2015年12月29日火曜日

Mecir’s Tennis (280) スルメのようなメシールのプレー

1988年ソウルオリンピックのテニス男子決勝のビデオを見ていると、解説の坂井利郎さんがメシールを評してこう言っていました。メシールのプレーは、どちらかというとスルメの様にふにゃっとしている(が、すごいボールを打ってくる)、と。

確かに、メシールのプレーは、どちらかというとルーズでいい加減な打ち方、ふにゃっとしていてとらえどころがない、そんなイメージがあります。

一方で、メシールのビデオを見る限りメシールのストロークはたいへんきれいで、きちんとしたフォームであることがわかります。当時のマッケンローの感覚だけに頼った雑な打ち方と比較すると、丁寧さが際立ちます。むしろ当時の他のプレーヤーよりもきちんとしたフォームでボールを打っているように思えます。

この2つの矛盾したイメージがどこから来るのか、私には長い間よくわかりませんでした。

しかし、分析していくうちに、カチッとしているのはテイクバックまでであることがわかってきました。つまり、テイクバックまでをカチッとする(つまり腕には自由度を与えない)ことで、そのあとのフォワードスイングからの腕の動きに自由度が与えられていたのです。

もし、テイクバックから腕に自由度を与えるならば、逆にフォワードスイングでは腕の自由度を失うでしょう。今は厚いグリップ全盛期ですが、厚いグリップのフォアハンドがそうです。テイクバックに自由度がある分、フォワードスイングでは腰の回転と腕の回転が一体化します。(ボールをヒットする直前あたりまでは、両者はほぼ一緒に動くように見えます。)

メシールの自由なフォアハンドは、つまりフォワードスイングでは腕を腰から解放してやらねばならないのです。フォワードスイングでもテイクバック同様に腰と腕を連動させてしまうと、メシールのじゆでふにゃっとしたスルメのようなスイングは成立しません。




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