ご存知かもしれませんが、Winning Uglyとは、メシールと同時代を戦ったアメリカ人選手の一人であるブラッド・ギルバードの著書のタイトルです。さすがに直訳では日本では売れないので、日本語版では「読めばテニスが強くなる」という、当たり障りのない(?)タイトルになっています。
ニューヨークのテニス仲間さん(Tennisunakama in New Yorkさん)が、このWinning Uglyということについて、面白い文章を書いておられます。タイトルは、そのままWinning Uglyです。美しいテニスと、勝つためのテニス。フェデラーがトップから陥落することで、美しいテニスの呪縛から放たれて、勝つためのテニスに向かうことができるか、という内容です。とても面白い視点です。
フェデラーもメシールも、当然ですが、勝つことよりも美しいテニスを優先して選択したとは思えません。勝つために選んだ道が、美しいテニスだったのです。一方、Winning Uglyの例として挙げられているナダルは、実は必ずしも美しくないとも言えません。恵まれた体にモノを言わせて強引にヒットするストロークは確かに美しくはないのですが、その一方で、見事なまでにそれを実現するあのバランス感覚は、ある意味では、究極のバランスであるとも言えるでしょう。(それでも、美しいかと問われると、悩みますが。)
私は、ずっと、美しいテニスこそが強いテニスであると信じてきました。いえ、今でも信じています。なぜなら、美しいテニスには無駄がなく、身体能力を100%近く引き出すことができるのは美しいテニスだからです。
1位から陥落した(今や3位になりました)フェデラーの進む道は、Winning Uglyではないと思います。フェデラーは、美しいテニスによって、身体能力を100%引き出さねばなりません。今までが、90%だとしたら、99%を引き出すのです。ナダルのプレースタイルは、絶対に、身体能力を100%は引き出せません。そして、おそらく、現在以上に能力を発揮することは難しいでしょう。(本当に体を壊してしまうからです。)フェデラーは、ナダルよりもはるかに劣る身体能力のポテンシャルを、パーセントを上げることで越えなくてはならないのです。200のポテンシャルを50%発揮するナダルと、100のポテンシャルを100%発揮するフェデラー。この縮図の中で、フェデラーが再帰することができるのか。再帰できた時、それは、おそらく、究極の美しいテニスがそこにあるに違いありません。
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