-Five98よりも大きくない(コントロール性が高い)ラケットを探して、見つけたのが、つぎの2つのラケットです。
ProKennex Heritage Type C Redondo Mid
トアルソン アロー
前者は海外通販で購入したのですが、日本国内ではC1 ProTour ver.07という名前で販売しているようです。(販売店に確認したところ、これらは(ほぼ)同じだろうということでした。)

Heritage Type C Redondo Midとアローは、(MAX200GやNEOMAX2000とおなじ)ブレイデッドグラファイト(ブレイデッドカーボン)という製法で作られており、比較的近い打球感を持っています。また、前者は93インチ、後者は95インチということで、ラケット面が大きすぎるということはありません。(実は、ProKennex Heritage Type C RedondoにはMidPlusがあり、こちらは98インチです。両方とも持っているのですが、93インチの方が、コントロールを重視したい私には合っています。このことからも、大きいラケット面のラケットが自分にはあまり向いていないということが分かりました。)

ただし、この2つのラケットは、(言葉で表現するのは難しいのですが)インパクトよりも少し前にラケットが撓る(しなる)ような感じがすることがあります。(特に、トアルソン アローがそうです。)特に、テイクバックが大きすぎるスイングをしてしまった時(私にはよくないフォーム)に、それが顕著です。この撓る感覚は、ボールコントロールには不向きです。インパクト前にラケットヘッドが振れてしまうので、コントロールが安定せず、ぶれる感じがするのです。(ただし、テイクバックが小さくなると、この撓りはほとんど感じなくなりましたので、私の技量によるところが大きいようです。)

NEOMAX2000は、MAX200Gと同様に、そのような撓り感はありません。また、適度にラケット面が大きいので、ボレーなどもしやすく、ダブルスでは使いやすそうです。おそらく、ダブルスでは、今後は、Wilson K-Five98よりもNEOMAX2000を使うと思います。

シングルスでは、ダブルスよりもグランドストロークのコントロール性が要求されます。ProKennex Heritage Type C Redondo Midは打球感がよく、しかもコントロール性が高いので、私は、シングルスではこのラケットを使ってきました。ただし、93インチのやや小さめのラケット面は、ラケットの真ん中でボールを捉えることができなかった時に、肘に負担がかかります。また、ボレーを打つ時は、ちょっと手を伸ばして打ったような手抜きをすると、全くボールが飛びません。その点は、NEOMAX2000に分がありそうです。もし、NEOMAX2000が、Wilson K-Five98と同じようなコントロール性の低さが問題にならないようであれば、シングルスでもNEOMAX2000を使うかもしれません。

当分は、NEOMAX2000を使い込むと思いますので、別の機会に続編を書くかもしれません。


続報はこちら⇒ラケットインプレッション ダンロップ社NEOMAX2000 (続報)

2011年10月13日木曜日

とてもよかった試合前の写真撮影とマレーの兄(ジャパンオープン2011レポート)

20年ぶりにジャパンオープンを観戦しました。当時、ちょっとしたトランクぐらいの業務用に近い大きさのビデオカメラをこっそりと(あんな大きなビデオカメラが係員に見つからないわけがない!)持ち込んで、係員に撮影しないように怒られたことを懐かしく思い出しながら、当時とは全く違う雰囲気の有明を楽しんできました。当時の出場選手で印象に残っているのは、マッケンロー、レンドル、スコット・デービス、ミカエル・ペルンフォルツなどでしょうか。メシールを見に行ったのに、残念ながら、この年(確か、1988年)は直前に参加を取りやめていました。
今年(2011年)のジャパンオープンで私が観戦したのは、準決勝と決勝(ともに男子シングルス)なのですが、決勝戦はマレーが素晴らしいプレーでナダルを破ったことは、ご承知の通りです。その様子は、おそらく、WOWOWを含めた様々なメディアで伝えられたと思います。ここでは、メディアに載らなかった(であろう)ちょっとした出来事をレポートをしたいと思います。
ご存知の通り、試合前にはネットを挟んだ選手の撮影があるのですが、今回の決勝戦では、5人がカメラにおさまりました。ナダル・マレーの両選手と、車いすの国枝選手、そして、二人の少年です。二人は、ともに13歳で、東北のジュニア大会の優勝と準優勝の選手だそうです。この記念写真の風景は、とてもよい絵でした。特に、ナダルは、強く感じるところがあったようで、少年たちにも、国枝選手にも、しきりに声をかけていました。
ナダルは、決勝戦終了後のインタビューでも、東北の大震災のことに触れていました。彼の、日本の大会に参加するにあたっての気持ちが、そこにあるようでした。
一方、優勝したマレーは、インタビューを短く切り上げました。「自分は、今から、ダブルスの決勝戦がある。(そこで、優勝するつもりなので)スポンサーや主催者への感謝の気持ちは、ダブルス決勝戦終了後に伝えたい」とういうことで、その場では観客への感謝の気持ちだけを伝えていました。単なる冗談ではなく、ダブルスでも勝てるという自信の表れだったのかもしれません。
マレーは、結局、(宣言通りに)ダブルスでも優勝するのですが、今回のペアは、実のお兄さんのジェイミー・マレーです。ジェイミーは、ダブルスではいろいろな大会に出ており、弟のアンディーとも時々ペアを組んでいるようです。
私は、やぼ用があり、決勝戦が終わった後に、すぐにスタジアムの外に出たのですが、ふと見ると、スタジアムコートのすぐ横のコートで、ジェイミー・マレーが一人でサービスの練習をしていました。コーチもパートナーもつかず、一人で10球ほどサーブを打っては、反対サイドでボールを拾っていました。見ている人もほとんどいなかったので、ボールを拾いに歩いていた彼に、観客席から、「弟は、優勝コメントを、ダブルスの決勝の後に残していたよ。だから、ダブルスの試合では優勝してね!」と声をかけたら、こちらに向いてにこっと笑って「OK」と言っていました。
本当は、練習中の選手に声をかけてはいけないのでしょうが、こんなふうな、ちょっとした触れ合いができるのがサイドコートの楽しいところですね。

2011年9月27日火曜日

メシールのテニス(49) 安定したフォアハンドストローク(その9/今度こそ最終回) (復習を兼ねて)左肩の使い方など

かなり安定したと思ったフォアハンドですが、先日、シングルスの試合でビデオを撮ってみたところ、あまりにもひどかったので、再度、メシールのビデオを観て分析をしました。その結果、基本的なことが数点、かなり守られていなかったので、これまでの確認も含めて、列挙したいと思います。

(1)レディーポジションでは、左手をラケットに添えること。正しくは、バックハンドのグリップで構えておくこと。
(2)上記の(1)の形から、フォアハンドにボールが来た場合には、左手を添えてテイクバックすること。バックハンドグリップなので、左手が下からラケットを持ち上げるイメージになるのですが、この感覚に慣れる必要があります。
(3)上記の(2)では、どこかで左手が離れるが、離れた後、左肩をしっかりと”はる”こと。言い換えると、左肩に力を入れ、左肩がスイングをリードすること。左手は、何かを抱えるような形で前方に突き出すこと。
(4)上記(3)を守ると、自然に、背中に力が入り、上体が立ちます。背中でスイングをすることができます。
(5)インパクトが後ろにならないように、前でボールをヒットすること。
(6)フォロースルーでは、絶対にラケット面を伏せること。最低でも、地面に垂直になること。そのためには、フォロースルーで右腕を伸ばしていくことが大切です。
(7)ラケットは下から上に振ること。フラット系だと、つい横に振りたくなってしまいますが、これではボールはネットを超えないか、アウトしてしまいます。ヘビースピンをかけるわけではない場合でも、ラケットは下から上に振り、ボールに順回転をかけると同時に、ボールの発射角は上向きになる(水平ではない!)ことが大切です。

最後に、(7)として、繰り返しになりますが、飛んでくるボールに合わせてテイクバックをし、バウンドしたタイミングでフォワードスイングを開始するということを、つい忘れがちなので、再掲しておきます。これを徹底しないと必ず振り遅れますので、確実に調子を落とします。

2011年9月25日日曜日

古いテニスのビデオを見てみませんか?

今日、ある二人の方とシングルスの試合をしていて、ふと思ったことがあります。私は、このブログのタイトルを見ての通り、メシールのテニスを目指しています。何年にもわたり、メシールのプレーを分析し、試行錯誤を重ねることで、圧倒的に力の差がある場合は別ですが、同程度の技量の相手であれば、少しずつ、メシールのプレーを部分的に取り込むことができるようになってきているようです。

というのは、ゲーム後に、両方の方から、「あなたのバックハンドは、フォア側に来るのかバック側に来るのか、全くわからない」と言われてからです。これは、私にとっては、最大の賛辞でした。

別ブログの記事に書いたように、最近Tennis Journalの古いバックナンバー(1987年8月号)をたまたまみつけたのですが、その中で、福井烈氏がメシールのバックハンドストロークの連続写真を解説しています。メシールが順クロスと逆クロスに打つ2つの連続写真について、福井氏はこのようにコメントしています。「この3-4コマ目の写真(インパクト直前)を見てもらったら分かると思いますが、メシールの場合、順クロスと逆クロスに打つフォームが全く同じなので、どちらにボールが来るのか、全くわからないのです。」福井氏は、直前のジャパンオープン2回戦でメシールと戦っている(2-0でメシールの勝利)ので、対戦した印象でもあるのでしょう。

プロは別にしても、私ぐらいのレベルのテニスであれば、メシールの技術は、25年たった今でも十分に通用するということです。いやむしろ、望ましいことかもしれません。

今、テニスコートに行くと、若い人を中心に、ナダルのようなプレーをする(正確にはしようとする)プレーヤーを見ます。今日の試合の相手も、とてもよいフットワークと熱意のあるプレースタイルなのに、目指すテニスが難しすぎて、いくつものポイントで自滅していました。もし、そのような人が、今の男子プロのテニスをテレビで見て、それに影響を受けているのだとすると、それは不幸なことだと思います。誰から、どんなテニスを学ぶのかは、アマチュアにとっても、大切なことであるはずです。

25年前のビデオは、もしかしたら、今のアマチュアの良い教材になるかもしれません。

マジカル・ミステリー・メシール

マジカル・ミステリー・メシールという記事を書きました。Tennis Journalの古いバックナンバーが出てきたからです。メシールの特集記事がありましたので、その記事をネタに、今後も、いろいろとブログを書こうと思います。

メシールのテニス(48) サーブレシーブ時の左手の使い方

メシールはご存じのとおり(いや、ご存じでない人がほとんどでしょうが(笑))、バックハンドは両手打ちです。メシールのサーブレシーブについてビデオで分析してみました。

メシールは、レシーブゲームのレディーポジションで、左手をバックハンドストロークの位置においています。つまり、左手は、(バックハンドで)グリップを握っています。言い換えると、シングルハンドの選手のように、スロート部分においていません。

これは、つまり、バックハンドリターンは必ず両手打ちで打つことを意味しています。

オンコートとで試すと、速いサーブがバック側に入った時は、シングルハンドのスライスで逃げたくなることがあります。しかし、レシーブのレディーポジションでのこの左手のグリップは、それを否定しています。メシールにとっては、おそらく、レシーブは特別なショットではなく、そのポイントの一本目のストロークということになるのでしょう。

ストローク中も同じです。メシールの左手は、ボールを打った後、相手のボールを待つ間、ずっと、バックハンドグリップです。スロート部を持つことはありません。実は、このことは、ちょっと意外でした。というのは、メシールのフォアハンドでラケットにボールを打たせる感覚においては、左手をスロート部においておくほうが、ボールの来る場所にラケットを持ってきてやりやすいからです。左手をスロート部においておき、フォアハンド側にボールが来ると、左手でその場所にラケットを持ってきてあげると、フォアハンドが打ちやすいのです。

が、しかし、メシールは、グランドストロークでフォアハンド側にボールが来た場合には、左手を(スロート部ではなく)グリップに添えた形で左手を使ってのテイクバックを取っているようです。ただし、注意する点は、ビデオで確認する限り、ボールを待つ間の左手は、ややルーズにグリップを握っていることです。がちっと握ってしまうと、バックハンドは打ちやすいでしょうが、フォアハンドに来た時にラケットを引くという仕事がしにくいからでしょう。

メシールがレシーブを一本目のストロークだと思うのであれば、一本目から、少しでも良いところにリターンしようとするでしょう。もちろん、エラーをしない範囲で、ですが。とりあえずスライスで、ミスをしないように深くリターンするという発想は、メシールのテニスにはないようです。

2011年9月21日水曜日

メシールのテニス(47) 安定したフォアハンドストローク(その8/最終回) ラケットが打ちやすいようにスイングする

自分自身が試行錯誤しながら求めてきた安定したフォアハンドストロークですが、どうやら、最終形に近づいているようです。薄いグリップのフォアハンドを安定させるための、最後のキーワードが、「ラケットが打ちやすいようにスイングしてあげる」という脳内イメージです。

この脳内イメージは、図にすることもできません。本当に、イメージです。

相手のボールは、高さ、スピード、回転、すべてが様々です。厚いグリップでのスピン打法は、それらにお構いなくボールを下から上にこすり上げます。薄いグリップのフラットドライブは、そうはいきません。ラケット面がボールに垂直になりボールを押し出すように、ラケットを動かさねばなりません。腰よりも高い打点ではラケットヘッドを立てますし、腰より低い場合はヘッドが落ちます。前者では打点がやや体に近い側になり、後者では前方になります。いずれにしても、力が入る打点は一点しかないのです。

一番大切なことは、その唯一の打点にラケットを正しく持っていくことです。私の感覚(脳内イメージ)では、ラケットに、自分でその位置に行かせるというものです。腕の操作でその場所にラケットを持っていこうとすると、タイミングや面の角度が微妙にずれることがあります。むしろ、腕の力を抜いて、ラケットがその場所に、そのタイミングで移動することを最優先してあげればよいのです。ラケットはボールが打ちたいと思っているはずなので、右腕の力を抜けば、一番良い角度で、よいタイミングで、ボールをヒットしてくれるものです。

正しい位置にラケット持っていくのは、(右利きの場合)右手ではなく、むしろ左手です。左手がテイクバックの始動時と前半(テイクバックの後半は左手は離れますので、起動時から前半まで)にラケットを支えます。このことは、メシールのテニス(45)でも書いたとおりです。

右手を意識するのは、つまり右手の力を使うのは、むしろ、インパクト後です。インパクト後に、ボールの打球方向にしっかりとフォロースルーするのは、右手の仕事です。その際、もちろん、フォロースルーではラケット面を徐々に伏せていかなくてはなりません。

このイメージのスイングでは、右手はラケットの重さを感じます。ラケットが仕事をするので、ラケットは重い方がよいのです。(ラケットが軽いと、ボールに負けます。何しろ、右手でボールをたたくことはできないのですから。)ラケットが自分の重さでボールをヒットするのです。メシールのラケットが非常に重い(400g以上?)理由は、どうやらここにありそうです。

この脳内イメージで気を付けることが一点あります。それは、振り遅れないということです。腕でラケットを振る方法の場合は、振り遅れたらその分スイングスピードを上げることで取り返せることもあります。が、ラケットにボールを打たせる場合は、ラケットは遅れを取り戻せません。テイクバックは、絶対に遅れてはなりません。遅れた場合には、ラケットは、ラケット面を操作して帳尻を合わせようとしたりします。そうすると、逆に、ボールコントロールを失います。それどころか、試合中であれば、その後、ラケットは自分の制御ができなくなることもあります。薄いグリップでラケット制御を失ってしまったら、もう、その試合では、二度とまともなボールを打つことはできなくなります。

以上の、「ラケットが打ちやすいようにスイングする」というイメージでボールを打つ限り、今のところ、私は、試合中にフォアハンドが不安定になることはありません。もう少し、オンコートで試してみますが、実は、根拠のない自信を感じています。これが、究極の、メシールのフォアハンドの打法ではないのかな…と。

テニス日記は移動しました

私のテニス日記こちらに移動しました。個人のテニスの記録が面白いかどうかわかりませんが、もし興味がある方は、こちらをどうぞ。

全米オープン2011のカメラワークは変わってしまった…

「全米オープン2011のカメラワークは変わってしまった…」という記事を書きました。記事はこちらです。

2011年9月20日火曜日

メシールのテニス(46) 安定したフォアハンドストローク(その7) インパクトでボールを見る

インパクトでボールを見ることというのは、グランドストロークにおいて、基本中の基本の一つです。しかし、それは、ラケットの真ん中(スイートスポット)でボールを捉えるため…だけではありません。

メシールのような薄いフォアハンドグリップでは、スピンよりもフラットドライブを多用します。そのためには、ボールをしっかりと捉え、ボールを押し出すようなイメージが求められます。つまり、インパクトでラケット面がボールをしっかりと押し出す感覚が、ラケット面が1度ずれてもアウトかネットしてしまう精度での感覚が求められます。

これを目で捉えるのです。目でインパクト時にしっかりとボールとラケット面を捉えることで、しっかりとボールを捉えて押し出す感覚を持ちやすくなります。逆に、インパクト時にボールを見ないと、勘でボールを打たなくてはならず、微妙なタイミングやボールの押し出し、面の角度がずれやすくなります。

したがって、フラットドライブ系の場合は、スピン系よりも、インパクト時に目でボールとラケットをしっかり見るということが、より求められるのです。

2011年9月16日金曜日

メシールのテニス(45) 安定したフォアハンドストローク(その6) テイクバックで左手をラケットに添える

メシールは、フォアハンドのテイクバックで、かなり後ろまで左手を添えています。図を見てください。
これには、いくつか理由があります。

①最も大切なことは、テイクバックで左肩が開かないことです。左手が体の回転と一緒に回転しますので、自然に左肩がネット方向に向くはずです。これにより、両肩を結ぶ線とボールの飛球線が、平行になりやすくなります。下の図を見てください。両者が平行になると、フォワードスイングでラケット面がボールをまっすぐに押し出しやすくなります。一般には、体の回転を使って円状のスイングでボールを捉えます。メシールの場合は、スイング軌跡がより直線的です。そのために、ボールを強くたたきにくいでもりっとはありますが、ボールを自分の狙った方向に運びやすくなります。また、ラケット面のちょっとした角度を調整することで、ほとんど同じスイングでクロス、ストレート、逆クロスを打ち分けることができるのです。
②もう一つの理由は、ラケット(面)がぐらつかないことです。薄いグリップのフォアハンドでは、微妙なラケット面のぐらつきが致命傷になります。正確で精度の高いラケット操作が要求されます。そのために「仕事をさせる」ことが有効です。右手だけで操作をすると、それだけ精度が低くなります。(右手は、ボールを打つという仕事がありますので。)

