今日(6月29日)、男子の4強がそろい、男女ともに、ウインブルドン2011が、いよいよ佳境に入ります。世界のトップが集まるグランドスラム大会の、その中でも最高峰と言われる全英オープン。2011年のピークが、いよいよ、あと数日に迫ってきました。
なぜ、ウインブルドンがそこまで素晴らしいのか。ふと、そんなことを考えてみました。
よく考えてみるとすぐに気が付くことですが、我々がテレビで見るテニスの試合、特にウインブルドンのような大きな大会では、出場する全選手が、ゲームというその短い時間のために、人生のすべての照準を合わせてきます。体調やテニスの調子はもちろん、時差ボケ、道具、戦略、メンタル、予算、もしかしたらプライベートまで、あらゆることを調整して、その結果をもってコート上にやってくるわけです。大会規模が大きければ大きいほど、調整は徹底し、いわゆる”仕上がっている”状態が出来上がるのです。
我々は、テレビのチャンネルを合わせたら、選手がスタジアムに入ってきて、試合をして、その結果として勝者と敗者が決まる。この、切りだされた試合の部分しか見ることがないのですが、実は、コート上にあるのは、二人の選手がその瞬間のために人生を注ぎ込んで準備した最高の”作品”なのです。
だからこそ、この作品は、とても希少で貴重です。考えてみてください。国も、年齢も、話す言葉も、家族構成も、食べるものも、生まれ育った環境も、すべてが異なる二人が、地球上の全然違う場所で、違う方法で準備した二つの作品を、たった数時間だけ、同じコート上に展示するのです!!
そして、残酷にも、どちらの作品が優れているかを決められてしまう。
それは、考えようによっては切ないけれど、でも、だからこそ、ウィンブルドンは、あんなに素晴らしいのでしょう。
我々、観客は、難しく考える必要はありません。その作品(試合)を楽しめばよいのです。特に、二つの作品の素晴らしさが拮抗するとき、つまり競った試合では、ドキドキしながら見守ればよい。
でも、目が肥えてきて、より深く作品を理解することができるのなら、我々はこの希少で貴重な時間を、さらに楽しむことができるでしょう。そのために、ウインブルドンのような大きな大会のテレビ放映では、解説者が作品とその作者を解説してくれます。
我々が作品を楽しむときに、必ずしも、解説者の言うとおりに楽しまなくてはならないわけではありません。見る人によって、楽しみ方はいろいろです。でも、よい解説者は、「なるほど、そういう見方もあるのか」「そうやって見たら今のプレーは理解できるのか」と、納得させてくれます。
解説者には、どうやって作品を楽しめばよいか、どうやって作品を理解すればよいか、観客をうまく導いてくれることを期待しています。テニスに深く精通した解説者には、作品(プレー)の裏に隠れた努力や能力、経験、もしかしたら人格までが見えてくることがあると思います。時には、それが、我々の作品への理解を助けてくれることもあると思うのです。
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