2011年4月26日火曜日

メシールのテニス(12) なぜメシールのテニスは美しいのか~フットワークについて

メシールのテニス(11)で、フォアハンドの「最初の第一歩」について書きました。つまり、フォアハンドでは、最初の一歩目は、右足を引く(右利きの場合)ことだと。実は、このことが、メシールのテニスはなぜ美しいのかということと、深く関係しています。今回は、そのことを書きましょう。

メシールのテニスを表するときに、美しいという人はあまりいない(美しいと思うのは私だけ?)ように思いますが、「予測がよい」「コートカバーが広い」ということを、よく言われます。一方で、「あまり動いているように見えない」ともよく言われます。かつて、渡辺康二氏がメシールのテニスを表して、「全く動いていない風情ですね(なのに、動きが素早い)」という表現をしたことがあります。

たとえば、Youtubeにある、1987年の全米オープンのメシール対ヴィランデルの試合を見てみてください。グランドストロークにおいて、ヴィランデルは、基本に忠実です。つまり、相手がボールをヒットするごとにスプリットステップをしています。一方のメシールは、ストローク時のスプリットステップですらいい加減で、どうも初心者のお手本にはなりそうにありません。なんとなく、相手がボールを打つ瞬間も、両足がべたっと地面から離れないという「風情」です。

私自身、長い間、これが不思議でした。基本に忠実なヴィランデルよりも、忠実ではない(いい加減に見える)メシールのプレーが、なぜ、美しいと感じるのだろか。美しいというのは主観的(直観的)な表現ですが、そこには理由があるはずなのです。理由のない直観はあり得ないはずです。

かつて、メシールは、記者会見で、「あなたの手の使い方は独特ですね」と言われて、「テニスで大切なのは手の使い方ではなく、足の使い方なのです」と言ったことがあります。「テニスは足ニス」という言葉があるように、これは、確かにテニスの基本を表しているのだと思いますが、私は、なんとなく、メシールがそれを言うのは変だと思っていました。そのメシールは、グランドストロークのスプリットステップという基本すら、無視しているではないですか。基本に沿っていないメシールが、なぜ、「テニスは足ニス」と言ったのでしょうか。

では、なぜ、基本に忠実ではない(ように見える)「べたっとした」フットワークにもかかわらず、メシールは予測(anticipation)がよいだとか、コートカバリングが広いと言われるのでしょうか。

メシールとヴィランデルの二人のプレーをビデオでスローモーションでみて、二人のフットワークを比較したときに、驚くことに気が付きます。それは、グランドストロークでの最初の一歩目の違いです。

ヴィランデルのフォアハンドでは、(スプリットステップの後の)最初の一歩目は、多くの場合は左足から始動します。まずは、体をボールに近づけていくという発想です。一方、メシールは、スプリットステップすらせずに、相手がボールを打った瞬間に、まず右足を引きます。もちろん、単に右足を引くのではなく、ラケットを持った両手と両肩は、それに合わせて(上から見て時計方向に)回転します。つまり、最初の一歩目で、すでに、テイクバックがスタートしているのです!

この違いは、特に体から(右方向に)離れたボールが来た際に顕著です。ヴィランデルは(そして、おそらく、多くの選手は)、最初の一歩を左足から動かします。左足を、ボールの方向に踏み出して、そのまま体をボールに近づけていきます。メシールは、ボールの場所にかかわらず、まず、右足を引きます。つまり、メシールのフォアハンドでは、体の移動とテイクバックは一つの動作の中で行われるのです。体を移動してから改めてテイクバックを開始するヴィランデルとは、本質的にコートカバーリングは異なるわけです。最後の一歩(右足)からテイクバックをスタートさせるメシールタイプの方がコートカバーリングが広くなることは、言うまでもありません。

私は、メシールのプレーを考えると、(ボレーはともかくとしても)グランドストロークでのスプリットステップには意味がないと思っています。スプリットステップとは、つまり、「ジャンプすること」です。少なくとも、メシールのテニスにおいては。スプリットステップは不要です。相手がボールを打つ瞬間に相手のボールに対しての準備が始まるグランドストロークにおいて、コンマ何秒とはいえ、なぜ、ジャンプという無駄な時間を使うのでしょうか。メシールは、基本に不誠実なのではありません。無駄な時間を使わないのです。スプリットステップの代わりに、メシールは、最初の第一歩(右足を引くこと)に神経を集中させているように見えます。スプリットステップをしないことは、メシールのグランドストロークが、初動から最後まで体の上下動が少なく、「べたっとしている」ように見せている理由でもあります。そして、「べったとしている」にもかかわらず、稀代のコートカバリングの良さにもつながっているのです。なぜなら、最初の一瞬(=足を引くこと)から、メシールのテイクバックは始まっているからです。

たとえば、ロジャー・フェデラーとラファエル・ナダルを比較した時、私は、フェデラーのテニスのほうが「美しい」と感じます。(メシールのテニスのほうが、フェデラーよりも、さらに美しいと感じますが。)どうしてでしょうか。両者のプレーを、スローモーションでよく見てみてください。フェデラーは、メシールと同じ、フォアハンドにボールが飛んできたときに、最初に右足を引きます。(フェデラーの場合、かなり徹底しています。最初の一歩を左足から動かすこともありますが、このときですら、左足を動かすのは右足を”引く”ための体制を整える準備として動かしているので。)一方、ナダルは(左利きなので、右利きに反転させて表現しますが)最初に左足を動かします。この差が、そのあとのグランドストロークのすべてを支配しているのです。おそらくですが、これは、どちらが基本に忠実という比較ではないのでと思います。最初の一歩目が、両者のテニスの美しさにつながっているのだと思います。

このブログは、昔懐かしい、ミロスラフ・メシール(メチージュ)について語るための、個人的なブログです。と言っても、私は、週末プレーヤであり、プロでも、専門家でもありません。また、実は、他のテニスプレーヤーについては全く興味がなく、メシールのテニスだけしか語ることができません。もし、ご興味があれば、時々、楽しんでいただければ幸いです。

1 件のコメント:

  1. メシールのブログあるなんてビックリw

    久しぶりにメシールのテニス観てみたいなとユーチーューブで観たりしてみたんですが。
    メシールの独特なテニスは当時魅せられましたね。
    残念ながらレンドルとの対戦では瞬発力やパワーに圧倒されてましたけどね。

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