2013年2月2日土曜日

Mecir's Tennis (126) 「人格はプレースタイルを超えることができない。」(村上龍(2))

文章を書くことを生業(なりわい)とする人は、どうしてこんなに言葉をうまく使うのだろうと思うことがあります。

このブログの一番最初の記事で書いた村上龍氏の、次の一言は、私が、テニスというスポーツを愛し、自分でもプレーを楽しむ理由を、たった一言で言い尽くしてしまっています。

「人格はプレースタイルを超えることができない。」

多くのスポーツがそうであるように、テニスのプレーにも、その人のキャラクターが表れるものです。積極的なタイプはネットに出ますし、安定指向の場合はベースラインで粘るプレースタイルになるでしょう。

普段の日常生活では安定志向の人が、案外と攻撃的だったりすることがあるかもしれません。恐らく、プロであってもアマチュアであっても、その基本は同じなのではないかと思ます。

その人の人格は、その人のプレースタイルを超えることができない。

つまり、その人の人格のすべては、その人のテニスを見ていればわかるというのです。テニスのプレースタイルは、それほどまでに、人の性格やキャラクターを反映しているということです。

メシールのプレースタイルは、メシールの人格そのものです。メシールのコート上でのマナーは、メシールの人柄であり、大げさではなく生き様なのです。私がメシールのプレーをコピーしたいという気持ちは、つまりはそういうことなのです。

レベルの高いプレーヤーほど、つまりプロプレーヤーほど、プレーを見ればその人の人格がそこに浮かび上がって見えてくるものです。

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