③テイクバックのタイミングが遅れにくいという利点もあります。本来、仕事の少ない左手にテイクバックのタイミングを取る仕事をさせることで、忙しい右手よりもテイクバックのコントロールがしやすいはずです。その分、テイクバックが遅れたり、ボールの高さに合わせてテイクバックをしたりするという操作がしやすくなるはずです。

私の感覚では、テイクバックにおいてこんなに左手を添えていてもいいのかなと思うぐらい、左手は長い間ラケットに添えておいてよいようです。このあたりのさじ加減は、ビデオで自分でチェックするのがよいと思います。

2011年9月15日木曜日

メシールのテニス(44) 安定したフォアハンドストローク(その5) テイクバックでは体を回転させるだけ

まずは下図をご覧ください。

以前、「テイクバックではラケット(右腕)を体の後ろ(12時側)に置かずに、体の前に置く」と書きました。これは、一言で言うと、「腕をいっさい動かさず、体だけを回転させる」ということで実現できます。そして、大切なことは、体の回転は右足を引くということで実現できる、ということです。下の図を見てください。


これは、つまり、ボールがふぉわハンド側に来たら、右足だけを動かせば、体が回転し、テイクバックは完了するということです。テイクバックにおいて、腕を固定する必要はないですが、腕を大きく引く必要もないのです。

ここまでは、右腕の仕事はほとんどありません。右腕が仕事をするのは、ここから先のフォワードスイングです。下図に示すように、ボール体の距離を適切にとり、左肩をボールの方に向けます。両肩を結ぶ線とボールの飛球線は平行になります。体の正面ではなく、横にボールを持ってくるというイメージが大切です。

その後は、フォワードスイングですが、ここまで準備ができたら、あとは、ラケット面がボールをしっかりと打つことだけを意識して、自由にスイングをして構いません。ラケット面が上を向かないこと、ボールを押し出す、背筋を伸ばす、脇が開きすぎないなどに気を付けてながら、自由に大きなフォロースルーでスイングします。ラケット面がしっかりとボールをつかみ、思う方向にラケットを押し出すことに集中します。

2011年9月12日月曜日

メシールのテニス(43) 安定したフォアハンドストローク(その4) 図で示すタイミングの取り方

(メシールフォアハンドのGIFアニメーションはこちらです。)

今日、メシールのビデオを見ていて気が付いたことを書きます。以前にも同じことを書いたかもしれませんが、図を用意しましたので、繰り返しになりますが書きます。

ポイントは、テイクバックのタイミングと、フォワードスイングのタイミングです。



テイクバックでは、ボールに合わせてラケットを引きます。つまり、ボールがラケット面に吸い込まれるように、またはボールとラケットがひもで結ばれていてラケットを引くことでボールがこちらに飛んでくるかのように、ラケットを引いていくのです。

テイクバクからフォワードスイングへの切り替えのタイミングが、ボールがバウンドしたタイミングになります。ボールがバウンドしたタイミングを使って、フォワードスイングを開始します。上の3つの図で、意識するなら真ん中の図です。コート上で、常に、バウンドした瞬間に自分がフォワードスイングを開始しているかを確認すればよいのです。試合中に(頭が飽和しているときに)何か一つだけ意識するなら、これでしょう。

なお、バウンドする地点が前の方(ネットに近い方)の場合には、多少、この切り替えのタイミングが遅くても大丈夫です(バンド後にフォワードスイングを開始しても間に合います)。逆に、バウンドする点がベースラインに近い場合(いちばん極端なのは、ベースライン上でバウンドする場合)には、バウンドするよりも早いタイミングでフォワードスイングを開始する必要があります。このあたりは、多少、臨機応変に対応する必要があります。

このタイミングの取り方は、別のことも示唆してくれます。それは、自信がないストロークほど、この原則が守れない(フォワードスイングのタイミングが遅れる)ため、ますます「泥沼」に入ってしまうということです。特に、ゲームの途中では、自信がない⇒テイクバックが遅れる⇒ミスをする⇒自信がますますなくなるという、悪循環になります。こうなったら、試合中にこれを修正するのは難いでしょう。ビビったフォアハンドのままゲーム終了、ともなりかねません。

バウンドのタイミングでフォワードスイングを始めることのもう一つの利点は、ラケットを振りきることができるという事です。フォアハンドにしても、バックハンドにしても、サーブにしても、ラケットを振りきることができない(ラケット面でボールを当てただけで打ち返す)限りは、一定のレベル以上には絶対になれません。特に、面がぐらつきやすい薄いグリップのフォアハンドでは、打ち方がこわごわになると、ラケットを振り切ることができなくなりがちです。ボールを打つタイミングが安定すると、ラケットを振りきることが容易になります。

これは、逆に言うと、図の基本原則さえ守っていれば、まずは打ち損じがなくなり、精神的にも安心だということです。相手の球が少々速かろうが、スピンが効いていようが、この通りに打てば、たいていはエラーすることはありません。難しく考えなくても、これで、基本的なラリーは続くのです。これにより、精神的に追い詰められる(自滅する)ことはなくなるはずです。

メシールのテニス(42) 安定したフォアハンドストローク(その3) 背筋で打つ

安定したフォアハンドについて、ブログを書いてはコートで確かめるということをしているのですが、やはり、なかなか安定しません。バックハンドはかなり安定しており、ストレートに来たボールを鋭角のクロスに打ち返してウイナーまたはネットを取るということができるようになりました。

バックハンドが安定すればするほど、逆に、フォアハンドが不安定になるような気持ちすらしてきました(笑)。

これまで、穴の開くほど、メシールのビデオを見てきました。あらゆる分析をしました。しかし、おそらく、まだ、どこかに、重大な見落としをしているはずです。

今日、気が付いたのは、背筋の使い方です。ボールが飛んでくる。それを打ち返す時に、どこに力を入れるか。重いラケットで打点を前にして、ボールを前方に運ぶ力はなにか?

それは、背筋のはずです。背筋には、力を入れても入れすぎることはありません。その代わりに、ラケットを持つ右腕の力はできるだけ抜きます。左腕には力が入ってもよいでしょう。腹筋にも力を入れるとよいかもしれません。ラケットの重みを感じながらスイングしましょう。ラケットにボールを打たせる感じです。ラケットは「重いもの」なのです。このあたりのイメージは、かつての、ハナ・マンドリコバのフォアハンドのイメージがわかりやすいでしょう。

背筋の力が正確にラケット面に伝わるには、インパクト前ぐらいまでは右脇が開いてはいけません。(インパクトでボールを押し出す時には、当然ですが、右脇は空きます。そうしないと、腕を前方向に伸ばすことはできません。)脇を締めてインパクトでラケットを突き出すのは、やはり、ボクシングのジャブをイメージさせます。

腕の力を使わず、背筋の力でラケット面でボールを捉えて、それを前方に打ち出して(押し出して)いく。近いうちに、一度、他のフォームを忘れて、背筋で打点を前にして、ラケットを大きく振るという打ち方を試してみようと思います。

今回は、確定していない技術を書きました。結果は、また、このブログで報告します。

2011年9月11日日曜日

メシールのテニス(41) 安定したフォアハンドストローク(その2)

以前、安定した(スピン系の)サーブを打つ脳内イメージとして、「スイング中、ラケットヘッドを常にネット側(0時の方向)に向けておく」ということを書きました。これにより、ラケット面が上を向くことを防ぎ、右肘(右利き)が前に出るのを防ぐことができます。

薄いグリップのフォアハンドは、実際のコート上では、どうしてもストロークが不安定になります。これは、薄いフォアハンドグリップの宿命です。特に、相手のボールが緩い場合、または高くは寝るボールの場合に顕著です。薄いグリップは、遅い球に弱いのです。

これを防ぐため、つまり相手のボールによらずに安定したフォアハンドを打つ工夫として、スイング中にラケットヘッドをネット側に向けるというサーブの脳内イメージが、そのまま、フォアハンドでも使えます。これで、ラケット面のぐらつきが、かなりなくなります。さらに、右脇を締めることができればなおよいです。右脇が開かないと、さらに、安定感が増します。

ラケットヘッドを0時に向けておくイメージのもう一つの利点は、フラット系とスピン系の両方が打てるということです。この使い分けは、ラケット面を前に押し出すか、または巻き込むかでできます。

実際にコート上で試しましたが、実用的な脳内イメージでした。ビデオでフェデラーのフォアハンドを見ても、やはり、ラケットヘッドがずっと0時方向を向いているイメージを活用しているように見えます。

2011年9月9日金曜日

メシールのテニス(40) 安定したフォアハンドストローク(その1)

このブログを書いていて、時々、どうしてここまで「分析」するのかと思うことがあります。普通の人であれば、コートの上で経験(または体感)で身につることを、すべて、分析し、理由をつけ、そして実践しようというのが、このブログの目的です。

そのために、メシールのビデオを穴の開くぐらい見て、分析を繰り返しています。いかにも理科系(=私)がやりそうなことですね。(笑) 

その中で、映像の分析解説だけでは説明のしようがないのが、「体感イメージ」です。このブログでも、脳内イメージという言葉で、それを表現してきました。言い換えると、ビデオを通じて分析したメシールのテニスを、コート上で実践するためのイメージです。分析は進んでいるのですが、それをコート上で実践するのは容易ではなく、その二つをつなぐのが「脳内イメージ」というわけです。

脳内イメージは個人によって異なるのですが、体感的にしか説明できないことを文章(形)にするには、どうしても脳内イメージが必要です。それは仕方がないのですが、脳内イメージを書き始めると、このブログは一般性を失い、結果的には「私個人のためのブログ」になってしまいます。

そこに、ジレンマがあります。が、そのジレンマを気にしていては前に進めないので、これからは、話題や内容がだんだんと、「脳内イメージ」中心となっていきます。

能書きはここまでにして、「安定したフォアハンドストローク」です。

安定したフォアハンドのためには打点を前にせねばなりません。これは、何度も書いている通りです。打点を前にするためには、テイクバックにおいて、右手は体の前に置くイメージです。これは、もう、テイクバックではありません。テイクフロントです。ボクシングのジャブのように、腕を体の前において、脇を締めて、ボールが来たら腕を伸ばしていくのです。ラケットを後ろに引くという感覚は、全くありません。

これによって、インパクトの瞬間に頭が動かない(インパクトが前の方になるので目でボールを捉えやすい)ことや、ボールを思う方向に運ぶことができるなど、いろいろな利点があります。

ただし、肘の負担がやや大きくなります。したがって、右肘が体から離れないように、右脇を締めなくてはならないのです。

こんな小さなテイクバックで、強いボールが打てるのかと心配になるかもしれません。たしかに、小さなテイクバックでは、大きなテイクバック程の強いボールは打てません。その力は、左腕が補ってあげるのです。左腕(左肘)を前に突き出し、体の回転を左腕がつかさどることで、右腕はボールコントロールに専念できます。左腕(左肘)が推進力、右腕(右肘)がかじ取りをするのです。

2011年9月4日日曜日

メシールのテニス(39) フォアハンドで打点を前にする方法

(メシールのフォアハンドGIFアニメーションはこちらです。)

イースタンやコンチネンタルグリップのような薄いグリップのフォアハンドは、打点を後ろにしてボールを打つことができます。これは、相手の強いボールに差し込まれたときでも返球できるなどの利点はあります。

しかし、薄いグリップで打点が後ろになるのは、本来は望ましい打ち方ではありません。メシールのテニス(14) 懐が深いということでも書いたとおり、打点が後ろになると、フォアハンドは不安定になります。相手のボールの変化(速い球と遅い球が交互に来るような場合)に、ボールのコントロールができなくなってくるのです。また、ラケットを振りきることができないので、ボールのスピードや深さをコントローすることも、難しくなります。

「打点が後ろでも打ててしまう」のは、厄介なことです。なぜなら、これは、「つい、打点を後ろにしてしまう」ということが起こるからです。たとえば、相手のボールが速い時、気持ちが守りに入ってしまった時、体が疲れて足が動かない時…など、なんとか打ち返せるがために、打点が後ろになってしまうのです。

薄いグリップのフォアハンドでは、極力、打点を前にせねばなりません。そうして、ボールを、自分の意図する方向に運ばねばなりません。毎日ボールを数多く打つことができるプレーヤーには造作もないことでしょうが、週一テニスのアマチュアプレーヤーの場合は、よく、このような状況に陥ってしまいます。

では、どうすれば、フォアハンドで打点を前に置くことができるか。

一つ、よい方法があります。今、メシールのテニス(27) ラケット面はいつからいつまでボールに垂直になるか?を思い出してみてください。フラットドライブ系のストロークは、ラケット面が常にボールに対して垂直のようなイメージがありますが、それは間違いです。インパクトの前後ではラケット面は伏せられています。(スピン系と違うのは、インパクトのときにラケット面がボールに垂直になる時間が、スピン系よりは長いというだけです。)

つまり、ラケット面がボールに垂直になる(=インパクト)を前においてやるように、意図的に操作すればよいわけです。これは、テイクバックからフォワードスイングでラケット面をできるだけ長い間伏せるということです。長い間面を伏せれば伏せるほど、インパクト点は前に移動します。

実際にラケットを持ってみればわかりますが、テイクバックからフォワードスイングでラケット面を伏せる時には、テイクバックが小さい方が有利です。大きなテイクバックからフォワードスイングの場合には、どうしても、スイング中にラケット面が起き(立ち)やすいのです。

小さなテイクバックの場合は、スイングの中心が前方になりますので、それだけ、ラケット面を伏せてインパクト(ラケット面が立つ)場所を前に移動できます。

これにより、強制的にインパクトが後ろになるのを防ぐことができるはずです。

2011年9月3日土曜日

メシールのテニス(38) サーブを打つ時は膝を使いましょう

今回は、あまりにも基本的なことです。おそらく、誰もが知っている、わかっている内容です。

それは、「サーブを打つ時は、膝を少し曲げて、ばねのように使いましょう」ということです。

かつてのベッカーのように大げさに曲げる必要はありません。小さなばね程度に思ってもらえれば、それでも十分です。

サーブで膝を使う利点は、いくつかあります。

①ボールをヒットする駆動力になります。強く膝を使い大きな駆動力にすることもありますが、小さくても、小さいなりの駆動力になります。上体だけの力で打とうとすると、それだけ精度が下がります。

②膝が、ダンパー(クッション)として微調整役になります。トスが多少乱れた時(大きく乱れたらNGですが)には、膝がその微調整をしてくれます。その結果、上体はいつも同じフォームでボールを打つことができます。上体の動きは、いつも同じ方が、サービスは安定します。

③リズムが取れます。状態は、ボールを打つことに専念させたいので、リズムも膝で取る方が望ましいわけです。

これらは、すべて、「上体にはいつも同じフォームでボールを打つことに専念させてあげる」ために膝を使いましょうということです。安定したサーブを打つためには、上体をできるだけ一定のフォームにしておくことが有効です。

メシールのテニスではない、誰にでも共通の基本的なことですが、こんなちょっとしたことでも、オンコートではふと忘れてしまったりすることがあります。「どうして今日のサーブの調子は悪いのだろうか」と思った時などには、思い出してみるとよいかもしれません。

2011年8月20日土曜日

メシールのテニス(37) インパクトの瞬間にボールをしっかりと見ることの本当の意味

(メシールのフォアハンドGIFアニメーションはこちらです。)

フォアハンドストローク(バックハンドストロークも同じです)でボールをヒットする時には、ヘッドアップしないようにボールをしっかりと見ること。おそらく、最も言い古されたテニスの基本の一つでしょう。

このことについて、考えてみたいと思います。

私は、インパクトでボールを見るというセオリーは、ラケットの真ん中でボールをとらえることが目的だと思っていました。私だけではなく、そう考えている人は多いと思います。

が、実は、それだけではないのです。インパクトでボールをしっかりと見る理由。



図を見てください。これは、フォアハンドストロークを上から見たイメージ図です。この図は当たり前に見えると思いますが、注意する点がいくつかあります。

まず、鼻の方向(=目の方向)を見てみると、ボールが飛んできてからインパクトまで、顔は時計回り方向に動きます。インパクト後に、ボールを追いかける形で、時計と反対方向に鼻が動きます(図は省略)。メシールのビデオを見ると、この鼻の動きが忠実に守られています。(おそらく、どんな選手でも、同じでしょうが。)一方で、右肩は、当然ですが、中心線に沿って体が回転するのに合わせて時計反対回りの方向に動きます。(図を見てみてください。)時計周りに動く目(鼻)と時計反対周りに動く右肩。その両者は、どこかで出会います。いつ出会うのか。それが、インパクトの瞬間です。

図では、インパクトにおいて鼻と右肩が近くにあることが分かると思います。これは偶然ではありません。インパクトの瞬間に、鼻(正確にはあご)と右肩が近いことが、実は重要なのです。ボクサーがジャブを打つイメージを思い出してください。あごと前肩が近くになり、そこで腕を絞る(内回)ことでパンチに力を与えます。

テニスでも同じです。ボールを運ぶように打つイメージがあるメシールですら、実は、ボールをしっかりと打っている(たたいている)ということを、メシールのテニス(9)「ボールを強く打つということ」で書きました。

どうやって、ボールをしっかりと打つ(たたく)ことができるのか?その答えが、インパクトでボールを見るということだったのです。ボールを見ることにより、あごと右肩が近くなり、腕は内回することで、ボールに力が加わります。このパワーの伝達は、インパクトのときにのみ起こりますので、インパクト前後の力のメリハリにも有効です。頭が動かず、体の回転でボールを打てることにもつながります。

もう一つ、図では頭の位置が動いていないことにも注意してください。インパクト前後で頭が常に同じところにあります。(点線で、頭の位置を示しました。)これは、ストロークにおいて、頭の線(地面と頭を結ぶ線)が「軸」となっていることを示しています。インパクト前後では、この軸を中心として、体が回転するわけです。

メシールのフォアハンドストロークでは、テイクバックからインパクト、フォロースルーへの一連の動きで頭が全く動かないイメージがありましたが、その理由がこれだったのです。また、同様に、上体が立っているイメージもありますが、これも、インパクトで頭が動かず、頭を含む軸の回転でボールをヒットしていることのあらわれです。

