2011年7月17日日曜日

プロとアマチュア(上) アマチュアだからできること

上手なのがプロで、そのレベルにまで達しないのがアマチュア。テニスで飯が食えるのがプロで、別に職業がなくてはテニスでは食えないのがアマチュア。

そんな風に思ってないでしょうか?

私は、そんな風には考えません。

プロとアマチュアの違いとは、いったい何なのでしょうか?

私は思うのですが、調子がよくなくても、技術が未完成でも、試合においては「形を整える」のがプロです。プロの評価は、勝敗というたった一つの基準でなされます。高い技術を持っていても、試合に勝てなければ、その技術は評価されません。逆に言うと、技術力がなくても勝てるのであれば、それは高い評価がされます。別の角度から見ると、プロの技術は、勝てるかどうかという「ものさし」(だけ)で評価されるのです。

プロは、したがって、勝つことができるという技術を、高度な、言い換えると正しい技術よりも優先します。ここが大切なところで、勝つことができる技術は、必ずしも「美しい」テニスの技術と一致するとは限らないのです。

かつて、スウェーデンにケント・カールソンという、クレーコートのスペシャリストがいました。カールソンのテニスは、とにかくミスせずにループボールでストロークを続けるというもので、それでもある程度の成績を残したのですが、到底、美しいテニスと呼べるものではありませんでした。それでも、カールソンのテニスは、プロとしては正しいのです。勝つことが、何よりも、大切なのがプロなのですから。

アマチュアは、その必要がありません。じっくり、自分のペースで時間をかけて、自分が納得するまで、じっくりと技術に取り組むことができるのがアマチュアです。アマチュアには、いつまでにどこまで完成させなくてはならないというラインがありません。美しさを、勝利よりも優先できるのも、アマチュアの特権です。そのことを、堂々と宣言しても、アマチュアの場合は、誰にも非難されません。アマチュアなのですから。

アマチュアは、幸せです。

私は、46歳になって、約20年ぶりにテニスを再開しました。20代の中ごろまでは、それなりの熱意をもってテニスに取り組みました。しかし、この20年間、本業の仕事を充実させるために、年に数回しかテニスラケットを持つことができませんでした。テニスを再開してからは、週末プレーヤーですが、後述するように、かなり熱意をもってテニスに取り組んでいます。

今、この年齢になって、もう、若いころのような体力も、瞬発力もありません。当時のギラギラとした情熱すら、今はもうないと思います。しかし、不思議なことに、私の技術は、いまだに向上しているようです。そして、おそらく、若いときよりも、今のほうが、テニスの技術は上だと思います。

それは、おそらく、今の私は、当時よりも自分が納得する技術を追求しているからだと考えています。今は、目の前の試合の勝ち負けではなく、自分の技術を向上させることに集中し、一歩一歩、前進しているからです。

実は、私は、46歳でテニスを再開する際に、2~3年計画で技術を定着させることにしました。メシールのビデオと自分のビデオを何度も何度も見直して、試行錯誤し、自分なりの技術を追求してきました。その間、ほとんど対外試合に出ることをしませんでした。練習試合でも、勝ったり負けたりを繰り返しながら、しかし、目先の勝利ではなく、しっかりとした技術理論を自分の中で確立し、さらにそれを身につけることだけを目標としてきました。

こんなに時間をかけて、何年もの時間をかけて技術だけを追求できるのは、それはアマチュアだからです。プロは、目の前の仕事(=試合)で結果を出さねばならないからです。

アマチュアであることを大いに楽しむこと。これこそが、アマチュアの醍醐味だと思います。

続く

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