2011年6月18日土曜日

書評:「二つのファイナルマッチ 伊達公子・神尾米最後の一年」(中) ナンバーワンになるということ

佐藤純朗氏の「二つのファイナルマッチ 伊達公子・神尾米最後の一年」の書評(前編)の続きです。

この物語は、伊達の、そして神尾の引退で終わるのですが、二人の引退までの道は、全く違うものでした。

物語の終わりに、神尾は、右肩痛との戦いの果てに、いよいよ引退を決意します。本人の苦悩の深さは誰も理解することはできないでしょうが、故障が引退の主な理由であったことについては、誰もが納得するでしょう。

一方、伊達の引退の理由は、1年にわたり、世界のビッグトーナメントの場で伊達の取材を続けた佐藤をもってしても、明確にはできなかったようです。

当時、伊達の引退の理由は、スポーツ選手の引退というよりも、有名人の引退として、様々な憶測が飛び交ったように記憶しています。したがって、佐藤本人は決して認めないでしょうが、この著作がその謎解きを期待した読者に向けて出版されたことは、想像に難くありません。(とはいえ、この本を「伊達公子引退の謎」というような品位のないタイトルにしなかったことは、佐藤の譲れない線だったのでしょう。)

テニスプレーヤーは、テニスコートの上で勝負というドラマを演じます。ドラマをじっと見つめるファンとしては、そのプレーの理由を知りたいというのは当然の心理でしょう。その意味では、読者はがっかりしたかもしれません。この作品を最後まで読んでも、伊達の引退の理由について納得できる説明はありませんでした。

引退するかどうかはプレーヤー自身が決めることです。プレーヤーは、コート上の素晴らしいプレーをファンに見せたいと願うでしょうが、引退に至る苦悩や理由を見せたいとは思わないはずです。したがって、私は、伊達の引退の理由について知りたいとは思いません。ただ、神尾ほどの大きな故障がないように見えた伊達が、グラフと対等に戦ったその同じ年に引退することには、やはり違和感を感じました。

この著書で伊達についてのクライマックスは、2箇所あります。二つとも、グラフとの戦いです。一つは有明のフェデレーションカップ、もう一つはウインブルドン準決勝です。実は、私は、後者のウインブルドン準決勝で、センターコートでのあるシーンについて記述されていることを期待して、この本を読んだのです。

それは、ウインブルドン準決勝で、セットオール(1-1)になった後、日没順延になった翌日の、サスペンデッドゲームについてです。といっても、第3セットのゲームそのものではありません。第3セットが開始される前の、いわゆる試合前のウォーミングアップ練習についてです。

試合前の二人のウォーミングアップでのストローク練習が、私の中で、強く印象に残っています。記憶はあいまいなのですが、グラフは、まともに伊達と打ち合おうとしなかったのです。少しラリーが続くと、わざとボールをアウトさせて、伊達にまともな練習をさせなかったのです。

それは、立ち上がりがよくない伊達に対して、少しでも調子にのらせないというグラフの計算だったように、私には見えました。

それは、ルールに反する行為ではありません。しかしそれは、普段のコート上で見せる美しい姿でも、女子ナンバーワン選手の堂々とした姿でもありませんでした。勝つためにであれば、ルールの範囲でどんなことでもする、いやどんなことをしてでも勝つ(勝つ可能性を高める)ことが、トップ選手に課せられた宿命であるのだと、私は知らされたのです。

全くの想像でしかないのですが、伊達は、自分が目指すナンバーワンというポジションが、そういうポジションなのだと知って悲しくなったのではないかと、そんな風に想像するのです。ナンバーワン以外の選手にとってたどり着きたいという願望の対象がナンバーワンなら、ナンバーワンの選手にとって守らねばならないという義務の対象がナンバーワンなのです。願望の対象としてこれほどまでに美しく輝いて見えるその地位は、義務になった瞬間に輝きの姿を失ってしまうこともあるということです。

このことは、著作の中では触れられていませんでした。きっと、私の考えすぎなのでしょう。ただ、私の脳裏からは、あの、試合前のウォームアップのグラフの姿が、今でも消えずに残っているのです。

神尾は、けがを押してトーナメントに参加するために摂取する痛み止めの薬が多すぎた場合に、引退後の日常生活において副作用を及ぼすのではないかと心配していたと、この著書にはあります。ベストのプレーができなくなったこと以外に、この心配も引退の理由の一つであったことは、想像に難くありません。

全く異なる道を通って引退という最終地点にたどり着いた伊達と神尾の二人ですが、著書の中で、一つだけ、全く同じことを言っています。「自分の人生は、テニスだけではない。選手としての人生が終わった後には、それ以外の人生が待っている。その人生も豊かなものにしたい。」勝利することが目標のすべてではない、優勝することが究極の目標とは限らないという二人の考え方が、そこにはあります。

すべての選手には、試合で勝つために、トーナメントで優勝するために戦ってもらいたい。そのために、最高のプレーを演じてもらいたい。しかし、優勝の結果として後に残るのは、「記録」という紙の上の事実だけです。紙になった事実は、すでに誰のものでもありません。もはや、その選手のものですらないのです。

したがって、私は、優勝という事実がいつまでも残る最も大切なことだとは思いません。優勝に価値があるのは、両者が全力を尽くして戦っているその瞬間までです。勝つために全力を尽くすその姿は、確かに美しい。でも、その瞬間が過ぎ去った後に残る大切なこととは、いったい何なのでしょうか?

私は、1980年代の後半に活躍したスロバキアの男子テニス選手であるミロスラフ・メシールが好きです。「好きだった」ではなく、「今でも好き」なのです。すでに引退したプロスポーツ選手について、「(今も)好きだ」というのと「(当時)好きだった」というのはかなり異なると思いませんか?

メシールを好きなのは、彼が強かったからではありません。たとえば、メシールは1988年のソウルオリンピックで優勝していますが、それが、私がメシールを今でも好きな理由ではありません。勝ち負けの結果でプレーヤーを好きになるのではないのです。

メシールが試合の中で見せるプレースタイルは、その戦略は、そしてそのプレーマナーは、私には、彼が周到に時間をかけて作りだしたオリジナル作品のように見えました。単なるスポーツを超えた、メシールの人格を反映した”作品”に、私の目には映ったのです。その”作品”は、今でも私の中で根付き、体の一部となっています。私は、その”作品”が好きになり、そして、その作者であるメシールが好きになったのです。(このことは、以前、「本当のプロ選手のプレーマナーについて」という記事の中で書きました。)

選手が作り出す最高のプレーという”作品”の中で、その理由を知りたいというのは、作品に対する敬意からくるものです。選手について知りたいことがあるとすれば、選手の個人的なことではなく、最高のプレーという”作品”の背景にある”モノ・理由”なのだと思います。

この著書が、伊達と神尾という二人のコート上での”作品”と、その背景を浮き上がらせるまでには至らなかったのは、残念でした。私は、「本当のプロ選手のプレーマナーについて」に書いたウインブルドンのエドバーグ戦での潔さなど、もし、メシールに会うことがあればぜひ聞いてみたいことが、20年の時を超えて今でもあるのです。

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