さて、バックハンドはどうでしょうか?メシールのような両手打ちバックハンドでは、このインパクト時の“締め込み”を、あまり意識する必要がありません。なぜなら、バックハンドは両手打ちであるために、インパクトにおいては、否応なしにあごが左肩の上に来るからです。バックハンドは、体の構造上、インパクトでボールに力が伝わりやすいのです。

これが、(初級者は別として)一定のレベル以上になった時に、フォアハンドよりもバックハンドの方が安定したストロークを打つことができる理由なのです。

2011年8月8日月曜日

感動をありがとう

オリンピックで日本選手が優勝した時などに、よく、テレビなどで「感動をありがとう」という言葉を聞きます。

実は、正直に言うと、この言葉は、私にはかなり違和感がある言葉です。でも、どうしてこんなに違和感を感じるのか…。考えても、よく分からないのです。

もちろん、コートの上で素晴らしいプレーを見ると感動します。しかし、そこにあるのは、私に見せるためのプレーではありません。(プレーヤーは、私のことは知らないのですから。)

そこにあるのは、プレーヤーの自己表現としてのプレーなのです。私との間にあるのは、選手から私への片方向のコミュニケーションです。私から選手への感動を伝える方向は、本来はないのです。(もちろん、最近のインターネットコミュニケーションでは、ファンから選手方向へのコミュニケーションも可能にはなりましたが。)

選手は自分のプレーに満足し、観客はそれに感動して満足します。それでよいのだと思っています。そこにあるのは、ありがとうと言う感謝の対象とはどこか違うように思うのです。

李娜(Na Li)の全仏オープン2011決勝戦において、私は、李娜が伝統という大きな見えない敵と戦っている様子を見守りました。優勝の瞬間には、感動という言葉がぴったりの感情に包まれました。

その時ですら、「李娜、感動をありがとう」とは思わなかったのです。

選手とファンの間にあるモノは、一体なんなのでしょうか?今回は、答えにたどり着けませんでした。もう少し、いろいろと考えてみようと思います。

2011年8月1日月曜日

メシールのテニス(36) トロフィーポーズ時のラケットは立っているのがよい

メシールのテニス(32)で、右肘を後ろに引くために、サーブのテイクバックにおいて、ラケットヘッドをネット方向に向けるということを提案しました。

この方法は有効ですが、微修正をしたいと思います。

それはトロフィーポーズのタイミングでのラケットの位置です。

トロフィーポーズではラケットヘッドがネット方向を向くのがよいと書きました。これは間違いではないのですが、より有効な方法として、「ラケットヘッドがネット方向に向くのを意識しつつ、ラケットを立てる方がよい」ということです。

トロフィーポーズからインパクトに向けて、体が反り、ラケットヘッドが落ちるタイミングがあります。トロフィーポーズでラケットがすでに倒れていると、その後で、ラケットヘッドが落ちるタイミングで、ラケット面が上を向いてしまう傾向があるようなのです。

これが、私だけなのか、一般的なのか、よく分かりません。

いずれにしても、トロフィーポーズでラケットがある程度「立っている」ことにより、その後でラケット面が開かないようにできるようです。

トロフィーポーズ後のテイクバックでラケット面が開くことで、インパクト直前までラケット面が開くため、スピン系のサーブが打ちにくくなります。それを防ぐ方法が、今回の、トロフィーポーズでは、ラケットヘッドをネットに向けることを意識しつつ、ラケットは立っている方がよい、というお話です。

メシールのテニス(35) フォアハンドでラケット面が上を向かない方法

薄いグリップの場合には、テイクバックからフォワードスイング(インパクトまで)ででラケット面が上を向いてしまいがちです。上を向くといっても、真上を向くわけではありません。ほんのわずか、角度にして、5度から10度ぐらいでしょうか。地面と垂直な面からやや上を向いてしまうことがあります。

これは、特に初心者によくみられる傾向です。それには2つ理由があります。

一つは、初心者は、スピン系のボールではなく、フラット系のボールを打つことが多いからです。フラット系のボールでネットを超えるボールを打つためには、ボールを斜め上に打ち上げねばなりません。どうしても、ラケット面はやや上を向きます。もう一つは、初心者の場合、、速度の遅いボールを打つことが多いからです。速度の遅いボールは、ネットから直線的に飛んできません。高くバウンドして、上から下に落ちてくるところを打ちます。その結果、飛球線は上から下になり、ラケットスイング方向は下から上になります。ラケット面は、スイング軌道と垂直になりますので、自然にラケット面は上を向きます。



さて、薄いグリップのフォアハンドは、一定レベルになると、この「ラケット面が上を向く」という段階から脱却せねばなりません。想像ですが、フォアハンドがイースタングリップで、この段階で苦しんでいるプレーヤーは多いのではないかと思います。(といっても、薄いグリップのフォアハンド自身は少なくなっているので、プレーヤーの数は少ないでしょうが。)

私は、この2年間、このパラダイムシフト(おおげさ?!)に苦しんできました。メシールのテニス(27) ラケット面はいつからいつまでボールに垂直になるか?に書いたように、ポイントはラケット面がどこからどこまで垂直になるか(それ以外のときには、面を伏せる)ということなのですが、これは机の上の理屈です。コート上で実際に実践する脳内イメージを必要としていました。

メシールのテニス(33) 脳内イメージに書きましたが、脳内イメージは、それぞれの人のモノです。私がうまくいったイメージが、他の人でもうまくいく保証はありません。

そのことを前置きしたうえで、私がフォアハンドストロークでラケット面が上を向かないように、メシールのテニス(27) ラケット面はいつからいつまでボールに垂直になるか?に書いたようなラケット面ワークができるようになるために発見した脳内イメージは、次のようなイメージです。

それは、テイクバックからフォワードスイングにおいて、ラケットヘッドをネット方向(0時方向)に向けるというイメージです。実は、これは、メシールのテニス(31) メシールのフォアハンド(大胆な脳内イメージ)ですでに述べています。3つの図の真ん中の図が、そのイメージです。ラケットヘッドが、ネットの方向を向いているのがわかります。

実際に、コートで試してみると、当然ですが、ラケットヘッドは、全くネットの方など向いていません。(上の図の左図が実際のフォームです。)

ここが、脳内イメージの面白いところです。頭の中ではラケットヘッドがネットを向いているのですが、実際にはそうはなっていない。ただし、これにより、ラケット面が上を向くのを防ぐことができるのです。利き腕でラケットを持って(イースタングリップで)試してみてください。ヘッドをネット方向に向けると、ラケット面を上に向けることができないはずです。

繰り返しになりますが、脳内イメージというのは面白いものです。実際にそうなっていなくても、目標を達成する道具になるのですから。

メシールのテニス(34) 脇が開かないフォアハンドストローク

往年の名選手に、スウェーデンのシュテファン・エドバーグ(エドベリ)がいます。強力なスピンサーブと世界一美しいと言われたバックハンド、鋭い切れ味のボレーを持った、素晴らしい右利きの選手でした。

そのエドバーグにも、フォアハンドストロークという弱点(と言ってもよいでしょう)がありました。

グランドストロークがプレーの基本となる現代テニスの時代に生まれていたら、エドバーグは、世界ランク1位にもなれず、グランドスラムも取れなかったかもしれません。そう考えると、エドバーグは、よい時代に生まれたのかも知れません。

エドバーグのフォアハンドストロークの弱点は、私たちアマチュアでもわかるモノでした。脇が開くのです。そのために、ストロークが時々不安定になり、それがトップを争うレベルでは致命的でした。

利き腕の脇が開く(たとえば右利きでは右脇)という欠点は、エドバーグのような薄いグリップ(イースタンまたはコンチネンタル)の場合には、よくあることです。

脇を締めて打つというのは、野球のバッティングなどでは有効なこともあります。脇を締めるということは、体の回転と腕の回転を一致させることができ、それにより、腕やラケット(バット)のブレを少なくすることができます。体の回転力(回転モーメント)を直接腕の回転モーメントにつなげることもできます。

しかし、脇を締めることは、テニスの場合には、弊害の方が大きいでしょう。野球は、バッターボックス付近にボールが飛んできますので、打者は、最初からその場でボールを打つことができます。しかも、ストライクとなる膝から脇の高さ以外のボールは、打つ必要がありません。

テニスで、脇を締めてフォアハンドを打つと、ちょうどペンギンのようなフォームになります。(私は、ペンギンフォームと呼んでいます。)見ていても、とても窮屈なフォームです。それに近かったのが、やはり往年の名選手である、アメリカのジョン・マッケンローでした。あの、お世辞にもきれいだとは言えないフォアハンドストロークを覚えておられる方も多いことでしょう。

自由度がありすぎると右脇が開きすぎる(エドバーグ)、右脇を締めて自由度を殺しすぎると窮屈なフォームになる(ペンギン・マッケンロー)…。これが、コンチネンタルからイースタンの、いわゆる薄いグリップのフォアハンドの難しい点です。上に書いたように、野球と違い体のいろいろな場所(特に高低)でボールをヒットするテニスでは、ある程度の腕の自由度は必要です。制約なく自由にボールを打つことができ、しかし脇が開きすぎない、そんな方法はないか(そんな脳内イメージを作れないか)と考えていました。

その結果、私がうまくいった脳内イメージは、「右肘を下げる」というものです。


右肘を下げようとすると、右腕は、自然と、体から離れません。もし、離れそうであれば、「”前にならえ”のような(やや脇を締めた)形で右肘を下げる」という脳内イメージでもよいと思います。

フォアハンドストロークの際に、頭の中(脳内)で、「右肘を下げて打つ」という意識だけを持っておきます。低い球の場合は、どちらにしても脇が開きにくい(右肘も下がりやすい)のであまり問題になりません。高い球のときに、特にこの脳内イメージは有効です。エドバーグのフォアハンドストロークも、高い球のときに脇が開きやすかったのです。
ここで重要なのは、この脳内イメージを持っておけば、あとは自由に打ってよいということです。高い球も低い球も、この点だけ気を付けておけば、脇が開かずに、しかも(自由に打つために)ペンギンフォームにならずにすみます。

ビデオで見てみるとわかるのですが、実際には、私の右肘は、極端に下がっていません。たとえば、低い球を打つ際には、(実は当たり前ですが)右肘よりも右手首の方が低いところに来ています。高い球のときも、脇が開く場合との差は、ほんの少しです。(しかし、この、ほんの少しの差が大切なのです。)

つまり、脳内イメージは、ビデオで見た実際がどうなっているかではなく、正しいフォームになるイメージを、自分の脳内で言葉にすることが大切だということです。したがって、脳内イメージは、自分の中の言葉であって、映像で見た時にそのまま実践されているかどうかが重要ではないということです。

この点を誤解しないようにお願いします。

メシールのテニス(33) 脳内イメージはテニスに有効?!

脳内イメージというのは、おそらく、正しい日本語ではないでしょう。でも私は、気にっている言葉です。テニス技術を説明するときに、便利な言葉だからです。

プロとアマチュア(中) 自分自身のコーチになろう、で書きましたが、私は、アマチュアであっても、自分のプレーをビデオで撮影して後で確認するのは有効だと思っています。有効というだけではなく、アマチュアスポーツの楽しみ方として、良い方法だと思っています。「今日は調子がよかった」「あのパッシングショット一発が気持ちよかった」というような、その日その場限りの楽しみ方では、技術はなかなか上達しません。映像で自分のプレーを自分で分析し、一歩一歩上達していくには、自分が自分のコーチになるのが一番です。上達のスピードに制約のないのは、アマチュアのだいご味です。

ところで、ビデオで自分のフォームを撮影してみて驚くは、自分の中のイメージと実際の自分が違っていることです。(想像しているより太っていたとか、そういう意味ではありません(笑)。)

たとえば、ストロークで、自分では面を地面に垂直になるように振っているつもりなのですが、映像で見ると、面がやや上を向いている場合がありました。別項でも書きますが、フォアハンドで脇が意外に開いていて驚いたこともあります。

ビデオは、実際のコーチと違い、その場でアドバイスをしてくれません。自宅に帰って、映像を見て、自分の中のイメージと比較します。私の場合、オンコートでの自分の頭の中のイメージ(脳内イメージ)と実際の映像の中のプレーが、往々にして一致しません。一致しない方が多いぐらいです。

そして、その差分を頭の中で修正して、また、次のコート上でそれを試みるわけです。

時間がかかりますが、ゆっくり、ゆっくりと、自分のペースで自分のフォームやプレースタイルを作っていく。これが、私のやり方です。

(この方法を取り始めて、もう、2年がたちました。2年前のビデオを見ると、今とは全然違うフォームで打っています。変化はゆっくりですが、それなりに、効果があるということですね。)

脳内イメージは、大切です。それだけが、フォームを作り上げる手段です。

たとえば、「ラケット面が上を向く」という癖を修正したい場合。「面が上に向かないようにする」というのは、案外、難しいものです。ラケットは常に動きますし、面の向きも、自由度がありますから、この方向という風に固定することは容易ではありません。

そこで、脳内イメージを作ります。たとえば、「ラケットのヘッドを常にネット方向に向ける」というようなイメージです。実際、ストローク中にずっとラケットヘッドがネット方向を向くことはありません。しかし、私の場合、このように意識することで、ラケット面が開かなくなりました。(これは、また、別項で説明します。)

ただし、このような脳内イメージは、個人によって異なります。私の脳内イメージ(たとえば、「ラケットヘッドをネット側に向ける」)が、他のプレーヤーにも有効であるとは限りません。(おそらく、イメージは人によって異なるでしょう。)

したがって、ここでは、脳内イメージの内容について書く場合は、それらに気を付けて書くようにしますし、読まれる方も、その点に注意をして読んでいただきたいと思います。ただし、案外、私とその脳内イメージが共有できることがあるかもしれませんが…。

2011年7月26日火曜日

ウィンブルドン2011 コートの上のクルム伊達(その2)

ふと思い出して、少し前に書いたウィンブルドン2011 コートの上のクルム伊達というタイトルの短い記事を読み直してみました。

内容に関しては、とくに書き直したいとは思いませんが、少し、書き足したいと思ったのです。

世界で通用するには、周りに影響を受けることなく自分の方法を貫くことだとは書きましたが、それは、あくまで、「自分自身の方法」を確立できてからの話だということです。その方法がなくては、貫くモノもありません。

そして、自分の方法を、ゼロから作るのは難しいものです。「学ぶ」という言葉の語源は「真似をする(まねぶ)」ということだそうです。テニスに限らず、多くの技術は、真似をするところから始まるのです。

周りに影響を受けながら自分の方法を確立し、周りに影響を受けずに自分の方法を貫く。

そのタイミングの切り替わりはどこにあるのでしょうか。

おそらくそれは、オリジナル方法を真似し続けた結果、それが自分の体の一部になった瞬間だと思います。真似をするだけの対象は、おそらく完成度の高いものです。それを自らが取り込んだということは、いわば、自分は、その技術の後継者になったということです。

そこから先は、自分の道です。自分で切り開かねばなりません。

どこで、自分の道を歩き始めるのか。その判断ができるかどうかが、もしかしたら、いわゆる「一流」とう道を歩くかどうかの必要条件なのかもしれません。

2011年7月20日水曜日

書評:「二つのファイナルマッチ 伊達公子・神尾米最後の一年」(下) なでしこJAPANから学ぶこと

昨日(正確には一昨日)、女子のサッカーワールドカップで、日本が優勝しました。サッカーについては、日本は、おそらく(男子はもちろん女子も)欧米から遅れている競技だったと思いますので、これは、本当に快挙と言ってよいでしょう。

私は、今回の試合(アメリカとの決勝戦)内容についてはダイジェストで見ただけなので詳しくは分かりませんが、かなりの僅差での勝利だったようです。したがって、今後、日本女子チームがトップに君臨するというような強さというよりも、どちらかというと、この大会で、神がかり的な強さで優勝したような印象を受けました。(もちろん、それが、優勝の価値を少しも下げるものではないのですが。)

ふと、テレビや新聞を見ても、とても大きな扱いで、少し前のオリンピックで、女子ソフトボールが優勝した時のことを思い出しました。あの時も、メディアはかなりの扱いだったように記憶しています。

さて、ここからが本題です。

女子ソフトボールも、女子サッカーも、長い歴史とは言えない中で世界の頂点を極めたのに、なぜ、(女子)テニスはそうならないのか。

「二つのファイナルマッチ 伊達公子・神尾米最後の一年」の中で、著者は、かなりのページを割いて、フェデレーションカップの運営についての不満を書いています。当時のフェデレーションカップは、伊達・沢松というかなりの布陣を有しながら、しかし、勝利することを最優先した運営ができていなかったというのです。

私は、事の真偽を知る立場にいませんので正しく判断することはできないのですが、しかし、日本の女子(おそらく男子も)テニスが世界に通用することを目指した運営体制になっていないだろうなということは、容易に想像がつきます。そう感じる理由は簡単で、実際に日本は、男子はもちろん、女子も、ナショナルチームが世界の頂点を極めることができていないからです。(男子はデビスカップチーム、女子はフェデレーションカップチームです。)頂点を極めるどころか、ワールドグループに入ることすら、ほとんどできていない現状です。

世界のスポーツにおいて、ナショナルチームの強化体制の成果が出やすいのは、女子です。これは、ほとんどの競技において、女子の方が男子よりも競技人口数が少ない(選手層が薄い)からです。もちろん、そのことが、女子競技の方が男子競技よりも劣るということを意味しているわけではありません。ただ、協会が本腰でナショナルチームの強化策を打てば、少なくとも、女子については、世界での戦いにおいてもその効果は出やすいはずなのです。しかし、ソフトボールやサッカーと比較しても浅いとは思えない歴史のあるテニスでは、その強化策は、残念ながら機能しているようには見えません。

この書籍の指摘だけではありません。フェデレーションカップではないですが、今年のデビスカップについて、山口奈緒美さんが「デ杯で日本勝利も、手放しで喜べない現状」という記事を書いています。これは、ナショナルチーム強化の話ではないですが、この文章からも、会場選択がベストの解になっていない(日本チームが勝つことが最優先になっているようには見えない)という日本のテニス界の現状が、透けて見えるような気がします。

