2012年11月27日火曜日

テニスの心理学

中古書店で、ヴィック・ブレイデンのTennis2000という書籍を購入しました。分厚い本で、最初から最後まで読むのは難しそうですが、興味のある章だけを拾い読みしています。

ヴィック・ブレイデンは、私でも知っている有名なアメリカのテニスアカデミー運営者の一人です。

技術についての章も面白いですが、第9章の「テニスの心理学」という章を興味深く読んでいます。何かにつけて一番であることがすべてと思われているアメリカのスポーツ界において、この章で、ブレイデンは、誰もが1番になれるわけではないのだから、テニスにはもっと大切なことがあるということを述べています。

その中で、「テニスに現れる個人の人格について」という項目があり、以前書いた、「人格はプレースタイルを超えることができない」という記事を思い出しました。

ブレイデンは書きます。「テニスをすると、おさえつけられていたその人の持っている本来の性格が現れてくる」と。村上龍氏の言うところの「人格はプレースタイルを超えることができない(その人の人格が必ずプレーの中に見えてくる)」ということを、ブレイデンも言っているのです。

ブレイデンは、こんなことも書いています。「前の国連大使であるアンドリュー・ヤング氏は、同僚のテニスコート での振る舞いを観察して、その人の性格について貴重な情報を得たそうである。」

私は、こんなふうに考えます。

つまり、我々は、テニスを通じて、自分の日常での性格をコントロールできる可能性がある、と。日常では難しくても、テニスによって自分を変えていくのです。

私は、昔から、自分の感情をコントロールすることが苦手でした。特に、自分が追い込まれたり、頭に「かっ」と血が上ると自分のコントロールができなくなります。これは、テニスでも同じでした。ミスをすると、自分が許せなくなり、ラケットを投げたりしてしまうのです。

今の私は、試合中も、そして普段の練習も、常に自分を客観的に見ようとしています。試合でミスをしたら、その理由を考えます。今の自分の技術の中で最善の策は何であるかを考えます。最善の策の判断を誤ったり、分かっているはずなのにボールが飛んできた瞬間に異なる判断をしたりすると、自分に腹が立ちますが、同時にそのことを忘れずに次に活かすことを考えます。

このことが、今度は、日常の自分にも影響してきます。仕事上で同じことができるようになるとまでは言い切れませんが、普段から、「客観的に自分を見る」「その時々で自分の持つ最善の選択肢を選ぶ」ことを考えるようになります。それが、また、テニスにもフィードバックします。

私を含む多くのアマチュアプレーヤーは、日常の自分の鍛錬のためにテニスをするのではありません。しかし、では、我々は、何のためにテニスをするのでしょうか…?

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