2014年9月3日水曜日

2014年全米オープン 男子4回戦 錦織vsラオニッチ

「まだ喜べない。上まで行かないといけないというプレッシャーもかけてやっている。勝てないという相手はいないと思うので、上を向いてやりたい」

ラオニッチに勝利した錦織のコメントだ。勝てないという相手はいない、そう思えることは素晴らしい。これは、自分の型ができたという自信からきている。

誰にもで勝てると言っているのではない。自分の型で戦うことができれば、自分の能力を100%出すことができれば、どのプレーヤーにも勝利する可能性があるという意味だ。

自分の型ができたということは、テニスプレーヤーとしてというだけではなく、どの分野においても、例えばビジネスの分野、政治の分野、芸術の分野、どんな分野よりも、世界で戦う人であれば分野に関係なく幸せなことだ。

自分の型ができること、こんなに幸せなことはない。勝ち負けも大切だが、自分の型が完成していないのに勝っても、本当はそれほど嬉しくはない。幸せなのは、自分の型で戦うその瞬間だ。自分の型が世界で通用することを実感できることだ。勝ち負けは、その結果でしかない。

日本という国の中で、世界で戦う多くの「戦士」を見てきた。その中に、どれほどの「コピー」がいたことか。世界で誰かが作った型を真似しているコピー戦士が、どれほど多く日本にいるか。それを自分の型だと言い張るのは自由だが、幸せなのかどうかを決めるのはその人自身だ。

錦織のテニスの価値は、錦織がベスト10近くにいるからではない。錦織が、世界に通用すると自覚できる自分の型を作ったからだ。そのように、自分が感じることができるからだ。そういうことができるのは、ごく限られた一握りの人だけなのだから。

錦織は、準々決勝でバブリンカと対戦するそうだ。もはや、勝ち負けではない。大切なのは、自分のオリジナルなテニスがバブリンカに通用するかを知ることだ。結果を求めるのではなく、その過程を求めてほしい。

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