この現状をどのようにすれば改善できるのか。

これについても、私がそれを述べる立場にはありません。ただ、無責任にコメントをするならば、一つだけ、とても大切なことを一つだけ、指摘したいと思います。

それは、現役を終えた選手が、現場を離れて、経営側・運営側に参加することです。男女のテニス協会だけではなく、スポンサー、企画、代理店、経営…など、あらゆる方面に、現役経験者が入り込んでいくことです。特に、世界を知っているプレーヤーの仕事は重要です。

プレーヤーは、現場が好きです。引退しても、現場が好きです。コーチになったり、テレビや雑誌の解説者になったりの方が、きっと、楽しいはずです。

しかし、それでは、ナショナルチームの強化は難しいのです。現場をよく知っている者が、現場をあきらめてでもコミッションする側に入り込み、プランニングする側に入り込む。代理店や資金運営を含めた経営側に入り込む。これらは、スポーツ選手にとっては楽しい仕事ではないでしょう。しかし、それを行わない限り、日本のテニスのナショナルチームが世界のひのき舞台に出ていくことは難しいと思います。

野球やサッカーと比べて、テニスの場合は経営規模が小さいから・・・というのは、言い訳にはなりません。女子ソフトボールも、女子サッカーも、ビジネスとして成立するだけのパイがあったわけではないのですから…。

このことについては、きっとまた、どこかで、さらに詳しく書く機会があると思います。

2011年7月19日火曜日

李娜(Na Li)の全仏オープン決勝戦 その後

ナ・リ(Na Li)の全仏オープン2011で、李娜(Na Li)の全仏オープン決勝戦について書いてみました。その後、パリ在住の知り合い(友達)に、「フランス人にとって、中国人(アジア人)が伝統と格式のあるフレンチオープンに勝ったことが、どのように受け入れられているのか?」について、ちょっとヒアリングをしてもらいました。

そのブリーフレポートです。

実は、彼(友人)はいわゆるインテリで、また、職場もそのような人たちが多いので、これがパリッ庫の意見と同じなのかはわかりませんが…。彼の答えは、次のようななものでした。

「何人かに、李娜が全仏オープンで優勝した印象を聞いてみたけれど、誰一人として、アジア人が勝ったことを受け入れていない人はいなかったよ。アジア人が勝つことに関して、排他的な意見は、まったく出てこなかった」と。

また、「面白いことに、中国人が勝ったという人と、アジア人が勝ったという人が、半分半分ぐらいだった」とも言っていました。

私のブログの内容も、ちょっと偏りすぎ(ドラマチックに書こうとして、色眼鏡で見ている?)のかもしれませんね。でも、試合を見ていた時の印象は、素直に、思った通り、感じたとおり書いています。


2011年7月18日月曜日

ちょっとした冗談

今日、昼過ぎに、ウィンブルドンミックスダブルス決勝の試合をテレビ(GAORA)で見てから、いつものテニスコートに行きました。試合は、オーストリアのメルツァー(男子)の調子が非常によく、一方でインドのブパシの調子が悪くて、その結果として、メルツァー・ベネソバ組がブパシ・ベスニナ組を圧倒して優勝しました。

その試合の放送で、解説者の佐藤武文さんが、こんなことを言っていました。「ミックスダブルスの倍は、男子が1.5人分をカバーしなくてはならないのです。」

ミックスダブルスでは、男子選手が女子選手をどれだけカバーできるかが重要ですので、佐藤さんが言われていることはよく分かります。

テニスコートで、同じ番組を見たある女性が言いました。今から、ミックスダブルスをしましょうという時です。

「私は、0.5人分だけ頑張ればいいんだから、楽だわ~。」(笑)

2011年7月17日日曜日

プロとアマチュア(中) 自分自身のコーチになろう

プロとアマチュア(上)において、アマチュアの利点、つまり、アマチュアはじっくり時間をかけて自分の技術を追求できることの利点を書きました。

アマチュアは、テニスで収入があるわけではありませんので、専属のコーチを雇うことはできません。自分の技術向上は、自分自身だけが頼みです。ならば、自分自身が自分のコーチになればよいとは思いませんか?自分が自分のコーチングをするのであれば、たっぷり時間があります。選手たる自分は、コーチたる自分の言うことを、何でも聞くでしょう(笑)。

自分自身が自分のコーチになるためには、何をすればよいか。

まずは、自分の目指すテニスを明確にしましょう。もちろん、目指すテニスがない(自分に一番適したテニスを目指す)というのも”あり”だと思います。しかし、折角、アマチュアなのです。勝ち負けに関係なく目指すテニスを目指すことを許されるのがアマチュアです。この機会に、目指すテニスを考えてみてはどうでしょうか?

書評:「二つのファイナルマッチ 伊達公子・神尾米最後の一年」(前)でも書きましたが、かつて、作家の村上龍氏は、テニスボーイ・アラウンド・ザ・ワールドで、こんなことを書いています。

「テニスプレーヤーの人格は、そのプレーを超えることができない。」

自分のテニスが、自分を表現する手段になることは、なんと素晴らしいことだと思いませんか?テニスを自己表現として考えることができるのも、アマチュアの特権でしょう。(真のプロフェッショナルは、自然にそうなるのでしょうが…。)

私の場合は、目指すテニスがはっきりしている(メシール)ので、この点で悩むことは全くありませんでした。

と言っても、実は、メシールのあらゆるプレーをコピーしているわけではありません。フォアハンドとバックハンドストロークとフットワーク(ステップ)は完璧なコピーを目指していますが、一方で、ボレーについては全く参考にしたことがありません。(メシールのボレーは、あまり上手ではないというか、私には魅力的ではありません…。)

自分で目指すテニス(プロのコピーでもよいですし、頭の中のイメージでもよいと思います)が決まったら、次は、自分のコーチをしましょう。ここからが本番です。

自分をコーチする際に便利なモノが、ビデオカメラです。いえ、ビデオカメラは、自己コーチングでは必須と言えるかもしれません。自分のプレーは、自分で見ることができないからです。

最近のビデオカメラは、低価格で高解像度です。ビデオカメラを用意して、自分自身を撮影するのです。撮影した映像は、スローモーション再生もできますので、フォームやプレーを、時間をかけてじっくりと分析できます。

自分でボールを打っていますので、どのときにうまく打てて、どのときにうまく打てなかったかは、自分自身でよく分かっているはずです。自分のプレーを何度も何度も繰り返し見ることで、どこをどう修正すればよいか、だんだん分かってくるはずです。

実は、「テニスプレーヤーの人格は、そのプレーを超えることができない」というのは、比喩でも、精神論でもありません。テニスは、本当に、その人の性格が出やすいスポーツです。サーブを打ってからネットダッシュしてもよいし、ステイバックしてもよい。スピン系を中心に戦う選手も、フラットドライブ系中心の選手もいます。バックハンドに至っては、両手で打っても、片手で打ってもよいのです。

基本的なプレースタイルにこれだけのバラエティーがあるスポーツも珍しいのではないでしょうか。そして、その分、プレースタイルに自分自身を反映しやすいスポーツでもあるわけです。攻めたい性格の方は攻撃的なプレースタイルを、守りたい性格の方は安定でミスの少ないスタイルを。そして、私のように、美しいテニスを求める人は美しいテニススタイルを…。

自分のプレーをビデオで穴が開くぐらいに何度も見て、同時に、自分が目指したいテニス(自分が表現したい自分)を何度も何度も考え抜くこと。あなたが(自分の)コーチ業をスタートするのであれば、まずは、そこから始めるのがよいと思います。

プロとアマチュア(上) アマチュアだからできること

上手なのがプロで、そのレベルにまで達しないのがアマチュア。テニスで飯が食えるのがプロで、別に職業がなくてはテニスでは食えないのがアマチュア。

そんな風に思ってないでしょうか?

私は、そんな風には考えません。

プロとアマチュアの違いとは、いったい何なのでしょうか?

私は思うのですが、調子がよくなくても、技術が未完成でも、試合においては「形を整える」のがプロです。プロの評価は、勝敗というたった一つの基準でなされます。高い技術を持っていても、試合に勝てなければ、その技術は評価されません。逆に言うと、技術力がなくても勝てるのであれば、それは高い評価がされます。別の角度から見ると、プロの技術は、勝てるかどうかという「ものさし」(だけ)で評価されるのです。

プロは、したがって、勝つことができるという技術を、高度な、言い換えると正しい技術よりも優先します。ここが大切なところで、勝つことができる技術は、必ずしも「美しい」テニスの技術と一致するとは限らないのです。

かつて、スウェーデンにケント・カールソンという、クレーコートのスペシャリストがいました。カールソンのテニスは、とにかくミスせずにループボールでストロークを続けるというもので、それでもある程度の成績を残したのですが、到底、美しいテニスと呼べるものではありませんでした。それでも、カールソンのテニスは、プロとしては正しいのです。勝つことが、何よりも、大切なのがプロなのですから。

アマチュアは、その必要がありません。じっくり、自分のペースで時間をかけて、自分が納得するまで、じっくりと技術に取り組むことができるのがアマチュアです。アマチュアには、いつまでにどこまで完成させなくてはならないというラインがありません。美しさを、勝利よりも優先できるのも、アマチュアの特権です。そのことを、堂々と宣言しても、アマチュアの場合は、誰にも非難されません。アマチュアなのですから。

アマチュアは、幸せです。

私は、46歳になって、約20年ぶりにテニスを再開しました。20代の中ごろまでは、それなりの熱意をもってテニスに取り組みました。しかし、この20年間、本業の仕事を充実させるために、年に数回しかテニスラケットを持つことができませんでした。テニスを再開してからは、週末プレーヤーですが、後述するように、かなり熱意をもってテニスに取り組んでいます。

今、この年齢になって、もう、若いころのような体力も、瞬発力もありません。当時のギラギラとした情熱すら、今はもうないと思います。しかし、不思議なことに、私の技術は、いまだに向上しているようです。そして、おそらく、若いときよりも、今のほうが、テニスの技術は上だと思います。

それは、おそらく、今の私は、当時よりも自分が納得する技術を追求しているからだと考えています。今は、目の前の試合の勝ち負けではなく、自分の技術を向上させることに集中し、一歩一歩、前進しているからです。

実は、私は、46歳でテニスを再開する際に、2~3年計画で技術を定着させることにしました。メシールのビデオと自分のビデオを何度も何度も見直して、試行錯誤し、自分なりの技術を追求してきました。その間、ほとんど対外試合に出ることをしませんでした。練習試合でも、勝ったり負けたりを繰り返しながら、しかし、目先の勝利ではなく、しっかりとした技術理論を自分の中で確立し、さらにそれを身につけることだけを目標としてきました。

こんなに時間をかけて、何年もの時間をかけて技術だけを追求できるのは、それはアマチュアだからです。プロは、目の前の仕事(=試合)で結果を出さねばならないからです。

アマチュアであることを大いに楽しむこと。これこそが、アマチュアの醍醐味だと思います。

続く

2011年7月11日月曜日

ウィンブルドン2011 コートの上のクルム伊達

ウィンブルドン2011についての最後のブログです。今回、早いラウンドで敗退したクルム伊達のプレーについて、思ったことを書いてみようと思います。いや、この内容は、プレーとは言えないことかもしれません。

Na Liのフレンチオープン2011で書きましたが、私には、Na Liは、決勝のセンターコートで、欧米の歴史そのものと戦っているように見えました。しかし、その後、いろいろ調べてみると、Li Naはオープンでアメリカナイズされた個性(パーソナリティー)の持ち主だということが分かってきました。中国を背負うわけでも、中国のためでもなく、良くも悪くも中国人女性らしくないといってもよいパーソナリティーに見えました。(私は、テニスは個人競技だと思っていますし、基本的には国籍とプレースタイルはあまり関係ないと思っていますが。)

Na Liのパーソナリティーについては、山口奈緒美さんのコラムでも、その明るくオープンな様子がレポートされています。

さて、クルム伊達です。私は、クルム伊達対ウィリアムスの試合で、クルム伊達の見せる日本人らしいしぐさが気になったのです。

たとえば、ミスをして、「あ~」と言いながらしゃがみこむしぐさなど、これは全く、日本女性(日本の女の子?)のしぐさです。この動作の本当に雰囲気は、おそらく、日本人以外には理解されにくいのではないでしょうか?

クルム伊達は、全く屈託なく、幾度となく、本当に日本人っぽいジェスチャーや声、しぐさをコート上で見せます。

そして、これこそが、クルム伊達の強さの秘訣ではないのかと思いました。

上のNa Liのフレンチオープン2011のブログ記事は、実は、私のブログの中で、アクセス数が一番多い(ダントツ)の記事です。その内容を、テニスに詳しい人複数に話したり読んでもらったりしたのですが、私の予想に反して、その内容に共感してくださる方が多い記事でもあります。(私自身は、この記事はかなり推測に基づいて書いているので、どこまで正しいのか自信がないのですが…。)

日本人プレーヤーが、なぜ、世界のテニスシーンでトップまたはトップクラスになかなか躍り出ることができないのか。もちろん、この記事の内容が、それを適確に指摘しているとは思いません。ただ、クルム伊達の強さは、当たり前のように日本人らしさをウインブルドンのコートに持ち込んでくることなのかもしれないと、ふと思ったのです。

そのクルム伊達も、よいポイントを取った時には、”Come on!”と英語で言ったりしています。

上の山口奈緒美さんのコラムでも、Na Liが自分の生き方をまず大切にする様子が報告されています。私は、なんとなく、クルム伊達とNa Liに共通したものを感じるのです。

つまるところ、ルールなどなにもないのです。自分の中にしか。

一番大切なことは、自分の方法で自分を表現し、自分の方法で戦うこと。もちろん、国際社会(国際的な大会)で共通のもとして守るべきルールやマナーはあるでしょう。それらは、絶対に守らねばなりません。しかし、それ以外については、躊躇することなく、周りの目を気にすることなく、自分のやり方を貫けばよいのです。

一番よくないのは、他人の目を気にして、自分を出し切らない(出し切れない)ことです。まず、国際社会のルールの中でしてはいけないこととしなくてはならないことを理解する。その基本ルールを十分に身に着けたら、今度は、それら以外については、外からの目を一切気にせずに自分を出し切る。

これが、国際的な大会で通用する秘訣だと思います。

選手のコーチや指導者、支援者がすべきことは、まだまだ、たくさんあるようです。

2011年7月10日日曜日

ウィンブルドン2011女子を振り返って~たった5歩のダンス

ウィンブルドンの試合をテレビで見るのは何年振りかだったのですが、今年は、特に、神尾米さんが解説を担当されていた第1週目(前半)の女子の試合を中心に、WOWOWで放映された何試合かを見ました。(私は、米さんのファンなので(笑)。)

今年の女子は、クビトバ(チェコ)の初優勝で幕を閉じた女子シングルスですが、女子の試合を何試合か見ているうちに、ふと気が付いたことがあります。

それは、大型化が進む女子選手の中に、比較的小柄であったり、またはスリムであったりするプレーヤーが混じっている(残っている?)ということです。

最近の女子テニス界は、ウイリアムス姉妹はもちろんのこと、シャラポワ、アザレンカ、クビトバ、リシツキと、大型でスケールの大きなテニスをする女子プレーヤーが目立ちます。

その中で、時々、小柄またはスリムな選手が時々上位に進出するのですが、これが楽しみの一つになっています。たとえば、今年、私が見た試合では、ピロンコバ(ブルガリア)やエラコビッチ(ニュージーランド:ダブルスでベスト4)などがそうでしょうか。(少し前だと、ヒンギスがそうですね。そういえば、エナンの2度目の引退は、残念でなりません。)

しかし、ただ小柄だったらよいというわけではありません。たとえば、準々決勝でアザレンカと戦ったオーストリアのパスゼックは、小柄ですが、私にはあまり魅力的なテニススタイルには見えませんでした。

体格がよい(もっと正確には身長と体重がある)選手は、フットワーク(正確にはステップ)とストロークが独立しても強いボールを打つことができます。フットワークを使ってボールの打点にまず移動する。移動してから、改めてボールに体重を乗せてボールを打つ。この2つの作業を別々に、連続して行うことができるのです。

しかし、体格がよいわけではない選手は、ステップワークとストロークがうまく同期(シンクロ)しなくてはなりません。打点のところまでのステップは、同時に、ストロークの一部でなくてはなりません。コート上での動きは、すべてが、ストロークの一部というわけです。そのためには、力の使い方も、体の使い方も、そしてステップにも無駄がありません。

そういうプレーヤーは、見ていて美しいし、楽しいのです。別項(メシールのテニス(12) なぜメシールのテニスは美しいのか~フットワークについて)で書きましたが、私がメシールのテニスが好きな理由は、メシールは典型的な後者のプレーヤーだからです。他には、かつてのチェコスロバキア選手として活躍したハナ・マンドリコバなどがそうでしょう。精神的にむらっけがあったものの、マンドリコバのプレーは、コートの中でまるで踊っているように美しいものでした。

話は変わりますが、もし、あなたが、ベースラインの真ん中で構えてベースライン上で相手のボールをストロークで打つとして、ボールをヒットするのに何歩が必要かご存知ですか?ご存知がない方は、ぜひ、一度、コートで試してみてください。意外に少ないことに驚かれると思います(私は驚きました)。

たとえば、私の場合、フォアハンドはほぼ2歩、バックハンドは3歩です。つまり、合計でたった5歩で、実は、ベースラインの端から端までをカバーできるのです。最初の一歩は、フォアもバックも、ボールと反対側の足になります。たとえば、フォアハンドでは、左足が一歩目になります。

フォアハンドとバックハンドで歩数が違うのは、私の場合は(メシールを真似して)フォアハンドは基本的にはオープンスタンスで打つからです。また、実は、2歩では、サイドラインから50㎝~1mほど足りないため、本当にギリギリのボールに対しては、あと1歩(または2歩)必要になることもあります。私のレベル(中級)ではそこまできわどい球が飛んでくることは、ほとんどありませんが。

つまり、テニスのストローク戦は、この5歩でどこまで戦えるかということになります。たった5歩と言っても、簡単ではありません。特に、ボールを打った後で元のポジションに戻るときも、フォア2歩、バック3歩で戻らねばなりません。ストロークで、右足または左足に体重が乗っているところでそれを戻し、さらに、少ない歩数でレディーポジションに戻るためには、ボールに入る・ボールを打つ・体重を戻す・レディーポジションに戻るという一連の動きがスムーズであることが求められます。

この一連の動きに無駄がなく、スムーズでなめらかであると、テニス全体が美しく感じます。

コートの上で、フットワークとストロークには境目はありません。フットワークを含めた大きな一つのストロークプレーがあるだけです。

広いコート上での、たった、5歩の、ダンス。

特に、両手バックハンドは、左膝と腰をしっかり落とすことが大切ですので、バックハンドの一連の動きのフットワーク全体に対する負担は大きくなります。メシールが、バックハンドストロークのアンフォースドエラーの後で、「もっとしっかり腰を落として!」と自分に言い聞かせるのを何度か見たことがあります。それでも、一連の動きはスムーズでなくてはなりません。

5歩の動きの中で、ボールをヒットする。これがスムーズで同期しているテニスこそが、美しいテニスです。バランスを崩さず、体重移動をスムーズに、そしてその中でボールとの距離の微調整をうまく取れること。ボールを強くたたくことよりも、ボールに強いスピンをかけるよりも、流れるようなプレーの中で重いボールを打つことが大切です。

このブログの最初の目的は、私自身が、なぜ、メシールのテニスを美しいと感じるかということでした。少しずつ、その答えに迫ってきているように感じます。

おまけ:興味のある方は、「歩数の少ないフットワークについて」も、ぜひお読みください。

2011年7月8日金曜日

メシールのテニス(32) サーブ(その4) 野球の投球フォームの弊害

ずっと思うように打つことができずに苦労(苦戦)している私のサーブ。特に、安定したスピン系のサーブを打つことができません。どうしてなのか、ずっとわからず試行錯誤していたのですが、最近、少し理解できてきたので、解説してみようと思います。

昔、若いころに野球をやっていた(特にピッチャー)の場合は、肩が回るので有利だと言われていましたが、どうも、必ずしもそうではないというお話です。

実際、サーブのフォームは、投手の投球動作と似ているところは多いと思います。肩が回ることもその一つであり、それだけを考えると、確かに、野球の経験は有利な点もあります。

しかし、野球の投球フォームとテニスのサーブ(スピン系)では、決定的に違うことがあります。この点が、私を長い間苦しめている点です。(私は、中学校の時に、野球部でピッチャーでした。)

それは、右肘(右利きの場合)の使い方です。これが、野球とテニスでは、全く違うのです。以下、テニスの用語を使って説明します。

野球では、投手は、フォロースルーにおいて、いかに右肘を前に突き出すかが大切です。これにより、腕が弓のようにしなり、ボールにスピードと伸びが出ます。私もこの癖が、体に染みついています。



画像は西武ライオンズの涌井投手の連続写真です。下段の左から2枚目~4枚目の図を見れば明らかですが、右肘を突き出すことで右腕が弓なりにしなっています。

この準備として、投手は、テイクバックトップで右肘を投球するのと反対方向に突き出します。上段の一番右の図がそうです。

では、テニスはどこが違うのでしょうか?

