2011年7月11日月曜日

ウィンブルドン2011 コートの上のクルム伊達

ウィンブルドン2011についての最後のブログです。今回、早いラウンドで敗退したクルム伊達のプレーについて、思ったことを書いてみようと思います。いや、この内容は、プレーとは言えないことかもしれません。

Na Liのフレンチオープン2011で書きましたが、私には、Na Liは、決勝のセンターコートで、欧米の歴史そのものと戦っているように見えました。しかし、その後、いろいろ調べてみると、Li Naはオープンでアメリカナイズされた個性(パーソナリティー)の持ち主だということが分かってきました。中国を背負うわけでも、中国のためでもなく、良くも悪くも中国人女性らしくないといってもよいパーソナリティーに見えました。(私は、テニスは個人競技だと思っていますし、基本的には国籍とプレースタイルはあまり関係ないと思っていますが。)

Na Liのパーソナリティーについては、山口奈緒美さんのコラムでも、その明るくオープンな様子がレポートされています。

さて、クルム伊達です。私は、クルム伊達対ウィリアムスの試合で、クルム伊達の見せる日本人らしいしぐさが気になったのです。

たとえば、ミスをして、「あ~」と言いながらしゃがみこむしぐさなど、これは全く、日本女性(日本の女の子?)のしぐさです。この動作の本当に雰囲気は、おそらく、日本人以外には理解されにくいのではないでしょうか?

クルム伊達は、全く屈託なく、幾度となく、本当に日本人っぽいジェスチャーや声、しぐさをコート上で見せます。

そして、これこそが、クルム伊達の強さの秘訣ではないのかと思いました。

上のNa Liのフレンチオープン2011のブログ記事は、実は、私のブログの中で、アクセス数が一番多い(ダントツ)の記事です。その内容を、テニスに詳しい人複数に話したり読んでもらったりしたのですが、私の予想に反して、その内容に共感してくださる方が多い記事でもあります。(私自身は、この記事はかなり推測に基づいて書いているので、どこまで正しいのか自信がないのですが…。)

日本人プレーヤーが、なぜ、世界のテニスシーンでトップまたはトップクラスになかなか躍り出ることができないのか。もちろん、この記事の内容が、それを適確に指摘しているとは思いません。ただ、クルム伊達の強さは、当たり前のように日本人らしさをウインブルドンのコートに持ち込んでくることなのかもしれないと、ふと思ったのです。

そのクルム伊達も、よいポイントを取った時には、”Come on!”と英語で言ったりしています。

上の山口奈緒美さんのコラムでも、Na Liが自分の生き方をまず大切にする様子が報告されています。私は、なんとなく、クルム伊達とNa Liに共通したものを感じるのです。

つまるところ、ルールなどなにもないのです。自分の中にしか。

一番大切なことは、自分の方法で自分を表現し、自分の方法で戦うこと。もちろん、国際社会(国際的な大会)で共通のもとして守るべきルールやマナーはあるでしょう。それらは、絶対に守らねばなりません。しかし、それ以外については、躊躇することなく、周りの目を気にすることなく、自分のやり方を貫けばよいのです。

一番よくないのは、他人の目を気にして、自分を出し切らない(出し切れない)ことです。まず、国際社会のルールの中でしてはいけないこととしなくてはならないことを理解する。その基本ルールを十分に身に着けたら、今度は、それら以外については、外からの目を一切気にせずに自分を出し切る。

これが、国際的な大会で通用する秘訣だと思います。

選手のコーチや指導者、支援者がすべきことは、まだまだ、たくさんあるようです。

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