実は、テイクバックトップは、腕の曲げ方がテニスと野球とで、似ています。フェデラーのサービスの写真を見てください。



涌井の投球フォームとは写真の角度が違うのでわかりにくいですが、右から2枚目で、フェデラーの右肘は後ろに突き出されており、涌井の上段右端の写真とよく似た形です。

また、テイクバックトップからフォロースルーに代わるタイミング(涌井の下段左端とフェデラー右から4番目)も、まだ、よく似ています。

しかし、フォロースルーは両者ではかなり違います。フェデラーの左から3番目の写真を見ると、フェデラーの右肘は、手首やラケットと比較しても、後ろ側にあります。涌井の下段左から2番目~4番目とは、右肘の位置が、全く違います。

野球では、フォロースルーにおいて如何に右肘を前に突き出すかが大切でしたが、テニスではその正反対です。テニスのサーブでは如何に右肘を「後ろにおいておくか」が大切なのです。これを守らないと、スピン系のサービスを打つことはできません。

若いころに野球(投手)をしていた私は、(年齢の割には)比較的早いスライスサーブを打つことはできます。それは、スライスサーブの場合は、右肘を突き出してもよいからです。

しかし、その癖が残っている限りは、どんなに頑張っても、スピンサーブを打つことはできません。

この癖を修正するのは、子どものころからの”投球フォーム”を変えるのですから、なかなか厄介です。今、2つの方法を試しています。

一つは、テイクバックからフォロースルーまで、できるだけ長い時間、ラケットヘッドをネットの方向(0時の方向)に向けるように心がける、という方法です。

もう一つは、右肘を”ちょうつがい”の支点としてスイングする方法です。右肘が支点となるので、右肘は動かず、したがって、自動的に右肘がネットと反対方向を向いたままになるという方法です。

両方とも、脳内イメージの問題ですから、実際にはそうはならないでしょう。しかし、このイメージで、右肘が前に出る癖を直せないかと期待しています。

コート上では、今のところはまずまずはうまくいっているのですが、あまり強いスピンがかかっているわけでもないので、まだ、改良の余地はありそうです。

さらに、オンコートで試してみます。

2011年7月3日日曜日

ウィンブルドン2011男子決勝戦を観戦しながら ナダル-ジョコビッチ

ウィンブルドン2011男子決勝戦を前に ナダル-ジョコビッチ」で書いたように、ナダルがこの試合でどんなメンタリティーを見せるかを興味の中心に、男子決勝戦を観戦しています。気になったことを、リアルタイムで綴ってみようと思います。


第1セット第1ゲーム…最後のポイントは、ジョコビッチのバックハンドにナダルのフォアハンドが打ち負けました。何となくこの試合を象徴するようなポイントで、ナダルから見るといやな感じです。

第1セット第8ゲーム…二人のここまでのプレーは、ほぼ完璧です。解説の土橋さんが言っていますが、二人には無駄なボールが1本もありません。完全すぎて、逆に、ドキドキするところがないのですが、それはまるで、壮大なクラシック曲の序盤のような感じです。

第1セット第10ゲーム…30-30からナダルのセンターにエースを狙ったファーストサーブがフォルト。ゲームを落としたくない、サーブでポイントを取りたいというナダルの気持ち(やや焦り)が見えます。一本のサーブ(フォルト)というほんのちょっとしたことですが、時にはこういうことが大きな結果として、表れてくるのではないかと思います。実際、そのポイントは、激しい打ちあいの末にジョコビッチがとりました。土橋さんは、ジョコビッチは、ナダルに打たせて無理をさせるという戦略を取っているとコメントしています。(納得です。)あのナダルに対して打たせることができるとは、ジョコビッチはすごい(余裕がある)ですね。

第2セット第2ゲーム…第1セットを落としたナダルは、30-30からスマッシュをミスします。徐々に、ナダルに焦りが見え始めています。一方、ジョコビッチは、相手のミスを誘う余裕が出てきています。土橋さんの解説の通りです。このあたりからのナダルのメンタリティーを、私は見守りたいと思っています。

第2セット第2ゲーム…土橋さんが、ナダルがサービスに頼ってしまっている(ストロークの打ち合いで押されているため)と解説しています。確かに、ナダルのストロークが、完全に封じられてしまっています。第1セットで、一度、ナダルがサーブアンドボレーでポイントを取ったことがありました。あれも、その象徴だったのかもしれません。

第2セット第3ゲーム…土橋さんは、ナダルがフォアハンドエースを取ったところで、苦しくてもナダルは戦略をかえずに、自分のプレーをしようとしているのが素晴らしいと評しています。確かに、戦略子を変えないことが、ナダルにとって最も有効な戦略だと思います。しかし、一方で、15-15のポイントでは、ナダルは(芝のコートですのであたりまえかもしれませんが)ショートゲームでポイントを取りに行きます。私には、ナダルが、逆に、戦略を変えてしのごうとしているのではないかと、土橋さんとは違う印象を持っています。

第2セット第4ゲーム…ナダルがノータッチのサービスエース2本で30-0とリードします。しかし、依然として、サービスエースに頼らざるを得ないナダルの苦しさが伝わってくるようです。

第2セット第6ゲーム…第2セットも、すでに、ジョコビッチの4-1になりました。(と言っても、ナダルの1サービスダウンだけですが。)ナダルは、試合前のブログでも書きましたが、試合中に戦略を細かく変えてくるタイプではありません。だからこそ、ここからのナダルは、かなりつらいと思います。ジョコビッチやナダルのような、完成されたプレーヤーの試合では、昔のような試合途中で流れがガラッと変わることは、あまりありません。私は、ナダルは、最後まで自分のプレーに徹したほうがよいように思います。つまり、オープンコートを作って、フォアハンド一発で決めに行くプレーです。それが、うまく機能しなかったとしても…。

第2セット第7ゲーム…第2セットは、第1セットよりもはるかに簡単にジョコビッチが取りました。このレベルのテニスでは、もう、逆転はあり得ないでしょう。ナダルも、それは分かっているはずです。私は、この数年間、テニスの試合をほとんど見ていないのでよくわかりませんが、ナダルがグランドスラム大会の決勝戦で、ここまで、手も足も出ずに、言葉は悪いですがみじめに戦ったことはあるのでしょうか?ここで、まだ私は、ナダルのメンタリティーに注目をしています。

第3セット第1ゲーム…ナダルが最初のポイントを得意のフォアハンドのウイナーで取りました。ノータッチエースです。ナダルには、これしか残っていないと思います。土橋さんも、ナダルが自分の持ち味のプレーでゲームを取ったことを評価しています。次のポイントも、フォアハンドの深い球でポイントを取りました。このレベルのプレーヤーの試合では、おそらく、これが最後のチャンスなのかもしれません。

第3セット第1ゲーム…初めて、ナダルが、ジョコビッチのサービスをブレークしました。が、試合全体を見た時には、まだ、ジョコビッチ優位は揺らいでいません。この程度のブレークは、おそらく、渦を巻きながら、少しずつ流れていく一つの試合の、渦の枝でしかないはずです。しかし、私は期待したいのです。ナダルが、これをきっかけに、今まで以上のスーパーショットを連発する新しいナダルにメタモルフォーゼすることを。それこそが、スポーツ界全体のスーパースターの登場を意味するからです。

第3セット第4ゲーム…土橋さんが、ジョコビッチのテンションが少し落ちていると指摘しています。ジョコビッチは、試合中に「遊んでしまう」癖があり、これが、ジョコビッチの弱点の一つでした。おそらく、それは、ジョコビッチの性格的なもの(集中力が100%維持できない)と、もう一つ、不安を打ち消すためと、2つの意味があるのでしょう。今年に入ってのジョコビッチは、私が見ている限りは、この「遊び」がありませんでした。それに合わせたように、圧倒的な強さを見せています。第3セット第3ゲームで見せたドロップショットとロブの組み合わせ(遊び)が、少し気になります。ジョコビッチのメンタルにも、少し注目してみたいと思います。

第3セット第7ゲーム…ジョコビッチがサービスを落とし、1-5になりました。これで、逆に、ジョコビッチはこのセットをあきらめ、次のセットの準備に入れます。が、第7ゲームの落とし方がよくない。最後は、ボールを追いかけもしませんでした。このあたりに、ジョコビッチのメンタルの弱さがよく見えます。メンタルでかなり強くなった今年のジョコビッチですが、かつての弱虫ジョコビッチが、むくむくと頭を持ち上げてきています。ジョコビッチが、第4セットの準備に入るどころか、むしろ「切れた」状態になってしまっています。ウィンブルドンというのは、これだけメンタルが強くなったジョコビッチをかえてしまうほどに、それほどまでに恐ろしい場所なのでしょうか…。

第4セット第1ゲーム…15-30でジョコビッチがピンチだったのですが、ナダルのフォアハンドが大きくアウトしました。しかし、ナダルは、とにかく、フォアハンドを思い切り打っています。このアウトは、むしろ、よい方に効いてくるような気がします。

第4セット第1ゲーム…ジョコビッチのサービスが、こわごわになりかけていたのですが、最後のポイントではしっかりと打ち込み、ゲームをキープしました。面白いもので、きちんとサービスを打てれば、ポイントを取る確率はあがあります。土橋さんも言っていますが、このゲームのジョコビッチのサービスキープは、ナダルの流れをいったん止めるという意味でも、重要だったと思います。

第4セット第2ゲーム…テニスは面白いですね。このゲーム、ナダルはボールを強く打つことに専念し、ジョコビッチは自分の中の弱気に打ち勝とうとしている。二人が、コートの上で、相手と戦いながら、自分とも戦っているのですね。このゲーム、ジョコビッチが取りました。しかし、ナダルは、気にせず、フォアハンドを打ち込み続けるべきです。まだ、望みが全くないわけではないはずです。

第4セット第3ゲーム…ジョコビッチのサービスは、ナダルのリターンがネットインすることで決まりました。ナダルの強打でもなく、ジョコビッチが”びびった”わけでもない。これがテニスですね。本当に面白い。こんな運命の女神にもてあそばれながら、一方で、二人は、自分との戦い、そして相手の戦いを続けていきます。

第4セット第4ゲーム…両プレーヤーは激しく打ち合います。まるで第1セットに戻ったようです。土橋さんが、一進一退ですよね、とコメントしています。その中で、ジョコビッチのサービスが、時々、置きにいくような弱気な打ち方になっていることが気になります。土橋さんは、サービススピードをコントロールして、確率を上げることを重視しているとコメントしています。

第4セット第6ゲーム…第5ゲームの最後のポイントで、ジョコビッチのサービスは、それほど速くも深くもないものの、しっかりと振り切ったサービスでした。ジョコビッチのメンタルが、完全に戻ったとは思えません(顔の表情には、まだ、不安が見えます)が、しかし、ジョコビッチも自分と戦っています。今シーズンで、マシンのように表情を変えずに戦ってきたジョコビッチですが、今年、私が見た試合では、初めて、こんな弱気な表情を見ました。

第4セット第8ゲーム…そろそろ、試合が大詰めです。両者とも、まだ、完全な決め手を得ることができていない中で、拮抗した第4セットが進んでいます。ジョコビッチが、このゲームをブレークしました。このポイントが、私がこの試合の中で見た、一番よいジョコビッチのポイントのように思いました。ナダルの厳しいサービスを合わせずにしっかりとドライブ系でリターンしたこと、ラリーの最後に強くヒットせずにナダルのエラーを誘うことができたこと。これで、ジョコビッチのマッチゲームとなりますが、まだ、ジョコビッチが、メンタルの弱さから抜け出したかどうかは、わかりません。表情には、まだ、不安があるように見えます。

第4セット第9ゲーム…ジョコビッチのマッチゲームです。30-30になりました。このポイントは、当然ですが、重要です。ジョコビッチが、ここでサーブアンドボレーを使ってきました。今までと違うパターンを使うことは、ある意味、勝負をかけたのでしょう。一本で、マッチポイントを取りに来たと思います。

試合終了…ジョコビッチは、一本でマッチポイントを取りました。もし、ここで一本で取れなかったら、再度、ジョコビッチの弱気が顔を出したかもしれないと思うと、それを見てみたかったような気もしますが…。まずは、素晴らしいジョコビッチの初優勝でした。これから、ジョコビッチは、ますます強くなるでしょう。また、これまでのパワーテニスだけではジョコビッチには勝てないと知った今後のナダルの変化にも注目をしたいところです。

ウィンブルドン2011男子決勝戦を前に ナダル-ジョコビッチ

昨日の女子決勝は、あまり興味がわかなかったウィンブルドンですが、男子決勝については、なんとなく気になって、WOWOWで観戦しています。また、今日も、生放送中に書いています。

と言っても、まだ、二人は、センターコートに現れていません。今から、ファイナルが始まるのです。

どちらか勝かというような予想をするつもりはありません。私は、今回の決勝について予想ができるほどテニスが分かっているわけではありません。ただ、一つだけ、決勝を前に、なんとなく、胸騒ぎがするのです。

それは、ナダルです。

ナダルは、この試合の前に、準決勝で勝利し、決勝に進んだにもかかわらず、ランキング1位から落ちてしまいました。

また、今年は、まだ一度も、ジョコビッチに勝っていません。

さらに、この大会中、一度足を故障して、痛み止めを飲みながら戦いました。

昨年のチャンピオンで、ナダルには守るものしかないのです。(本人は、そんな風に感じる選手ではないですが。)

ナダルの中に、どんなモチベーションがあるのか、私には理解するすべもありません。しかし、それは、少なくとも、昨日の女子決勝のクビトバのような失うものが何もない挑戦者のモチベーションではありえません。

今日の決勝も、おそらく、ジョコビッチが優勢な展開になるでしょう。

ナダルは、決して試合巧者ではありません。策を駆使して、ペースをかえたり、戦略を大きく変えたりして戦う選手ではありません。

しかし、その代わりに、ナダルは決してあきらめません。その試合で自分が出せるすべてを出し切ろうとするでしょう。それがナダルの戦い方です。

私は、この試合は、ナダルにとっては、背中の上にかかるものが多すぎるのではないかということを心配しています。昨年の優勝者としての連覇、ナンバー1への返り咲き、今年初めてのジョコビッチへの勝利、けが・・・。それらはすべて、希望よりも重荷になる荷物です。

ナダルが、もし、この試合で一度燃え尽きてしまったとしても、私は、不思議はないように思うのです。ちょうど、ウィンブルドンの後には、しばらく試合出場を予定していないそうですし…。

間違いなく、ナダル100%の力で戦うでしょう。どんなに劣勢になっても、ナダルは、最後まで100%を出し続けるでしょう。その時に、ナダルが、どんなに戦っても壁を打ち壊すことができなかったとしたら・・・。私は、それを心配します。それは、悲しい物語になるかもしれません。

それでも、戦うナダルの姿を、我々は、この試合を通じてじっと見守るのです。複雑な気持ちの中で戦う、少年のような心を持ったこの世界トップのレフトハンダーを、我々は、静かに応援するだけです。

さあ、いよいよ、決勝戦の始まりです。

決勝戦観戦記に続く。)

テニスに関係ない話: ツォンガ ウィンブルドン2011男子準決勝

ここのところ、テニスに関係ない話ばかり書いていますが、今回も、実は、テニスとは関係ない話です(笑)。タイトルでテニスの話だと思った方、申し訳ありません。

別のタイトルでも書いたのですが、私は、このところ、何年かぶりにテニスを見ています。WOWOWにも、初めて加入しました。

さすがにフェデラーとかナダルとかのプレーは、どこかで見たことがあったのですが、一部の選手を除いては、初めてプレーを見る(名前だけは知っている)選手ばかりです。

この、フランスのツォンガも、その一人です。今回、男子準決勝でのジョコビッチ戦で、初めてそのプレーを見ました。テニス選手としては、がっしりとした体格の黒人系の選手です。フランスの黒人系テニスプレーヤーとして、なつかしい、ヤニック・ノアを思い出しました。

パリの地下鉄に乗るとわかるのですが、パリ(フランス全土?)の人口に黒人が占める比率は、おそらく、パリを訪れたことがない人が想像するよりは高いと思います。(どのぐらいなのでしょうか?)

したがって、フランスの黒人プロテニスプレーヤーがいることには、それほど、不思議な感じはしません。

実は私は、フランスのナントという街に行ったことがあります。フランスの西、ビスケー湾に面している古い町です。ビスケー湾は、そのまま、大西洋につながります。日本では、ナントの勅令という名前で知られていると思います。図は、Google Mapsで作成したナントの位置を示す地図です。



ナントは、本当に美しい町でした。ヨーロッパの街は、美しい町が多いと思いますが、ナントは、その中でも大きすぎず、小さすぎず、私の記憶にはよい印象しか残っていません。川を上りながらのクルージングでみたさまざまな古城のライトアップは、特に素晴らしかったです。

ナントは、実は、とても悲しい歴史を持った街です。フランスが、アフリカから黒人を奴隷として連れてきたときに、その奴隷船が停泊する街だったのです。いわゆる、奴隷貿易で栄えた街だったと聞いています。今は、湾が浅くなって、貿易機能を失い、その結果、歴史がそのまま残っている(だから美しい)街だったと思います。(ヨーロッパには、そういう街がいくつかあるようですね。)

アメリカでは、初めての黒人大統領が生まれましたが、黒人コミュニティーへの差別は依然として生活のいたるところに残っています。フランスではどうなのかなぁ…と、試合を見ながら、ふと思いました。

2011年7月2日土曜日

プロスポーツ選手に聞いてみたいこと

私の仕事は、ちょっと変わった公務員のような仕事なので、民間の会社員ではないのですが、まあ、広い意味ではサラリーマンです。だから、というのが正しいのかわかりませんが、普段、プロスポーツ選手と話をする機会はありません。

それが別に不満でも、困っているわけでもありません。ただ、いろいろな試合を見たり、また、いろいろな活動を見たりすると、時々、選手に直接聞いてみたいなぁと思うことがあります。

最近でいうと、プロ野球・日本ハムファイターズの二塁手の田中賢介選手。顔はちょっといかつい(すみません!)けれど、でも優しそうな雰囲気の日ハム選手会長です。(2011年6月現在は、故障のために試合には出場されていません。一日でも早い復帰を期待しています。)

さて、最近、田中選手がアウトにした数だけ乳がん検診のためのマンモグラフィー検診をプレゼントしているという日本生命のCMが、テレビでよく流れています。BGMもとても良い曲です。ゆずという二人組の「虹」という歌のようですね。私は、普段、ほとんど音楽を聴かないのですが、ゆずというハーモニーの美しいデュオがいることは、知っています。

このCMは、とてもとても良いCMです。田中賢介選手の誠実さとまじめさが伝わってくるCMです。私は、このCMが、理由はよくわからないのですが、とても好きです。おそらく、映像から田中選手の誠実さが伝わってくるからだと思います。このような活動を映像にすることは、有名人のボランティア行為の押し売りともとられてしまうこともよくあります。にもかかわらず、思い切ってCMにした勇気に、素直に感銘しています。

その中で、「恵まれない子どもに」というような抽象的なものではなく、具体的な乳がん検診の支援ということをプロ野球選手である田中選手がなぜ選んだのかを、私は知りたいのです。知らなくてはならないことではないのですが、自分の中で、なぜ、自分がこのCMに感銘するのかを理解したいという気持ちと、どこかでつながっています。

上の日本生命のサイトでは、田中選手自身のカラーがピンクなので、同じピンクリボン活動に共感して・・・・というようなことが書いてありますが、それだけの理由なのですかね?

書評:「二つのファイナルマッチ 伊達公子・神尾米最後の一年」(中) ナンバーワンになるということ」でも少し書きましたが、私は、プロのスポーツ選手については、その作品であるプレーを見て理解をすればよいと思っています。一方、プライバシーは選手自身のものです。本人以外が知る必要はないものだと思っています。

ただ、今回の田中賢介選手のCMのように、メディアを通じて入ってくる事柄について、その背景や理由を知りたくなることがあります。今回で言うと、田中選手に直接、聞いてみたいなぁと思うわけです。

プレーそのものについてであることも、今回のようなプレー以外のことについて知りたい場合もあります。いずれにしても、作品に感銘した時には、その理由や背景にあるものについて理解したくなるのです。

最近は、ブログや電子メールなどがありますので、その機会はかつてよりは多くなっています。メールを送っても、事情によっては返事をもらえないこともあるでしょうが、それ以前に、相手に負担をかけるメールは送りたくないというのが正直な気持ちです。

選手にとっては、プレーヤーとして最高のパフォーマンスを見せることが第一目標であり、それだけでも、十分に大変なことだからです。

2011年6月29日水曜日

なぜ、ウインブルドンはそこまで素晴らしいのか?

今日(6月29日)、男子の4強がそろい、男女ともに、ウインブルドン2011が、いよいよ佳境に入ります。世界のトップが集まるグランドスラム大会の、その中でも最高峰と言われる全英オープン。2011年のピークが、いよいよ、あと数日に迫ってきました。

なぜ、ウインブルドンがそこまで素晴らしいのか。ふと、そんなことを考えてみました。

よく考えてみるとすぐに気が付くことですが、我々がテレビで見るテニスの試合、特にウインブルドンのような大きな大会では、出場する全選手が、ゲームというその短い時間のために、人生のすべての照準を合わせてきます。体調やテニスの調子はもちろん、時差ボケ、道具、戦略、メンタル、予算、もしかしたらプライベートまで、あらゆることを調整して、その結果をもってコート上にやってくるわけです。大会規模が大きければ大きいほど、調整は徹底し、いわゆる”仕上がっている”状態が出来上がるのです。

我々は、テレビのチャンネルを合わせたら、選手がスタジアムに入ってきて、試合をして、その結果として勝者と敗者が決まる。この、切りだされた試合の部分しか見ることがないのですが、実は、コート上にあるのは、二人の選手がその瞬間のために人生を注ぎ込んで準備した最高の”作品”なのです。

だからこそ、この作品は、とても希少で貴重です。考えてみてください。国も、年齢も、話す言葉も、家族構成も、食べるものも、生まれ育った環境も、すべてが異なる二人が、地球上の全然違う場所で、違う方法で準備した二つの作品を、たった数時間だけ、同じコート上に展示するのです!!

そして、残酷にも、どちらの作品が優れているかを決められてしまう。

それは、考えようによっては切ないけれど、でも、だからこそ、ウィンブルドンは、あんなに素晴らしいのでしょう。

我々、観客は、難しく考える必要はありません。その作品(試合)を楽しめばよいのです。特に、二つの作品の素晴らしさが拮抗するとき、つまり競った試合では、ドキドキしながら見守ればよい。

でも、目が肥えてきて、より深く作品を理解することができるのなら、我々はこの希少で貴重な時間を、さらに楽しむことができるでしょう。そのために、ウインブルドンのような大きな大会のテレビ放映では、解説者が作品とその作者を解説してくれます。

我々が作品を楽しむときに、必ずしも、解説者の言うとおりに楽しまなくてはならないわけではありません。見る人によって、楽しみ方はいろいろです。でも、よい解説者は、「なるほど、そういう見方もあるのか」「そうやって見たら今のプレーは理解できるのか」と、納得させてくれます。

解説者には、どうやって作品を楽しめばよいか、どうやって作品を理解すればよいか、観客をうまく導いてくれることを期待しています。テニスに深く精通した解説者には、作品(プレー)の裏に隠れた努力や能力、経験、もしかしたら人格までが見えてくることがあると思います。時には、それが、我々の作品への理解を助けてくれることもあると思うのです。

ウインブルドン2011 ベスト8が出そろったものの…

本日、6月29日、日本はまだ梅雨が終わっていません。

ウインブルドンも、例年のように天候がコロコロと変わっているようですが、全英オープンは順調に試合が進み、男子はベスト8が、女子はベスト4が出そろいました。

”鉄板”と呼ばれる男子の上位シードの4人は、ナダルの足の故障が気になるものの、予想通り、ベスト8に全員が残っています。とあるブログサイトに、大会前に、「ウインブルドン男子のベスト4を予想しましょう」というサイトがあった(ここ)のですが、私はこんな風に書きました。

さて、ウインブルドン2011のベスト4を予想しようとしたのですが、すごく難しいです…他の人と違う予想をするのが(笑)。
考えてみたら、今のトップ4(ナダル、ジョコビッチ、フェデラー、マレー)の組み合わせ以外は、思いつきません…という人ばかりなのではないかと思います!
ベスト4の4人を当てるのではなく、この4人になるか、または一人でも違うか、どちらかを選択せよと言われても、前者を選びますね(笑)。


私だけではなく、おそらく、多くの人が、同じ意見であったのではないでしょうか。そして、今のところは、その4人が、ベスト8に残っているわけです。

一方で、女子のベスト4を予想するのは、非常に難しいことも、どなたも異論はないでしょう。ベスト4を予想するどころか、ベスト4に残る選手を一人あてるだけでも易しくないという、大混乱状態(群雄割拠?)です。これは、全英オープンだけの話ではなく、直前の全仏オープン2011でも、第1シードのウォズニアキ、第2シードのクレイステルス、第3シードのズヴォナレーワらが4回戦を前に敗退し、優勝は第6シードの李娜(Na Li)だったわけです。(その李娜も、全英オープン2011では早いラウンドで敗退しました。)

4、5、8、9、24、32、-、-
1、2、3、4、10、12、-、-

この2つは、今回の全英オープン2011での、女子、男子のベスト8に残った選手のシード順を表しています。男子は、確かにトップ4は”鉄板”ですが、その後が安定していない(一桁シード選手がベスト8に残っていない)ことがわかります。一方、女子は、誰が勝ちあがるのかを想像するのは容易ではないですが、ノーシードは男子と同じ2名、一桁シード選手も男子と同じ4名と、全体のバランスを見ると、思っていたほどは”混乱”状態ではないことが分かりました。

さて、女子のベスト8を見ていると、もう一つ、気が付いたことがあります。ベスト8に残った8名の選手のうち、姓の最後がvaで終わる選手が4名もいます。つまり、半分がvaで終わる選手なのです。スラブ系言語国では、女性の姓はvaで終わる文法があるので、出身国が分かりやすいのです。(昔懐かしいナブラチロワのお父さんは、ナブラチルさんでした。)

これらのことは、私には、偶然ではないように思えます。

きちんと調べていないので想像を交えて書いていますが、私は、テニスの世界では、男子よりも女子の方が、世界の各国の情勢とランキングが連動しやすいように考えています。(このことは、稿を改めて、議論したいと思います。)

いよいよ、スラブ系諸国が、テニス界で勢力を拡大し始めたのです。そして、2011年の女子テニス界は、そのターニングポイントなのかもしれません。全英オープンの女子シングルスで上位ランキング選手が早期ラウンドでバタバタと敗退し、その一方で”va旋風”が吹き荒れていることは、偶然ではないと思います。


2011年6月18日土曜日

書評:「二つのファイナルマッチ 伊達公子・神尾米最後の一年」(中) ナンバーワンになるということ

佐藤純朗氏の「二つのファイナルマッチ 伊達公子・神尾米最後の一年」の書評(前編)の続きです。

この物語は、伊達の、そして神尾の引退で終わるのですが、二人の引退までの道は、全く違うものでした。

物語の終わりに、神尾は、右肩痛との戦いの果てに、いよいよ引退を決意します。本人の苦悩の深さは誰も理解することはできないでしょうが、故障が引退の主な理由であったことについては、誰もが納得するでしょう。

一方、伊達の引退の理由は、1年にわたり、世界のビッグトーナメントの場で伊達の取材を続けた佐藤をもってしても、明確にはできなかったようです。

当時、伊達の引退の理由は、スポーツ選手の引退というよりも、有名人の引退として、様々な憶測が飛び交ったように記憶しています。したがって、佐藤本人は決して認めないでしょうが、この著作がその謎解きを期待した読者に向けて出版されたことは、想像に難くありません。(とはいえ、この本を「伊達公子引退の謎」というような品位のないタイトルにしなかったことは、佐藤の譲れない線だったのでしょう。)

テニスプレーヤーは、テニスコートの上で勝負というドラマを演じます。ドラマをじっと見つめるファンとしては、そのプレーの理由を知りたいというのは当然の心理でしょう。その意味では、読者はがっかりしたかもしれません。この作品を最後まで読んでも、伊達の引退の理由について納得できる説明はありませんでした。

引退するかどうかはプレーヤー自身が決めることです。プレーヤーは、コート上の素晴らしいプレーをファンに見せたいと願うでしょうが、引退に至る苦悩や理由を見せたいとは思わないはずです。したがって、私は、伊達の引退の理由について知りたいとは思いません。ただ、神尾ほどの大きな故障がないように見えた伊達が、グラフと対等に戦ったその同じ年に引退することには、やはり違和感を感じました。

この著書で伊達についてのクライマックスは、2箇所あります。二つとも、グラフとの戦いです。一つは有明のフェデレーションカップ、もう一つはウインブルドン準決勝です。実は、私は、後者のウインブルドン準決勝で、センターコートでのあるシーンについて記述されていることを期待して、この本を読んだのです。

それは、ウインブルドン準決勝で、セットオール(1-1)になった後、日没順延になった翌日の、サスペンデッドゲームについてです。といっても、第3セットのゲームそのものではありません。第3セットが開始される前の、いわゆる試合前のウォーミングアップ練習についてです。

試合前の二人のウォーミングアップでのストローク練習が、私の中で、強く印象に残っています。記憶はあいまいなのですが、グラフは、まともに伊達と打ち合おうとしなかったのです。少しラリーが続くと、わざとボールをアウトさせて、伊達にまともな練習をさせなかったのです。

それは、立ち上がりがよくない伊達に対して、少しでも調子にのらせないというグラフの計算だったように、私には見えました。

それは、ルールに反する行為ではありません。しかしそれは、普段のコート上で見せる美しい姿でも、女子ナンバーワン選手の堂々とした姿でもありませんでした。勝つためにであれば、ルールの範囲でどんなことでもする、いやどんなことをしてでも勝つ(勝つ可能性を高める)ことが、トップ選手に課せられた宿命であるのだと、私は知らされたのです。

全くの想像でしかないのですが、伊達は、自分が目指すナンバーワンというポジションが、そういうポジションなのだと知って悲しくなったのではないかと、そんな風に想像するのです。ナンバーワン以外の選手にとってたどり着きたいという願望の対象がナンバーワンなら、ナンバーワンの選手にとって守らねばならないという義務の対象がナンバーワンなのです。願望の対象としてこれほどまでに美しく輝いて見えるその地位は、義務になった瞬間に輝きの姿を失ってしまうこともあるということです。

このことは、著作の中では触れられていませんでした。きっと、私の考えすぎなのでしょう。ただ、私の脳裏からは、あの、試合前のウォームアップのグラフの姿が、今でも消えずに残っているのです。

神尾は、けがを押してトーナメントに参加するために摂取する痛み止めの薬が多すぎた場合に、引退後の日常生活において副作用を及ぼすのではないかと心配していたと、この著書にはあります。ベストのプレーができなくなったこと以外に、この心配も引退の理由の一つであったことは、想像に難くありません。

全く異なる道を通って引退という最終地点にたどり着いた伊達と神尾の二人ですが、著書の中で、一つだけ、全く同じことを言っています。「自分の人生は、テニスだけではない。選手としての人生が終わった後には、それ以外の人生が待っている。その人生も豊かなものにしたい。」勝利することが目標のすべてではない、優勝することが究極の目標とは限らないという二人の考え方が、そこにはあります。

すべての選手には、試合で勝つために、トーナメントで優勝するために戦ってもらいたい。そのために、最高のプレーを演じてもらいたい。しかし、優勝の結果として後に残るのは、「記録」という紙の上の事実だけです。紙になった事実は、すでに誰のものでもありません。もはや、その選手のものですらないのです。

したがって、私は、優勝という事実がいつまでも残る最も大切なことだとは思いません。優勝に価値があるのは、両者が全力を尽くして戦っているその瞬間までです。勝つために全力を尽くすその姿は、確かに美しい。でも、その瞬間が過ぎ去った後に残る大切なこととは、いったい何なのでしょうか?

私は、1980年代の後半に活躍したスロバキアの男子テニス選手であるミロスラフ・メシールが好きです。「好きだった」ではなく、「今でも好き」なのです。すでに引退したプロスポーツ選手について、「(今も)好きだ」というのと「(当時)好きだった」というのはかなり異なると思いませんか?

メシールを好きなのは、彼が強かったからではありません。たとえば、メシールは1988年のソウルオリンピックで優勝していますが、それが、私がメシールを今でも好きな理由ではありません。勝ち負けの結果でプレーヤーを好きになるのではないのです。

メシールが試合の中で見せるプレースタイルは、その戦略は、そしてそのプレーマナーは、私には、彼が周到に時間をかけて作りだしたオリジナル作品のように見えました。単なるスポーツを超えた、メシールの人格を反映した”作品”に、私の目には映ったのです。その”作品”は、今でも私の中で根付き、体の一部となっています。私は、その”作品”が好きになり、そして、その作者であるメシールが好きになったのです。(このことは、以前、「本当のプロ選手のプレーマナーについて」という記事の中で書きました。)

選手が作り出す最高のプレーという”作品”の中で、その理由を知りたいというのは、作品に対する敬意からくるものです。選手について知りたいことがあるとすれば、選手の個人的なことではなく、最高のプレーという”作品”の背景にある”モノ・理由”なのだと思います。

この著書が、伊達と神尾という二人のコート上での”作品”と、その背景を浮き上がらせるまでには至らなかったのは、残念でした。私は、「本当のプロ選手のプレーマナーについて」に書いたウインブルドンのエドバーグ戦での潔さなど、もし、メシールに会うことがあればぜひ聞いてみたいことが、20年の時を超えて今でもあるのです。

2011年6月17日金曜日

書評:「二つのファイナルマッチ 伊達公子・神尾米最後の一年」(前) ウインブルドン2011を前に

佐藤純朗氏の「二つのファイナルマッチ 伊達公子・神尾米最後の一年」というノンフィクションを読みました。奥付には、出版が1998年とあるので、もう、13年も前に書かれたことになります。1996年の伊達と神尾の全豪から全米までの世界ツアーが物語の主な舞台になっています。この年の終わりに、伊達が、そして神尾が引退をするまでの約1年間の物語です。

そして、今年(2011年)も、もうすぐ、ウインブルドン(全英オープン)テニスが始まります。

このノンフィクションの二人の主人公である伊達、神尾も、それぞれの姿でまた、今年のウインブルドンに登場します。神尾はWOWOWの解説者として、伊達は(驚くことに)選手として。

神尾の解説の担当はWOWOWの第一週ということなので、神尾が伊達の試合を解説する可能性は高いでしょう。15年の時を経て、このノンフィクションで描かれた二人のウインブルドンが別の形で再現し、選手と解説者として交わることが、何か、面白いような、一方で残酷なような、不思議な気持ちになります。

この書籍の中では、二人ともが主人公ではありますが、やはり、伊達が主役という印象は否めません。1996年は伊達がフェデレーションカップでグラフを破った年であり、逆に神尾は前年度の好調から一転して肩のけがで苦しんだ1年ですので、それは仕方のないことでしょう。

この二人の対比が、著者の意図と関係なく、残酷なスポーツの一面をさらしています。勝つものは脚光を浴び、そうでないものは主役になれないプロスポーツの現実。このノンフィクションは、神尾にはあまりおもしろくないものでしょう。しかし、忘れてはいけないのは、その神尾自身が、おそらく、自分も無数の選手に引導を渡し、彼女らを脇役に、舞台そでにと押し出してきたのです。この、単純にして明快、そして容赦のないたった一つの法則。それがプロスポーツというものです。

さて、読了後の第一印象ですが、このノンフィクションは、残念ながら、私には、あまり大きな感動を与えてくれることはありませんでした。読んだ後に、伊達の、そして神尾の、引退の決意までの心の道のりが私に伝わることはありませんでした。

佐藤は、4大トーナメントに参加する伊達と神尾を、丁寧に追いかけます。それを通じて、大きな田舎の全豪オープン、ファッショナブルで個人主義の全仏オープン、伝統と格式が全体を支配する全英オープン、喧騒と商業主義に包まれる全米オープン。この全く異なる4つの会場の雰囲気を、生き生きと、その場の空気の暑さと冷たさの両方を感じさせてくれました。

しかし、伊達の苦しみと、神尾の苦悩、二人の選手が引退に至るまでの内なる姿を掘り起こすまでには至らなかったようです。著者の佐藤は、おそらく、心優しく、選手への思いやりを何よりも大切にする人なのでしょう。読み進むにしたがって、伊達や神尾の心の中よりも、むしろ佐藤自身の人柄の良さが、文章を通じて、読者に伝わってきたのが、むしろ皮肉ではあります。

佐藤は、取材を通じて、常にプレーヤーに敬意を払います。多くの取材者が、マスコミが、選手をまるでタレントのように扱い、尊重も尊敬もしないことに、憤りを感じています。無理なインタビューを選手にぶつけることは決してなく、伊達に至っては、最後までインタビューで緊張していたようです。選手にぶしつけな質問をすることで、その選手の本質をむき出しににするなどということは、佐藤には許されることではなかったのでしょう。

その代わり、いやだからこそ、佐藤は、海外での帯同を通じて、少しずつ選手に近づき、選手のチームと食事をしたり、買い物をしたりという距離にまで入っていくことができたのです。そこでの様子は、プライベートということで詳しいことは書かれていませんが、その場の和やかな雰囲気は、十分に伝わってきました。(ただ、伊達については、最後に超えることができない壁を知らされることになるのですが…。)

そんな佐藤の優しい性格が、二人のプレーヤー(特に、伊達公子)の心の底を覗き込むまでのインタビューには至らなかったのだと思います。

その点では、私は、やはり、この作品に対して、満足できたとは言えないのです。特に私が残念だったのは、インタビューが、選手を理解するすべてではないということです。言葉を交わさなくても、試合に臨む姿、試合に負けた後の様子、そして何よりも選手とほとんど目線で試合を観戦することで、佐藤は世界を転戦する二人の日本人プレーヤーの心の中を、救い上げる可能性があったような気がするのです。

村上龍は、言いました。「プロプレーヤーの人格は、そのプレーを超えることができない。」

私は、佐藤は、もっと、伊達や神尾の本質に迫ることができたのではないのかと、そんな風に思うのです。いや、場合によっては、本人たちよりも本人を理解することすらできたのではないかと…。

(続く)

2011年6月14日火曜日

メシールのテニス(31) メシールのフォアハンド(大胆な脳内イメージ)

メシールのフォアハンドを求めて、ずいぶんと、試行錯誤しました。テイクバックで右腕が、体の線よりも後ろにならないという原則を、オンコートで試してきました。

しかし、体の前に右腕とラケットを置いているつもりでも、自分のプレーをビデオで見ると、メシールとくらべると、腕もラケットも”後ろ”になっています。

そこで、今回、脳内イメージとして、図を用意してみました。

図を見ればわかりますが、脳内イメージでは、ラケットも右腕も、体の前、視野に入るぐらいのところにおかねばなりません。現実には、一番左側の図のようになるのですが。

これまでに延べてきたフォアハンドストロークを含め、上記を実現するための脳内イメージをまとめてみました。
  • テイクバックを小さく、フォロースルーを大きく。テイクバックが大きいということは、ラケットが体の後ろまで行ってしまう(左肩も入りすぎる)ということにつながる。
  • 打点(インパクトポイント)は、意識的に前の方で。(フラット系は打点が後ろでも打てるので、つい、後ろになってしまう。)そのためには、ボールがバウンドしたタイミングでフォワードスイングを開始する。
  • テイクバックで、ラケットは視野の範囲内におく。
  • テイクバックで、体が開くのはいけないが、左肩が入りすぎてもいけない。(左肩を入れようとすると、逆に、ラケットが体の右側に来るため。)
  • 必要なら右足を踏み出して打つぐらいで。(特に、左肩が入りすぎ、ラケットを後ろに引きすぎてしまう場合。)
  • フォワードスイングからフォロースルーにかけて、右肘をまっすぐ伸ばさない(できるだけ一定に曲げたままのイメージ)。
  • テイクバック、フォワードスイングで背筋をしっかり伸ばす。
  • 相手のボールがバウントしたタイミングでフォワードスイングに入る。(振り遅れないように!)
  • ラケットは下に引くこと。横に引いてはいけない。
  • 腰よりも低い球の場合はフォワードスイングでラケットヘッドが地面を向くイメージで。
  • フォワードスイングで脇を絞る(右肘の内側が上を向く。ラケットヘッドは下に下がる。ラケットヘッドが遅れて出る。打点が前になる。)
  • インパクトで右肩が下がらないようにする。(その分だけラケットヘッドを下げる。)
  • ラケットを横ではなく、縦に振るイメージを持つ。
  • フォロースルーでは、(腕が0時の方を向いている時に)ラケットの先が相手の方を向く。(ラケットを上に立てない。)つまり、手首に角度をつけすぎない。ひじも伸ばしきらない。
テイクバックを小さく・フォワードスイングを大きく、フォワードスイングからインパクトで右肩が下がらない、ラケットが下がる、背筋が伸びる、脇を絞る、右肘の内側が上を向く、、ラケットヘッドが遅れて出る、打点が前になる、ラケットを縦に振るイメージ…は、すべて、同じことを意味し、同じ方向を向いています。芋蔓(イモヅル)式に、すべて同時に達成できるはずです。

左肩を入れようとすると、入れすぎてしまう(私の癖かもしれませんが)ので、むしろ、やや体を開き気味ぐらいで、ちょうどよいかと思います。

左足ではなく、右足を踏み出して打つのは、かなり違和感があるかもしれません。が、メシールのテニスでは、それでよいのです。実際、メシールは、頻繁に、右足を踏み出してのフォアハンドを打っています。

右肘を曲げたまま打つのは、メシールのフォアハンドでは重要です。右肘を伸ばすと、脇が開いてしまい、ボールコントロールが不安定になります。右肘が曲がったまま打つことで、体と腕が、一体に動きます。この点は、もっと早く解説すべき内容でした。忘れていました。

右図の誤った脳内イメージの打ち方では、どうしても、テイクバックからフォワードスイングに切り替わる際に、手首が手の甲側に折れ曲がります。メシールのフォアハンドでは、この手首の手の甲側への切り替わりは、絶対にありません。つまり、右側の誤ったイメージでは、メシールのフォアハンドが打てないのです。

このイメージのためには、何度も出てきますが、背筋を伸ばすことが重要です。メシールのフォアハンドではテイクバックが小さくなりますので、上体の安定性は必須です。

今回の話は、、私個人のイメージがかなり含まれた内容ですので、人によって違うことは承知しています。あくまでご参考まで。

2011年6月10日金曜日

李娜(Na Li)のウインブルドン2011予想

全豪オープンで準優勝、全仏オープンで優勝の李娜(Na Li)は、おそらく、全英オープン(ウインブルドン)で、最も注目されている女子選手の一人でしょう。来週(6月13日~)は、全英オープンの前哨戦であるエイゴン国際(Eastbourne)が英国で開催されますが、クレーからグラスへとあわただしく切り替わるこの時期に、各選手が、李娜がどのように仕上げてくるのかが楽しみです。

さて、私は、初めて見る李娜のプレーが全仏オープンの決勝戦だったのですが、アジア人がグランドスラム決勝で戦うことの緊張感で、プレー内容をあまり覚えていないのです(笑)。にも関わらず、李娜のウインブルドンを予想してみようという、大胆な挑戦です(笑)。

李娜とは、いったいどんな選手なのだろうか、どんなパーソナリティーなのだろうか…。そう思って調べているうちに、この選手が、とても面白い選手だということが分かってきました。李娜のウインブルドンを考える時、参考になりそうです。

私は、李娜の全仏オープン決勝で、彼女が背負っているものの大きさを感じ、”ナ・リ(Na Li)の全仏オープン2011”というタイトルでブログに書きました。しかし、李娜自身は、中国が国家的にスポーツ選手を育成する、いわゆるナショナルチームを離れ、プライベートチームを作って戦う道を選びました。インタビューでも「私は、国を背負ってプレーしているのではないわ」と言っています。

一方で、"Can you tell the Chinese don't teach me how to play tennis?"という面白いことを、試合中に審判に対して言ったりもしています。「中国人にはテニスがわからないとでもいうの?」とでも言いたそうで、むしろ自分が中国人選手であることは意識していることが分かります。

これまでの李娜のインタビューをいろいろ調べてみましたが、「面白くて楽しいインタビュー」という表現がぴったりです。「昨晩は隣に寝ている夫(コーチとしてツアーに同行している)のいびきがうるさくて1時間ごとに起こされたから、調子は良くなかったわ!」とか、「お母さんに、自分の試合を見に来てよと言っても、私には私の生活があるからと、絶対に見に来てくれないのよ!」とか、自分や自分の家族のことをネタに、観客を楽しませてくれます。それ以外にも、インタビューで、懸命に面白いことを言おうとしているシーンを、何度も見ました。

李娜は、全豪オープンで準優勝し、全仏オープンで優勝しているトップ選手です。もっと、堂々としても誰も文句は言わないはずです。母国語ではない英語で、自分や自分の家族、身の回りの人を題材にしてジョークを言い、観客を笑わせる必要がない立場です。

李娜の英語は、下手ではないのですが、子どものころからアメリカに渡っている外国人ほどは流暢でははありません。ある程度の年齢になってから、世界を渡り歩くうちにだんだん身についた英語なのでしょう。(だから、時々、文法を間違えていたりもしています。)でも、李娜はそんなことに、気にもしません。自分から、いろいろなジョークを交えて、積極的に話します。

全仏オープン決勝直後のインタビューでも、「試合中、リラックスしているように見えましたが?」という質問に、「いいえ、実は、とても緊張していたの。でも、相手に悟られたくなかったので、ちょっとごまかしていたのよ(I was cheating)」と笑いながらコメントしています。あえて言う必要のない最後の一言に、やはり何か面白いことを言って楽しませたいという李娜の気持ちが見え隠れします。

引っ込み思案な日本人、自己主張の強い中国人、どちらのタイプともかなり違います。多くの人が「アジア人」から想像するイメージとは、李娜はかけ離れています。

ふと、国際会議のバンケット(パーティー)で、日本人と中国人は他国からの参加者に積極的に話しかけず、仲間内で集まってしまうことを思い出しました。李娜だったら、周りを気にせず、どんどん、いろんな人に話しかけていくでしょう。

プロテニス選手でありながら一度大学に戻り勉強をするなど、自分の道は自分で選び、自分のライフプランで歩み続けるのが、李娜です。組織や他人に依存せず、自分で考え、行動し、表現できる選手なのです。


全仏オープン決勝の放送で神尾米さんも言っていましたが、試合後の李娜は、試合中とは全く異なる、愛らしい表情をします。試合中は、眉間にしわを寄せて、とても厳しい表情なのです。試合が終わるとクールダウンし、試合結果を引きずらないタイプだということが分かります。

これらをすべて考えると、私には、李娜という選手の本質が見えてくるような気がします。

李娜は、オフコートではもちろん、オンコートでも、テニス選手としての自分を外から冷静に、客観的に見る”もう一人の自分”を持っているのだと思います。中国という、世界のテニスシーンではマイナーな国の出身である自分自身を楽しみ、観客がそれをどう見るかを理解しているもう一人の自分がいます。

おそらく、試合に負けた時でさえ、がっかりし、落ち込んでいる自分の姿を外から冷静に見るもうひとりの自分を失ってはないのでしょう。勝った時には、その喜びを観客と一緒に分かち合おうとジョークを飛ばす自分がいるのです。「日本人にはテニスが分からないとでもいうの?」なんて、試合中に審判に言う(しかも、英語で!)日本人選手がいるでしょうか?もう一人の李娜は、試合中ですら、自分が中国人選手であることを楽しんでいるように見えます。

ここまで、自分を客観的に見ることができる選手を、私は、初めて知りました。

テニスはスポーツですから、そんな自分を客観的に見るもうひとりの自分がいても、試合に勝てるとは限りません。メンタルをコントロールできることと、プレーをコントロールできることは、必ずしも同じではありません。だから、私は、李娜がウインブルドンで上位に来るか、優勝できるかまでは分かりません。

でも、李娜を応援したいと思います。李娜がアジア人だからではありません。李娜のインタビューが面白いからでもありません。

李娜を応援することで、李娜と一緒にウインブルドンを楽しむことができるからです。オンコートでも、オフコートでも、試合を楽しみ、勝敗を楽しむもう一人の李娜がいて、きっともう一人の李娜は、勝っても負けても観る者を楽しませてくれると思います。そんな李娜と一緒に、私もウインブルドンを楽しみたいと思います。


2011年6月5日日曜日

歩数の少ないフットワークについて

Na Liのテニスは、今のテニスから見ると少し古いタイプの、フラットドライブを中心としたテニスです。クラシックなスタイルが、決勝戦の相手のスキアボーネが、ループスピンとスライスを多用し、戦略を中心としたテニスをするために、その違いが際立っています。

しかし、Na Liの決勝進出は、ラケットが軽量化して厚いグリップでボールを高い打点でひっ叩くことが主流となりつつある現代テニスでも、ボールを下から上にこすりながら、厚い当たりでボールをしっかり打つクラシックスタイルが十分に通用することを示してくれています。

それは、決勝だけではなく、勝ち上がりにおいて、アザレンカ、シャラポワ(シャラポワは優勝候補だった)などを破っていることからも、わかることです。この二人は、まさに、新しいタイプのテニスプレーヤーだと言ってよいでしょう。

Na Liのプレーは、決勝戦においても、安定しています。この安定感は、腰を落としたストローク、そして腰を落とすためにしっかりとしたフットワークがあってこそです。Na Liは、素晴らしい安定したフットワークを見せてくれています。。

まさに、テニスは足ニスです。

Na Liと比べると、スキアボーネは、足がよく動いていました。と書くと、「あれ?」と思わるかもしれません。フットワークがよかったのは、Na Liではなの、と。

この二人のフットワークを比較すると、よいフットワークというのは、足がよく動くということではないことが分かります。一言でいうと、「歩数が少ないフットワークの方がよいフットワークだ」ということです。

歩数が多く、微調整をする、いわゆる「細かいフットワーク」というのは、実は、必ずしもよいフットワークではありません。なぜなら、上体は、細かいフットワークが終わるまで待たされるからです。足が細かい調整をしている間、上体は、スイング(テイクバック)をスタートできないばかりか、スタートの準備すらできないことがあるのです。

歩数の少ないフットワークは、ボールをヒットした後に、元のポジション(レディーポジション)に戻るときにも必要です。自分の打ったボールにもよりますが、基本的には元の位置近くに戻ると思いますので、その場合は、打点まで行った足跡を、そのまま踏みながら戻るようなイメージになります。

ボールの位置まで行くときにはこの大きな歩幅のステップを守れていても、戻る場合にはつい忘れがちです。たとえば、相手のボールが浅い場合には、前に移動して打ちますが、戻るときに、つい、細かいステップで戻ってしまったりしていないでしょうか?戻りながら歩幅をそろえ、戻った時には次のボールへのスプリットステップができるようになるのは、しかも無意識できるようになるには、トレーニングが必要です。

なお、歩数の少ないフットワークは、当然ですが歩幅が大きくなります。大きな歩幅で、しかし、その歩数で微調整までせねばならないのです。外から見たら大雑把に見えるそのフットワークは、実は技術的には高度です。そして、メシールは、まさに、この、歩数の少ないテニスプレーヤーの代表と言ってもよいでしょう。このことは、また、別項で書こうと思います。

メシールのテニス(30) メシールのフォアハンド(腰よりも高い球 その3)

メシールのフォアハンド、腰よりも高いボールを、再度、ビデオで分析してみました。分析対象は、1987年の全米オープン、マッツ・ヴィランデルとの試合です。全米オープンは、おそらく4つのグランドスラムの中でも、一番、カメラワークに凝っていて、プレーヤー目線の映像を多用します。上からではなく真後ろから選手のプレー(フォーム)を見ることができるので、参考になります。(カメラマンは、さぞ、大変だと思います。ご苦労様です。)

一つ、面白いことに気が付きました。

メシールは、腰よりも高いボールでは、低いボールと違って、テイクバックでラケットを立てます。低い球と同様のテイクバックでスタートし、そのまま、ラケットが立つところまで上げていきます。(ただし、高い球の場合は、右肘をあまり後ろに引かず、体の真横あたりでテイクバックを取ることもあるようです。)

ラケットが立っても、ラケット面の法線は、面を伏せる側(とはいえ、ほぼ横を向きますが)になります。他のフォアハンドストロークと同様、オープンスタンスで、右足を踏み出してボールをヒットします。ここまでは、ラケットを立てることを除くと、腰よりも低い球を打つ場合に書いたとおりです。

低い球と違うのは、テイクバックのトップにおいて、ラケット面(の中心)が相手のボールの飛球線よりも上に来ることです。つまり、テイクバックで、ラケットはボールよりも上に来るのです。

次に、立ったラケットは面が上を向かないように気を付けながら横に寝ていきます。ラケットが、体の後ろ(横)で、小さなループを描くのです。同時に、フォワードスイングが始まります。フォワードスイングはほぼ水平方向です。そのまま、スイングはインパクトを迎えます。

この打ち方は、メシールが、高い打点ではスピン系よりもフラット系のボールを打つことを意味しています。スピン系を打つ場合は、ラケット面はボールよりも下にセットせねばならないからです。たとえば、フェデラーは、イースタン系のフォアハンドグリップですが、高い打点のフォアハンドでは、ボールよりも下にテイクバックをします。そこから、ラケットを斜め上方向に振り出すことで、ボールにドライブをかけるのです。メシールの場合は、小さくループしたラケット面をそのまま前方(スイングでいうと横)に運ぶように打っています。きれいなフラットのボールが押し出されていきます。(まれに、一度上げたラケットを下げてから腕全体でボールに順回転をかけることがあります。)

このフォアハンドの打ち方は、ボールにスピンをかけにくく、ボールがバックアウト(またはネット)してしまいそうな感じがするので、アマチュア(中級)の自分でもできるだろうかと心配になり、オンコートで試してみました。試した相手はヘビースピンではなく、比較的フラット系のボールを打つ相手です。フラット系のボールが大きくバウンドするときに、この打ち方を試みたのです。

その結果ですが、ボールを打つ感触がとても面白かったのです。一旦、ラケット面をボールよりも上に持ってくることで、ボールを打つ際に、ボールを包み込むような感じがします。そして、ネットよりも高いところで打つボールをラケットを押し出すことで、ネットの上にボールを押し出すようなイメージになります。したがって、ネットやバックアウトの心配は、想像していたほどは感じませんでした。

この打ち方には、しかし、右足のプレースメントが非常に微妙です。低い球と違い、ラケットを横に振りますので、ラケット面の微妙なずれによって、ネットしたりバックアウトしたりしてしまいます。高い精度でのラケットワークが必要になるため、最後に踏み込む右足の場所を間違えた途端に、結果が見えてしまいます。相手の打つ高い球の回転(スピン)、高さ、スピードに合わせ、確実な場所に右足を置かねばなりません。右足で踏み込むタイミングも重要です。

試合の中で、どれほど早く相手のボールに合わせて右足のタイミングをつかむことができるかが、腰よりも高い球を打つ場合のメシールのテニスでは重要なのです。

2011全仏オープン男子シングルス決勝 フェデラー対ナダル テレビ観戦(その2)

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2011全仏オープン男子シングルス決勝 フェデラー対ナダル テレビ観戦と分析

全仏オープン2011男子決勝のフェデラー対ナダルですが、セットカウント3-1で、ナダルが6度目の優勝を果たしました。試合前もナダルが圧倒的に有利と予想されていましたので、予想通りの結果ということになるでしょうか。

しかし、フェデラーに全くチャンスがなかったとは思えないのです。フェデラーは、第1セットで、試合前には不利だと言われていたにもかかわらず下馬評を覆したジョコビッチ戦と同様、素晴らしい立ち上がりを見せました。しかし、第1セットの後半でその流れが、ぷつんと切れます。

私には、それが、ナダルの調子がよくなったのではなく、フェデラーの戦略ミスに思えてなりません。リードしていたフェデラーが、なぜ戦略をかえたのか、私にはどうしても理解できないのです。

以下では、WOWOWで試合を見ながらリアルタイムに書いた3本の記事を、読みやすいように一つにまとめてみました。そして、最後に、試合後の分析をまとめて、追加しました。いつか、誰かがこの疑問を解決してくれるかもしれないと期待して…。


2011年6月5日 23:04JST 第1セット5-3フェデラー

今日も、リアルタイムで書いています。今日はブログを書くつもりはなかったのですが、つい書きたくなってしまいました。

フェデラーは、準決勝のジョコビッチ戦同様に、バックハンドでつなぎのスライスを使わない戦略を取っています。そして、第1セット、これが功を奏して、5-3でリードしています。

しかし、5-3の2ポイント目で、これまで自分の左側に飛んできたボールをバックハンドで打っていたフェデラーが、突然、大きく回り込んでのフォアハンドを打ったのです。これはまずいと思いました。

フェデラーがナダルに勝つのであれば、大きく回り込んでのフォアハンドを捨てなくてはなりません。回り込んだフォアでポイントが取れればよいですが、取れないのであれば、自分のフォアサイドを大きく開けるということは、2本先に、ナダルの強烈なフォアハンドをバックハンド側に打ち込まれることを覚悟せねばならないからです。

案の定、フェデラーは自分のサーブを落とし、5-4になりました。もし、フェデラーがこの点を修正できないようだと、フェデラーはずるずると、負けていってしまうでしょう。

2011年6月5日 23:13JST 第1セット5-5

フェデラーは、5-5のデュースからこのゲームを落としました。やはり、フェデラーの歯車が、少しずつ狂い始めているように見えます。想像ですが、試合前のゲームプランでは、できるだけフォアハンドに回り込まずバック側のボールをバックハンドで打つ(しかも、スライスではなくドライブで)という計画を立てていたと思います。この戦略が、ジョコビッチ戦では功を奏しました。

しかし、さすがのフェデラーも、つい、打ちやすい方に回ってしまったのかもしれません。おそらく、第1セットは、もうナダルのものでしょう。第2セット以降、フェデラーは、狂い始めた歯車を戻せるでしょうか。その狂いは、まだ大きくありません。今なら、修正はできるはずです。

5-6の15-15から、フェデラーが、小さく回り込んでのフォアハンドで、今度はウイナーを取りました。しかし、それでも、私には、この回り込みが敗退への序章に見えるのです。


2011年6月6日 00:18JST 第1セット5-6(Duece)フェデラー

決勝戦ですが、5-3でのフェデラーの回り込んだフォアハンドの結果、フェデラーのプレーはがたがたと崩れていきました。予想通り、第2セットの6-5(ナダルリード)まで、一気に来てしまいました。

フェデラーがセンターに立って、フォア側をフォアで、バック側をバックで打つ限り、展開が早くなり、ナダルもその展開についていかざるを得ません。ナダルは、その結果、試合の序盤でベースライン近くにポジションを取らざるを得ませんでした。

それが、フェデラーがバック側のボールを大きく回り込むために、オープンコートができ、ナダルはそこに打つ余裕が出てきました。その結果、ナダルのポジションは、ベースラインから少し下がってきました。試合序盤でエースが取れていたフェデラー得意のフォアの逆クロスも、何度もナダルに拾われます。このパターンでフェデラーがポイントをなかなか取れなくなってしまいました。

今、第2セットの6-5でデュースになったところで、雨で中断に入りました。これが、おそらく、フェデラーの最後のチャンスでしょう。フェデラーが、試合再開した時に、試合開始と同じ気持ちで、同じ戦略に戻すことができるなら、もしかしたら、フェデラーにわずかなチャンスがあるかもしれません。

試合パターンが変わらない限り、この試合は、平凡な、または盛り上がりに欠ける決勝戦になってしまうと思います。


2011年6月7日 (試合後の分析)

心配した通り、フェデラーは第3セットを取ったものの、第4セットは1ゲームしか取れず、敗退しました。試合後に考えても、やはり、第1セットの5-3フェデラーのゲームが、勝敗の分かれ目だったように思います。どうしてなのか…それが知りたく、ビデオを見て、第1セットを私なりに分析してみました。

第1セットで、フェデラーは、5-3でリードするまで、大きく回り込んでのフォアハンドをほとんど打っていません。ビデオで調べてみたところ、フェデラーが左側のサイドラインよりも外から回り込んでフォアハンドを打った回数は、たった1回です(第5ゲーム(フェデラーの3-1)の0-15)。それ以外のバック側に来たボールは、体のそばに来たボールを除いては、すべてバックハンドで打ち返していました。

しかし、第1セット、フェデラーにとってのマッチゲームである第9ゲーム(フェデラー5-3)において、フェデラーは、なぜか、突然、大きく回り込んでのフォアハンドストロークを打ち始めます。フェデラーが、この1ゲームの間で左側サイドラインよりも外まで回り込んでフォアハンドを打った回数は、次の通りです。

1ポイント目(0-0) 0回
2ポイント目(15-0) 1回
3ポイント目(15-15) 1回
4ポイント目(30-15) 1回
5ポイント目(30-30) 0回
6ポイント目(30-40) 1回

それまで、8ゲームで1度しか打っていないショットを、このゲームだけで4回も打ったのです。そして、4回のうち3回、ポイントを落としているのです。(大きく回り込んで打ったフォアハンドショットでポイントを落としているわけではありませんが。)つまり、この戦略はうまく機能しなかったということです。

この後、第1セットでは、フェデラーは、コート外に大きく回り込んでのフォアハンドを一本も打ちませんでした。しかし、3ゲームを連続で失い、第1セットを落としてしまいます。第9ゲームを境にして、試合のペースが一気にナダルに傾いたのです。

第2セット以降は数字は調べていませんが、フェデラーは、その後も、何度も大きく回り込んでのフォアハンドを打ち続けました。しかし、そのショットは、ほとんど有効には働きませんでした。

私は、フェデラーの敗因は、この戦略ミスだと分析しました。

この試合の、唯一のターニングポイントである、第1セット5-3からの第9ゲーム。ここで、なぜ、フェデラーは、戦略を変えてしまったのでしょうか。しかも、それまで有効に働いていた戦略を変えてまで。

果たして、この分析が正しいのかどうか、私にもわかりません。偶然に、第9ゲームでは大きく回り込みやすいボールが多かっただけなのかもしれません。

しかし、試合を見ていて、この第9ゲームでのフェデラーの大きな回り込み方に違和感を感じたのは事実です。サイドラインを越えて回り込むと、コートががら空きになります。第9ゲームで、フェデラーのコートから主(あるじ)がいなくなる瞬間を4度も見せられたのですから、そのぐらい、違和感がある第9ゲームでした。

フェデラーは、この一戦の経験から、ウインブルドン2011でどのように仕上げてくるでしょうか。私は、まだまだフェデラーのテニスが見たい。Winning Uglyという欄で書いたように、フェデラーの武器であるテニスの美しさで、戦い続けてもらいたいのです。

2011年6月4日土曜日

李娜(Na Li)の全仏オープン2011決勝

今、全仏オープン2011女子決勝の試合を見ています。実は、この文章は、リアルタイムで、つまりWOWOWで試合を見ながら書いています。

WOWOWには、試合前に、急いで加入しました。李娜(Na Li)という、中国人(アジア人)が初めてグランドスラムで優勝するかもしれない決勝戦を見たかったからです。インドなど、伝統的にテニスの強い国がアジアにはありますが、グランドスラムでの優勝は、今までありませんでした。

Na Liが、グランドスラム決勝という場で、どんな戦いを見せてくれるのか。実は、Na Liの試合を見るのは初めてなのです。

第1セットでは、Na Liのクラシカルなテニススタイルが、スキアボーネの眩惑的で多彩なテニスを凌駕しました。Na Liは、惑わされず、しっかりと、正攻法で戦っています。そして、第1セットは、サービスブレークをされる心配がほとんどないまま、セットを取りました。

第2セットも4-2とリードしたNa Liは、しかし、ここから、プレッシャーと戦い始めます。Na Liは、第2セット4-2から、スキアボーネのサービスでブレークチャンスをモノにできず、自分のミスでこのゲームを落とします。そして、その後もフォアハンドのミスを重ね、スキアボーネにじりじりと追いつかれていきます。

解説の神尾米さんが、これがグランドスラム優勝のプレッシャーだと説明しています。もちろん、グランドスラム初優勝のプレッシャーは計り知れないものでしょう。しかし、私の目には、それだけではないように映ります。もっと大きなものがNa Liを苦しめている。Na Liはネットの向こうのスキアボーネではなく、もっと別の、何か大きなものと戦っているように、私には見えたのです。

この試合は、アジア人がグランドスラム決勝で戦い、初のグランドスラマーになるかが話題の焦点でした。でも、果たして、それだけなのでしょうか。

この決勝戦の意味は、もっと大きいように思います。アジア人が、欧米が100年以上も中心であったたテニスというスポーツの、しかもその中心となるグラウンドスラム大会の決勝で、観客を含めた歴史と伝統という重みと戦い、その重圧を乗り越えることができるかどうかを試される一戦なのです。

第2セット後半に入り、スキアボーネがNa Liに追いつき始めてからは、大半の観客がスキアボーネの応援です。第2セット後半に入り、スキアポーネがポイントを取るたびに、大歓声が起こります。

パリっ子は、その歴史的背景から伝統的に判官びいきで、優勝経験のないNa Liへの応援が、前年度の優勝者であるスキアボーネをこえていると、試合前にレポートされていました。それが、手のひらを返したように、スタジアム全体でヨーロッパ人であるスキアボーネを後押ししている。残酷なヨーロッパの歴史が、観客すべてとスキアボーネを飲み込んで、Na Liに襲い掛かります。

第2セット後半に入り、ミスを繰り返すNa Liの苦悩の表情は、思い通りのプレーができないことに対する怒りだけなのでしょうか?長い歴史を通じて、アジア人がヨーロッパ勢と孤独に戦ういらだち。

多くのプロスポーツは、別の側面から見ると、貧しい人たちが一獲千金を夢見て、這い上がる、のし上がる手段の一つです。ボクシングや野球で黒人選手が多いのは、偶然ではありません。裕福になりたいという野心が力になるメジャースポーツの中で、しかし、テニスは少し違います。かつてより貴族のものであったテニスというスポーツ。その伝統は、脈々と世界のテニスシーンの背景に流れています。全仏オープンの観客は、貧しさから這い上がるサクセスストーリーを求めて、ローランギャロスに集まるわけではない。特権階級のブルジョアな悦楽の香りが、ローランギャロスには漂っています。ボクシングの世界チャンピオン戦のリングとは異なる空気が、グランドスラムのセンターコートを支配しています。

テニスは、もういいや、負けてもいいやと思ったら、こんなに楽なスポーツはありません。偶然に勝つということがないスポーツです。負けようと思って、たまたま勝ってしまったということがないスポーツです。Na Liが、観客という形で具現化された欧州の歴史の重みの中で、精神的に追い込まれ、瞬間的にそんな表情を見せるのが心配です。

Na Liには、優勝してほしい。でもそれは、自分がアジア人だから、アジア人に初めてグランドスラムで優勝してほしいということではないのです。

成長期に入ったアジアは、悲しい歴史を少しずつ乗り越え、企業の力や団体の力で、世界の中で成功した事例を持ちはじめてきました。しかし、テニスは、団体で戦う競技ではない。どれほど、中国が組織的に選手を育成したとしても、団体競技ではないのです。

テニスは、どんなに精神的に追い詰められても、コートの上でただ一人、数時間戦い抜く者が勝利を勝ち取る競技です。その間、コーチとも、友人とも、家族とも苦しみを分かち合えない、孤独で過酷なスポーツです。

今、Na Liは、スキアボーネではなく、欧米の伝統と、それに押しつぶされそうになる自分自身と戦っている。Na Liが、ヨーロッパのスタジアムというアウェーだけではなく、テニス競技そのものとその背景にあるヨーロッパの歴史に対するアウェーを感じているとしても、それは少しも大げさなことではないのです。

個人競技であるテニスにおいて、あらゆる伝統の重さを跳ね返し、欧米の文化の中心で異文化人であるアジア人が光を放つ瞬間が、今、目の前に来ようとしている。しかも、パリという、ヨーロッパの文化と歴史の象徴の街で。

私は、その瞬間を見たい。Na Liには勝ってほしい。

この気持ちを持つことができるのは、私がアジア人だからです。その歴史を肌で知っているからです。Na Liの感じる重圧を理解し、分かち合いながら応援をすることの意味が、そこにはある。そんな時間を持つことを、私は幸せに感じます。

今、コート上は、第2セット5-5です。Na Liは、明らかにグランドストロークで、ラケットを大きく振りきることができなくなっています。フラット系のグランドストロークでは、ラケットを振りきれなくなることは、何よりも怖いことです。ボールを制御することができなくなるからです。

どんな形でも良い。第1セットのような、ストロークでクロス、逆クロスにエースを取るようなきれいな形でなくてもよい。格好良くない勝ち方であっても、Na Liに勝ってほしい。背中にのしかかる巨大な伝統の重さを乗り越えることが、Na Liが、応援するすべてのアジア人が、なによりも望んでいることなのです。

第2セットの4-2からずっと腕が縮こまってしまってバックアウトとネットを繰り返していたNa Liが、5-6の0-15から、やや長いストローク戦で、グランドストロークのエースでポイントを取りました。何ゲームかぶりに、腕がしっかり伸びたフォアハンドストロークでした。そして、この瞬間に、Na Liの表情が、少し穏やかになったように見えました。もしかしたら、彼女自身がテニスという欧米の伝統の重圧から抜け出し、アジア人としてではなく一人の選手として、戦い始めた瞬間だったのかもしれません。

Na Liは、5-6から自分のサーブをキープしました。彼女の表情は、自分自身を含めたあらゆるものに対して怒りを感じながら、しかし、あらゆる怒りを受け入れた、不安のない表情になりました。Na Liが、テニスという伝統の中に飲み込まれ、テニス史上の一人のプレーヤーとしてプレーし始めています。今、Na Liは、アジア人ではありません。長い全仏オープンの歴史の中で、一番最後に並ぶ優勝に最も近いプレーヤーです。

今から第2セットのタイブレークです。Na Liの表情は、背負う多くのものから開放され、今はとても穏やかです。大丈夫です。Na Liは、このタイブレークを取ることができます。優勝できると思います。